神戸電鉄グループ
神戸電鉄グループ(こうべでんてつグループ、英: Shintetsu Group)は、神戸電鉄株式会社を中核とする日本の企業集団。近畿地方を主体に運輸業・不動産業・流通業など数多くの事業を展開する。「神鉄グループ(しんてつグループ)」と呼ばれることが多い[1]。 概要グループの現勢神戸電鉄グループ(こうべでんてつグループ)は、兵庫県南部を基盤とする神戸電鉄を傘下とする総合企業集団である。有価証券報告書に基づく2023年(令和5年)現在の現勢は以下の通りである。
有価証券報告書内では、加盟企業は神戸電鉄およびその子会社・関連会社と阪急阪神ホールディングスの10社としているが、一般的には阪急阪神ホールディングスを除いた9社をグループとすることが多いため、本記事でも9社について扱う。 また、一般的には省略形の「神鉄グループ(しんてつグループ)」と呼称することがほとんどであるため、本ページにおいても以下は省略形で記述する。 阪急阪神ホールディングスとの関係グループの中核企業である神戸電鉄は、1961年(昭和36年)に京阪神急行電鉄(法人格としては現在の阪急阪神ホールディングス)と事業提携を行ったため、かつてグループ企業には阪急電鉄や阪急百貨店などに株式の一部を保有される会社があった[2]。 しかし2000年代にいずれの企業も神戸電鉄の100%子会社化され、2023年(令和5年)現在、唯一阪急と資本関係のある神戸電鉄も、阪急阪神ホールディングスに株式の約27%を保有される持分法適用会社であるため、営業取引においては阪急阪神ホールディングスへの依存度は低く、神鉄グループでほとんど独立した経営が行われている。 沿革阪急電鉄との提携による再建神戸電鉄の経営は1956年(昭和31年)頃より苦難が頂点に達し[3]、車両や線路の補修も怠り[3]、神戸市への売却や自動車路線への転換を検討するほどの窮迫ぶりであった[3]。このような中で神戸高速鉄道への乗り入れや複線化を控えた神戸電鉄では[3]、関西を代表する大手私鉄である阪急電鉄にどうあっても救済を申し込まなければ会社が倒産すると考え[4]、1960年(昭和35年)4月から阪急電鉄会長(当時)の和田薫へ会社再建の交渉を開始した[4]。当初は神戸電鉄社長(当時)の原泰良が交渉にあたったが、和田薫はこれを長い間拒否し、神戸電鉄側は神戸銀行(現:三井住友銀行)のトップである岡崎忠頭取(当時)までもを動員して1年がかりで説得を行った[5]。原の談では阪急電鉄社長(当時)の小林米三と会長の和田薫を「こう頼まれては、あきまへんわ」というところまで持ち込んだという[5]。結果、1961年(昭和36年)5月25日には阪急電鉄が神戸電鉄株式の39%を肩代わりして、神戸電鉄は阪急電鉄の関連会社となった[3]。阪急電鉄の役員会議では、神戸電鉄に誰を役員として送るかが議論になり[4]、電鉄会社のため運輸経験者を送る計画が持ち上がったが、和田の発案によって土地経営部部長(当時)の佐藤京市を常務として入社させた[4]。この結果、阪急系列下に入った神戸電鉄は、経営の重点を沿線での土地開発と住宅建築に置くようになってしまったが[4]、時を同じくして住宅ブームが訪れた結果、電鉄会社にも関わらず住宅部門が活況を呈し[3]、鉄道部門の赤字を消して会社の業績は急伸長した[4]。 中田大三社長によるグループの発達1970年(昭和45年)には阪急電鉄から中田大三が社長として送り込まれた。中田大三は、鉄道の発展には沿線開発が必要不可欠として[6]、大規模なニュータウン開発を行うのみならず、さまざまな面から住環境を創出して沿線人口を誘致し、鉄道事業の利用者数を大幅に増加させるという相乗効果を狙った「神鉄複合文化産業構想」を独自で打ち出し[7]、グループ企業は急激に肥大成長した。安定的な収益を生む鉄道を中核に、交通・不動産・流通・レジャー・サービス・ホテル・建設・教育・スポーツ・金融等の各分野を手掛けるようになり、総合企業集団「神鉄グループ」の結成を見るに至った[2]。 上記の構想が順調に進み沿線開発が成熟した1991年(平成3年)、沿線分譲面積は687,756 m2にも達し、賃貸商業ビルは22棟を数えるまでになったほか、グループ企業は17社を数えるまでに成長した[8]。 近年はグループ規模の縮小が行われているが、一方で介護事業や発電事業など新規分野への参入も行われている。 グループの歴史以下にグループ会社のおもな年譜を掲載する。各グループ企業の詳しい年譜については、各会社の記事を参照。
現在の事業内容以下に現在のグループ会社一覧を掲載する。一社で複数の事業分野に展開している場合には、それぞれの事業分野で重複して掲載している。有価証券報告書等ではグループ会社に阪急阪神ホールディングスを含んで記載している場合があるが本項では省略する。 運輸業
不動産業
流通業
建設業
施設管理業
その他の事業
過去の事業内容
経営計画と環境問題への取組みらいビジョン2030神戸電鉄グループでは、多様な人々との連携・共創を通じて新たな価値を創出しグループの持続的な成長を図るとともに、社会課題の解決や持続可能な社会の実現に向けて、神戸電鉄が果たすべき役割(ミッション)を新たに定義し、2030年度(令和12年度)時点における“あるべき企業像”を示した長期経営ビジョン「神鉄グループみらいビジョン2030」を策定したことを、2023年(令和5年)5月に発表した。目指す“あるべき企業像”を『暮らしに彩を添える地域の共創プラットフォーム』とし、暮らしに彩を添える時間やモノ、サービスの共創プラットフォームとして確固たる地位を築き、地域の持続的な価値向上に貢献するとともに、社会・経済活動を支える存在となることを目指すとしている。 中期経営計画2026「みらいビジョン2030」の実現にむけた具体的な実行計画を推進していくため、2030年(令和12年)までの8年間を前後半に分け、最初の4か年にあたる経営計画を「中期経営計画2026」として策定したことを2023年(令和5年)5月に発表した。コロナ禍により落ち込んだ「収益力」をコロナ禍前の水準に回復させるとともに、「財務の健全性」を引き続き着実に進展させ、外部環境の変化(コロナ禍による生活様式の変化や高コスト社会など)に対応しながら、グループの持続的な成長を通じて企業価値を高めて、各種ステークホルダーの期待に応えるとともに、地域の持続的な価値向上に貢献していくこととしている。 重点課題として「①新しい時代(外部環境の変化)に対応した取り組み」「②沿線活性化への取り組み」「③収益性の改善に向けた取り組み」「④有利子負債削減に向けた取り組み」をあげ、神戸電鉄グループ全体の収益拡大を目標としている。 事業戦略
数値目標
地球環境問題への取り組み神戸電鉄グループでは、経営方針に「地球環境の保護・保全」を掲げて環境理念や環境方針を制定するとともに、「地球環境対策委員会」を設置して「美しい地球の環境保全」に向けた様々な取り組みを行っている。2022年(令和4年)5月には神鉄グループにとってのサステナビリティ重要テーマ(マテリアリティ)を公表し、その1つとして「地球環境の保護・保全」を掲げ、「沿線自治体や行政機関とも連携し環境にやさしい公共交通の利用促進を図るとともに、脱炭素社会、循環型社会、自然共生社会等の実現をはじめとした地球環境の保護・保全に積極的に取り組む」姿勢を打ち出した。この一環として、脱炭素社会を実現のため政府目標と整合する目標として鉄道事業におけるCO2排出量を2030年(令和12年)度までに2013年(平成25年)度比46%削減することを重点的な取り組みのKPIの1つとして公表したが、2023年(令和5年)6月にはこれを神鉄グループ全体の目標に見直した。 博覧会への協賛神戸電鉄グループでは博覧会への協賛・パビリオンの出展を行った例がある。 21世紀公園都市博覧会兵庫県三田市において1988年(昭和63年)4月17日から8月31日に開催された21世紀公園都市博覧会(ホロンピア‘88)に「21世紀の都市交通館 神鉄・北神トランスポ館」を出展していた。リニアモーターカーや北神トンネルに関する展示を行い、267,890人もの来館者数を記録した。 展示概要
国際花と緑の博覧会大阪府の鶴見緑地で1990年(平成2年)に開催された国際花と緑の博覧会に協賛していた。長田駅付近の線路沿いでは協賛を記念してソメイヨシノ等の記念植樹が行われている。 提供番組サンテレビジョン(近畿地方と中四国地方の一部をカバーする民間放送局)で21時台に放送されていた「SUN-TVニュース」(神戸新聞社取材協力・協賛)を神鉄グループで開局当初から平成初頭まで提供しており、クレジットは「神戸電鉄・神鉄観光・神鉄一番街」と表示されていた。 10秒のCMが3本続けて放映される構成であり、おもなCMには以下のものがあった。
脚注出典
外部リンク |
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