波号第百七潜水艦[注釈 1](はごうだいひゃくななせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の7番艦。太平洋戦争末期に竣工して練習任務に従事し、戦後海没処分された。
艦歴
マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の7番艦、仮称艦名第4607号艦として計画。1944年8月1日、三菱重工業神戸造船所で建造番号751番船として仮称艦名第4609号艦と同時に起工。9月1日、波号第百七潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の7番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。12月4日、艤装員事務所を三菱神戸造船所内に設置し事務を開始。20日、進水。
1945年2月7日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。同日呉へ向け神戸発。14日から伊予灘で訓練に従事。
3月7日、別府湾に帰投。9日から再び伊予灘で訓練に従事。17日、大竹に帰投。18日、呉へ回航。20日、役務を呉鎮守府練習兼警備潜水艦に定められ、呉潜水戦隊第三十三潜水隊に編入。30日、大竹へ回航。以後、戦備作業と訓練に従事。6月中旬頃、舞鶴へ回航し訓練を継続。
終戦時は舞鶴に所在。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。
1946年4月1日、五島列島キナイ島沖でアメリカ海軍により海没処分された。
潜水艦長
- 艤装員長
- 竹崎俊二 大尉:1944年12月1日 - 1945年2月7日
- 潜水艦長
- 竹崎俊二 大尉:1945年2月7日 - 1945年11月29日
脚注
- 注釈
- ^ 本来の艦名表記は波號第百七潛水艦。
- 脚注
参考文献
- 海軍省、第二復員省
- 昭和19年6月20日付 内令員第1062号。
- 昭和19年9月1日付 達第288号、内令第1016号、内令第1019号、内令員第1652号。
- 昭和20年2月7日付 内令第105号、内令員第233号、内令員第234号。
- 昭和20年3月20日付 内令第249号、内令第250号。
- 昭和19年10月16日付 秘海軍公報 第4828号。
- 昭和19年12月14日付 秘海軍公報 第4878号。
- 昭和20年2月15日付 秘海軍公報 第4932号。
- 昭和19年12月7日付 秘海軍辞令公報 甲 第1662号。
- 昭和20年2月17日付 秘海軍辞令公報 甲 第1724号。
- 昭和20年12月20日付 第二復員省辞令公報 甲 第17号。
- 呉鎮守府戦時日誌。
- 第十一潜水戦隊戦時日誌。
- 呉潜水戦隊戦時日誌。
- 第三十三潜水隊戦時日誌。
- 波号第百七潜水艦戦時日誌。
- 波号第百九潜水艦戦時日誌。
- 『新三菱神戸造船所五十年史』、新三菱重工業株式会社神戸造船所、1957年。
- 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
- 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
- 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。