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市川小團次
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はしご高
))が含まれています
(
詳細
)
。
三升
杏葉牡丹
市川 小團次
(いちかわ こだんじ)は
歌舞伎
役者の
名跡
。
屋号
は四代目までが
成田屋
、四代目以後は
髙島屋
。
定紋
は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょうようぼたん)。
初 代 市川小團次
初代市川團十郎
の門人、1676–1726。
瀧中花蝶 → 初代
市川子團次
→ 初代市川小團次
二代目 市川小團次
四代目市川團十郎
の門人、?–1805。
初代
市川米蔵
→ 市川三治 → 二代目市川小團次
三代目 市川小團次
七代目市川團十郎
の門人、生没年不詳。
二代目市川米蔵 → 三代目市川小團次 → 市川江戸平 → 三代目市川小團次(復名)→ 鶴岡八蔵 → 市川八蔵 →
市川升蔵
(代外)
四代目 市川小團次
はじめ市川伊達蔵、のちに七代目市川團十郎の門人、1812–66。実父は伊豆国賀茂郡見高村の谷澤三之助、継父は江戸日本橋
市村座
火縄売りの髙島屋榮藏。
三代目市川米蔵 → 初代
市川米十郎
→ 四代目市川小團次
(
市川小團治 = 市川幸團治
)
出自生没年不詳。
明治
2年1月から3月にかけての短期間に小團次を名乗っていた役者がいる。代々には数えない。
市川米桝 → 市川小團治 →
市川幸團治
五代目 市川小團次
四代目の子、1850–1920。
二代目市川子團次 → 五代目市川小團次
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