歌舞伎役者の屋号一覧(かぶき やくしゃの やごう いちらん)では、過去・現在に存在した歌舞伎役者の屋号をあげる。ただし、伝統的な歌舞伎の屋号を継承しない新派や前進座の役者の屋号は省いた。
解説
歌舞伎役者の屋号は、江戸時代のはじめ頃に商人にならって用いるようになった。市川宗家の「成田屋」をその嚆矢とするといわれる。
当初「河原者」と呼ばれて非人扱いだった芝居役者が、町奉行所における裁きで良民と認められたのは宝永5年(1708年)のことだった。その結果、それまでは裏路地や横丁に押しやられていた役者も、胸を張って表通りに住居を構えることができるようになった。しかし当時表通りに居を構えることができるような富をもっていたのは裕福な商家ぐらいのもので、金なら唸るほどあっても身分がなかった役者にとって、良民になったからといってすぐに表通りに割り込むのはさすがに気が引けた。そこで財力に余裕のある役者のなかには実家の生業の江戸店(えどだな、「江戸支店」)を出してみたり、新規に自らの商店を始めたりする者もいた。すると、そもそも副業からの収入が生計の安定には不可欠だった脇役の役者たちも軒なみ右へ倣えで、こぞって小規模な店を出すようになった。商店を持つ者同士がお互いのことを屋号で呼び合うのは今日でも同じである。この慣行がやがて芝居関係者を通じて一般に広まり、今日のようによく知られた役者屋号となった。
主な歌舞伎役者の屋号
過去・現在に存在した役者屋号を網羅した。またそれぞれの屋号にはそれを用いる主な名跡を添えた。同じ名跡でも代によって屋号が変わることがあるので注意されたい。なお、屋号・名跡・定紋の詳細についてはそれぞれのリンク先の記事を参照されたい。
以下表中、五十音順。漢字は新旧両字体の混用による間違いを避けるため、本表では特に見出し語の表記を伝統的な旧字体に統一した。ただし、昭和24年の新字体導入以後に新たに立てられた屋号や名跡については新字体に従った。
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行 わ行
上方歌舞伎役者の屋号
かつて上方の歌舞伎役者の屋号は、上方で興行する際には「~家」とすることが多かった。この傾向は上方歌舞伎では明治から大正のころまで続いたが、平成時代には「~屋」の表記に統一された。しかし2015年になり、中村鴈治郎家が四代目中村鴈治郎の襲名を機に一門で「成駒家」に変更しており[2]、「~家」とする屋号が復活した。
またかつて上方では、名題下の役者が名題に昇進する際にはあえて師匠(上方ではこれを「旦那」といった)と異なる屋号を選ぶことが多かった。
仮想の歌舞伎役者の屋号
主に新作歌舞伎や超歌舞伎で使用される。
脚注
関連項目