高嶋屋

高嶋屋(たかしまや)は、歌舞伎役者の屋号

解説

初代市川右團次の実父・四代目市川小團次の実家が、江戸市村座の火縄売り高島屋だったことにその名は由来する。

右團次は小團次の実子だが、長兄に養子の初代市川左團次がおり、これが役者としてすでに大成していたため、小團次はこの子をあえて役者にしようとはしなかった。そこで生後間もなく大坂道頓堀芝居茶屋・鶴屋に丁稚奉公に出すが、実際は体よく養子に出したようなものだった。しかし右團次は成長しても商いには一向に興味を示さず、芝居の真似事ばかりしていたので実家に追い返されてしまう。そこで出戻って晴れて役者に転身、やがて初代市川右團次を襲名した。その際に屋号に選んだのが鶴屋(つるや)で、これは養育家の屋号を転用したものに他ならない。後に実家の屋号・高島屋に改めることにしたが、養兄の左團次や異母弟の五代目小團次に遠慮して「島」の字を「嶋」に差し替え高嶋屋としている。

高嶋屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。

屋号 名跡 定紋 備考
たかしまや
高嶋屋
いちかわ うだんじ
市川右團次
みますに みぎ
三升に右
初代は、はじめ「鶴屋」。
ただし代々の右團次は通常

替紋の「松皮菱に鬼蔦
を使用している。

たかしまや
高嶋屋
いちかわ うのすけ
市川右之助
さんば とびづる
三羽飛鶴
たかしまや
高嶋屋
いちかわ さいにゅう
市川齊入
みぎ みつどもえ
右三ツ巴
初代の定紋は、三升。

門弟筋

屋号 名跡 定紋 備考
たかしまや
高嶋屋
いちかわ うじまる
市川右治丸
(不詳) 初代は「鶴屋」。
たかしまや
高嶋屋
いちかわ つるのすけ
市川鶴之助
さんば とびづる
三羽飛鶴
たかしまや
高嶋屋
いちかわ ういち
市川右一
(不詳) 後の「市川右太衛門
たかしまや
高嶋屋
いちかわ うしょう
市川右升
(不詳) 後の「上村吉彌
たかしまや
高嶋屋
いちかわ うじゃく
市川右若
まつかわびしにひめつた
松皮菱に姫蔦
三代目右團次一門

関連項目