高嶋屋解説初代市川右團次の実父・四代目市川小團次の実家が、江戸市村座の火縄売り高島屋だったことにその名は由来する。 右團次は小團次の実子だが、長兄に養子の初代市川左團次がおり、これが役者としてすでに大成していたため、小團次はこの子をあえて役者にしようとはしなかった。そこで生後間もなく大坂道頓堀の芝居茶屋・鶴屋に丁稚奉公に出すが、実際は体よく養子に出したようなものだった。しかし右團次は成長しても商いには一向に興味を示さず、芝居の真似事ばかりしていたので実家に追い返されてしまう。そこで出戻って晴れて役者に転身、やがて初代市川右團次を襲名した。その際に屋号に選んだのが鶴屋(つるや)で、これは養育家の屋号を転用したものに他ならない。後に実家の屋号・高島屋に改めることにしたが、養兄の左團次や異母弟の五代目小團次に遠慮して「島」の字を「嶋」に差し替え高嶋屋としている。 高嶋屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。
門弟筋
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