実録外伝 大阪電撃作戦
『実録外伝 大阪電撃作戦』(じつろくがいでん おおさかでんげきさくせん)は、1976年の日本映画。主演:松方弘樹、監督:中島貞夫、製作:東映。 概要1973年の『仁義なき戦い』の大ヒット以降、東映は実録ヤクザ路線と銘打ち[2][3]、各地の暴力団抗争をモデルとした映画を製作した[4][5]。特に同年『山口組三代目』が大ヒットし、山口組の全国進攻は実録路線の元ネタとしては最適であったため[6]、これを題材とする映画を次々製作したが、このうち明友会事件をモデルとして山口組側から描いたものが前年に製作された『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』で[7]、逆に明友会側から描いたものが本作となる[7][8][5]。両者は同じ題材を扱っており、1974年の『山口組外伝 九州進攻作戦』も明友会事件が一部含まれる[9]。 あらすじ昭和35年大阪ミナミの盛り場は、石村組と南原組が勢力を二分していた。南原組の高山敬(渡瀬恒彦)は獰猛なチンピラが揃う双竜会の安田寿行(松方弘樹)に話を持ちかけ、彼らを実行部隊に仕立て上げる。しかし、大阪進出を企てる日本最大のやくざ組織・神戸川田組組長・川田利明(丹波哲郎)に双竜会のチンピラがクラブで絡んでしまう。神戸川田組の逆燐に触れ、殲滅作戦「人間狩り」が開始される[4][10]。 出演
スタッフ製作企画中島貞夫が1969年の『日本暗殺秘録』の後に、次は徹底的に暴力をテーマにした映画を作りたいと明友会事件を真正面から描いた『暴力団抗争 殲滅』という脚本を書き[8][12]、当時の岡田茂映画本部長に提出したが、「こんなもん、映画になるか!」と却下された[8]。しかし1973年以降、山口組関係の映画がヒットすると岡田茂社長(当時)が『実録外伝 大阪電撃作戦』という本題名を思いつき企画が再浮上[8]、中島ではなく、脚本の高田宏治に企画が持ち込まれ脚本が書かれた[8]。 1975年2月19日、東映本社で、岡田社長が東映上半期のラインナップを発表し[13]、「実録アクションをムードのあるものに持ってゆきたい」と説明。「"日本暴力列島シリーズ"として『京阪神暴力ファミリー』(『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』)に次ぐ"日本暴力列島シリーズ"第二弾『日本暴力列島・北九州電撃戦』を渡哲也主演作として1975年8月公開を予定している」と話した[13]。しかし渡が長期入院したためか、北九州を舞台にした映画はこの段階では製作されず。同年8月27日の岡田社長による今後の予定作品発表では[14][15]、菅原文太主演作『日本暴力列島大阪電撃作戦』として告知していた[14][15]。菅原は「会社の酷使が過ぎる」などと東映に造反し[16][17]、この年春から夏にかけて出演予定のあった映画を数本キャンセルしていた[17]。 脚本実録"外伝"、と微妙なタイトルを付けているが大筋やエピソードは大半が実話である[7]。高田は「(中島脚本の)『暴力団抗争 殲滅』は、終始弱いものいじめでドラマがない。それを俺がドラマにした」「明友会事件をやられる側から描いたのが本作」「フィクショナブルでなおかつ実録的な構成」「演出は抜群で中島監督の最高傑作の一つなんじゃないかと思う」[8]、「私と中島はやられる側から描くことにこだわった。叩かれる側からの視点で作りたいという思いは共通していた。出世物語を書いてもつまらない。滅びていく側の物語こそドラマがある」[7]、などと述べている。 撮影車に引き摺られるシーンをスタントマン無しで演じる渡瀬恒彦を始め、『仁義なき戦い』以降の実録路線勃興で意気上がる役者がむせ返るような熱い芝居を見せる[7][18]。『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』は在日問題が表立ってあったが[12]、本作は松方弘樹、渡瀬恒彦というチンピラが大組織に立ち向かうという中島貞夫の得意とする若者の話になっている[12]。「人間狩り」と凄惨なリンチシーンを撮影したのは、この頃からエログロ映画を量産する助監督の牧口雄二[4]。 逸話予告編のBGMには、『殺人拳2』、『新仁義なき戦い 組長の首』、『狂走セックス族』、『山口組三代目』 同時上映日本では『必殺女拳士』(志穂美悦子主演、小平裕監督)と併映された。
関連映画
脚注
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