波号第二百十四潜水艦[注釈 3](はごうだいにひゃくじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の14番艦。戦後海没処分された。
艦歴
マル戦計画の潜水艦小、第4911号艦型の14番艦、仮称艦名第4924号艦として計画。1945年5月15日、三菱重工業神戸造船所で建造番号784番船として仮称艦名第4923号艦と同日に起工。
6月7日、波号第二百十四潜水艦と命名されて波二百一型潜水艦の14番艦に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。7月6日、艤装員事務所を神戸輪田製佛所内に設置し事務を開始。
終戦時は三菱造船所の船台上にあって未成[注釈 1]。17日、工事中止が発令され工程40%で工事中止[注釈 2]。
1946年4月16日、もしくは5月6日、紀伊水道でアメリカ海軍により海没処分された。
艤装員長
- 吉田弘俊 大尉:1945年7月8日 - 1945年8月15日
脚注
- 注釈
- ^ a b 進水日は世界の艦船『日本潜水艦史』(1993)p. 90、世界の艦船『日本潜水艦史』(2013)p. 108、丸スペシャル『日本の潜水艦I』p. 75、福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇 p. 艦歴表18、明治百年史叢書『昭和造船史 第1巻』p. 827ではいずれも「(昭和)20年8月15日」と、『新三菱神戸造船所五十年史』附録 p. 41では波号第213潜水艦と同日の「昭和20.7.29」としているが、大阪警備府と近畿海軍監督部が昭和20年8月31日付で調製した各目録では、船体は三菱造船所の船台上にあって進水に関する記述は存在しないため、本記事では進水日は記述しない。
- ^ a b 進捗率は大阪警備府と近畿海軍監督部が昭和20年8月31日付で調製した各目録による。世界の艦船『日本潜水艦史』(1993)p. 90、世界の艦船『日本潜水艦史』(2013)p. 108、福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇 p. 艦歴表18では75%としている。福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 65では10%としているが、同書p. 66には「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
- ^ 本来の艦名表記は波號第二百十四潛水艦。
- 脚注
参考文献
- 海軍省
- 昭和20年3月15日付 内令員第519号。
- 昭和20年6月7日付 達第130号ノ2、内令第517号、内令第519号、内令員第1115号。
- 昭和20年7月24日付 秘海軍公報 第5078号。
- 昭和20年7月16日付 秘海軍辞令公報 甲 第1858号。
- 昭和20年9月25日付 海軍辞令公報 甲 第1927号。
- 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇(未成艦ヲ含ム)目録』。
- 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇船体兵器機関艤装品目録』。
- 昭和20年8月31日付 近畿海軍監督部『大阪方面所在艤装艦艇船体兵器機関艤装品目録』。
- 『新三菱神戸造船所五十年史』、新三菱重工業株式会社神戸造船所、1957年。
- 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
- 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
- 日本造船工業会 『S-61 波號第二〇一潜水艦型 一般計画要領書』。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
- 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。