芦原橋駅
芦原橋駅(あしはらばしえき)は、大阪府大阪市浪速区浪速東一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の駅である。駅番号はJR-O17。駅シンボルフラワーは「なでしこ」である。 南海高野線(汐見橋線)の芦原町駅とは約300 m離れている[1]ため、乗り換えの案内はない。 歴史1909年(明治42年)に大阪市電西道頓堀天王寺線の芦原橋駅が開業し、1927年(昭和2年)には阪堺電鉄(のち大阪市電阪堺線。通称:三宝線)の芦原橋駅も開業した。 現在の大阪環状線のうち境川信号場 - 今宮駅間は、1928年(昭和3年)に関西本線貨物支線(大阪臨港線)として開通し、1961年(昭和36年)には大阪環状線として旅客線化されたが、当駅開業はその5年後の1966年(昭和41年)である。これは、1968年(昭和43年)をもって市電が廃止されることが決まり、市電の芦原橋駅 - 西浜町駅(廃駅)間付近に市電の芦原橋駅に代わる駅として当駅が設置された経緯による。 年表
駅構造相対式ホーム2面2線を持つ高架駅である[1]。有効長は8両編成分。分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。改札口は南口と北口の2か所にある。また、日本の鉄道駅で初めて身体障害者のためのエレベーターが設置された[1]。 新今宮駅が管理している直営駅である。アーバンネットワークに含まれているほか、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。 今宮駅との駅間距離は600 mしかなく、当駅ホームから目視できる。 のりば
長らくのりば番号が存在していなかったが、2006年10月18日にのりば番号が付与された。
ダイヤ日中時間帯は1時間に4本が停車する。大阪環状線内の駅の中で発着本数が最も少ない[6]。 発車メロディ「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から芦原橋太鼓集団「怒」の楽曲『祭』が発車メロディとして使用されている[7]。当駅周辺には多くの老舗太鼓メーカーがあり、太鼓が盛んであることに因んでいる。 利用状況2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は5,549人である。大阪環状線では今宮駅に次いで2番目に乗車人員の少ない駅である。 近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。
駅周辺当駅は鼬川(現在は埋立)に架かっていたあみだ池筋の橋である芦原橋の南東に位置し、駅名もこれに由来する。「芦原」は鼬川下流域が芦の生い茂る低湿地であったことに由来する[8]。鼬川の北側が難波、南側が木津となり、1900年(明治33年)に難波芦原町(現・浪速区芦原)の町名が誕生している。現在の駅周辺は、北側のほとんどが住宅や町工場が混在している下町の町並みで、南側は公営住宅が林立する住宅団地になっている。 駅の南側は、1701年(元禄14年)から1706年(宝永3年)にかけて穢多身分の住民移転により形成された西成郡渡辺村(大坂三郷天満組付属地。のち西浜町)の集落に当たる。渡辺村は1724年(享保9年)の大火で消火活動の功績があったことから長らく消防役を担っていた。また、移住以来皮革産業が盛んになり[8][9]、全盛期にはホームまで膠(にかわ)の香りがしたほどであった。特に太鼓の生産地として古くから有名で、駅前には太鼓屋が並び、2004年(平成16年)には駅からリバティおおさかまでの道筋に太鼓関連のモニュメントや看板が設置された人権・太鼓ロードが整備され、江戸時代の豪商「太鼓屋又兵衛」の屋敷跡である浪速玉姫公園には太鼓演奏が流れる「からくり時計」が設置された[10]。
バス路線大阪シティバスの路線が発着する。
隣の駅大阪市電大阪市電の駅は大阪環状線の駅の西北にある芦原橋駅前交差点付近にあった。 脚注記事本文出典
利用状況
関連項目外部リンク
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