桜ノ宮駅
桜ノ宮駅(さくらのみやえき)は、大阪府大阪市都島区中野町五丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の駅である。駅番号はJR-O09。駅シンボルフラワーは「桜」である。 歴史大阪鉄道 (初代)の玉造駅 - 梅田駅(現在の大阪駅)間開業の2年半後に設置された。1913年までは、放出駅 - 網島駅(廃駅) - 桜ノ宮間(分岐点付近には、同線の廃線後鴫野駅開設)間に桜ノ宮線というものも存在し、片町線ともつながっていた[1](当時は放出駅以東も桜ノ宮線に含まれ、「片町線」は放出駅 - 片町駅間のみを指し枝線扱いとなっていた)。 年表
駅構造相対式ホーム2面2線を有する高架駅で、分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。有効長は9両編成分あるが、大和路快速の6両編成は、京橋駅より端から6両分のみ停車する。 西口(西改札)と東口(東改札)があり、エレベーターは東口、みどりの券売機プラスは西口にある。ホームは大川側から見てやや左にカーブしている。長らくのりば番号が存在しなかったが、2006年9月中にのりば番号が付与された。 駅のすぐ西側(天満駅側)に大川(旧淀川)にかかる淀川橋梁があり、ホームの西端は橋りょう内にある。西口改札口は大川の堤防にかかる築堤上にあるため、線路面とほぼ同じ高さで線路南側(内回りホーム側)の地平にある。通常は、西口から階段で地下道に降りて、内回り・外回りのホームへ階段で上るが、造幣局の通り抜け・天神祭の混雑時には、西口横と内回りホームを直接結ぶ臨時通路が使用される。東口は、改札が高架下にあり高架の両側(南と北)を結ぶ自由通路に出る通常の高架駅である。 かつては、東口は北側にしか出口がなく、南側からはガードをくぐって迂回しなければならなかった。また、自由通路設置前は、東口にみどりの窓口があった。駅長室が東口に存在し、またかつては東口の方が利用客が多かったためである。1996年の大阪アメニティパーク (OAP) 開業後は、西口利用客が圧倒的に増加したため、こちらの方がメインとなり、みどりの窓口も西口に移転した[1]。環状線に沿っていた国鉄清算事業団用地の築堤(非電化時代の廃線敷で、国鉄末期は社宅として使われていた)を、2001年に再開発のため取り壊した際に、東口の自由通路が設置された。自由通路ができる以前は西口から東口までの移動は不便であったために、かつては西口利用のみどりの窓口利用者には無料のホーム通行券を渡して、ホームを通って東口へ誘導していた。 京橋駅が当駅を管理する直営駅。アーバンネットワークエリアに入っており、ICOCAが利用できる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。また、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。 のりば
発車メロディ「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から大阪を代表するシンガーソングライターである大塚愛の代表曲「さくらんぼ」が発車メロディとして使用されている[8]。大川の桜や駅名の「桜」にちなんでいる。 利用状況2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は14,635人である。 近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。
駅周辺駅周辺には古くからの住宅も建ち並ぶが、大川を越えると帝国ホテル大阪や大阪アメニティパークがそびえるビジネス街となる。また、大川沿いの桜並木や造幣局の桜の通り抜けがあり、春先は花見客で賑わう。7月の天神祭の際には交通規制がされるほどの混雑となり、夜の帰宅時間の頃には駅前に電車待ちの行列ができるほどである。 東口(南側)には、小さなロータリーがある。また、西口と東口(北側と南側)に駐輪場(有料)がある。なお、当駅前にはタクシー乗り場はない。
バス路線当駅付近の廃線遺構明治時代には網島駅に通じる路線が分岐しており、また駅北側に広大な淀川駅(貨物駅)・淀川電車区が存在していたために、当駅周辺は廃線遺構が数多い。しかし、近年再開発が進み、遺構は急速に消滅しつつある。 城東線が昭和初期に高架・電化された際、旧線の外側に隣接して線路を敷設した。そのため、環状線東部の内側には廃線跡の土地が平行していた。当駅は大川(旧淀川)を越えるために、築堤上に設置されていたため、廃線跡は20世紀末まで残存していた。 淀川駅・淀川電車区の跡は再開発で桜ノ宮リバーシティーや大阪市立総合医療センターに生まれ変わり、面影はほとんどない。淀川駅に隣接していた日本通運の倉庫はホームの構造になっており、貨物駅跡が道路になった今も貨物ホーム跡であった面影をとどめている。淀川電車区から京橋駅に通じる出入庫線の跡は、道路の跨線橋や築堤が取り壊されて、跡に建物も建ち並ぶようになり、かつての面影は急速に消滅しつつある。 また、京阪電気鉄道は、かつて自社の保有する京阪本線と新京阪線(今の阪急京都本線)の梅田乗り入れを果たすべく、京阪梅田線なる鉄道路線を計画していたが、同計画においてはここ桜ノ宮駅の東側で城東線の下をくぐる予定になっており、その名残として京阪が設置費用を負担したガードが残存し、「京阪電鉄乗越橋」の名がついている。 さらに、国鉄が地上を走っていた時代の名残である駅南側の築堤には、梅田線のホームが建設される予定であったが、国鉄の社宅地に転用された。また、この築堤をくぐるカードは、明治以来の煉瓦積みの坑門が残っていた(北側抗門は現在線のコンクリ擁壁であった)。この築堤は、取り壊されて現在はマンションに転用され、煉瓦トンネル部分の築堤は撤去されて明かり区間となっている。ちなみに現在の西口がホームから離れているのは、これが理由である(京阪梅田線#遺構)。 現在も残る明治時代の遺構は、大川橋梁の橋台(桜ノ宮駅西口からリバーシティーへ向かう歩道から見える)と、駅東側のガード部分(都島中野幼稚園東側のガード)に残る橋台だけである。特に、幼稚園付近の橋台は4線分残っており、明治時代に当駅から網島駅へ向かう路線が分岐していたことを示す唯一の遺構であり、大変貴重な存在である。 隣の駅かつて存在した路線脚注記事本文出典
利用状況
参考文献
関連項目外部リンク
|