波号第百六潜水艦(はごうだいひゃくろくせんすいかん、旧字体:波號第百六潛水艦)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の6番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。
艦歴
マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の6番艦、仮称艦名第4606号艦として計画。1944年7月1日、三菱重工業神戸造船所で建造番号750番船として仮称艦名第4604号艦と同時に起工。8月25日、波号第百六潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の6番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。10月21日、艤装員事務所を三菱神戸造船所内に設置し事務を開始。30日、進水。
12月15日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。同日、伊予灘へ向け神戸発。17日から伊予灘で訓練に従事。30日、海上護衛総司令部作戦指揮下に編入され、軍隊区分海上護衛総司令部部隊に配置。
1945年3月5日、軍隊区分第一機動基地航空部隊指揮下に編入。9日、第二次丹作戦支援のため鹿児島を出撃し、南大東島へ向かう。南大東島へ向け航行中の10日、呉潜水戦隊第三十三潜水隊に編入。11日南大東島に到着し、南大東島沖で不時着機搭乗員の収容任務に従事。12日、アメリカ軍機の爆撃を受けるが被害なし。14日、鹿児島に帰投。16日、呉へ回航。17日、第一機動基地航空部隊指揮を解かれる。21日、呉着。呉に到着後は電波探知機の設置など戦備作業を実施。
4月1日、広島湾で測探儀試験を実施。19日、呉海軍工廠第二船渠に入渠し、潜舵の面積拡大やバラスト積載など訓令諸工事を実施。以後、第三十三潜水隊で訓練に従事。
終戦時は呉に所在。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。
1946年4月1日、五島列島キナイ島沖でアメリカ海軍により海没処分された。
潜水艦長
- 艤装員長
- 岡北明正 大尉:1944年11月6日 - 1944年12月15日
- 潜水艦長
- 岡北明正 大尉:1944年12月15日 - 1945年4月20日
- 立山喬 大尉:1945年4月20日 - 1945年11月29日
脚注
- 注釈
- 脚注
参考文献
- 海軍省、第二復員省
- 昭和19年6月20日付 内令員第1062号。
- 昭和19年8月25日付 達第79号、内令第992号、内令第1000号、内令員第1573号。
- 昭和19年12月15日付 内令第1357号、内令員第2448号、内令員第2449号。
- 昭和20年3月10日付 内令第222号。
- 昭和19年10月16日付 秘海軍公報 第4828号。
- 昭和19年10月30日付 秘海軍公報 第4838号。
- 昭和20年1月2日付 秘海軍公報 第4893号。
- 昭和19年11月11日付 秘海軍辞令公報 甲 第1641号。
- 昭和19年12月19日付 秘海軍辞令公報 甲 第1673号。
- 昭和20年5月8日付 秘海軍辞令公報 甲 第1793号。
- 昭和20年12月20日付 第二復員省辞令公報 甲 第17号。
- 呉鎮守府戦時日誌。
- 第十一潜水戦隊戦時日誌。
- 呉潜水戦隊戦時日誌。
- 第十六潜水隊戦時日誌。
- 波号第一〇六潜水艦戦時日誌。
- 波号第百九潜水艦戦時日誌。
- 『新三菱神戸造船所五十年史』、新三菱重工業株式会社神戸造船所、1957年。
- 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
- 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
- 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。