栗田 (長野市)
概要地区の北西端に信越本線・北陸新幹線が走り、長野駅(東口)が置かれている。東部を東通り、西部を都市計画道路長野駅東口線が南北に走る。周囲は以下の大字・町丁と接する。
概ね都市計画道路長野駅東口線を境にして、東部の栗田区(栗田町)と西部の北中区(北中町)に二分される。 古くは農村であり、戸隠・善光寺別当の栗田氏が治めた。栗田氏が妻科村に日吉社を勧請したため、その土地のみ栗田村の飛び地となっていた[2]。神社が栗田村本村の栗田城跡に移転したのちも、神社跡の土地(現 南石堂町山王)は現在に至るまで栗田区の所有となっている。最近では土地に残っていた樹齢500年以上というケヤキについて、栗田区の事情で市の保存樹林指定が解除され伐採されたことで、地元南石堂町で反発の声が上がるといった出来事があった。 1888年(明治21年)の長野駅の開業以降、鉄道関連の施設が多く置かれるようになる。のちに貨物駅や車両基地は北長野駅に移転したが、東日本旅客鉄道長野支社は現在も北中町に置かれている。 表口である善光寺口側に対して、裏口である東口側は至便な住宅地として急速な発展を遂げた。しかし無秩序な発展が進んだことから生活環境や防災上の問題があり[3]、1993年(平成5年)から長野駅周辺第二土地区画整理事業が進められている。58ha、1,200戸を対象としたこの大規模事業は住民の反対運動等により当初計画より遅れている[4]ものの、2018年度(平成30年度)の完了を目指し[5]日々新たな街の姿が生まれている。特に、1997年(平成9年)の北陸新幹線高崎 - 長野間の開業に伴う長野駅東口広場の整備によって東口は長野市の鉄道・自動車交通の結節点として機能するようになり、松本駅に代わって白馬・大町方面への玄関口となっている。 沿革大字栗田の範囲は、概ね1879年(明治12年)時点の上水内郡栗田村の範囲に相当する。
行政区地区内の行政区・郵便番号・人口及び世帯数(令和5年3月1日現在)[1]は以下の通り。
交通鉄道JR・しなの鉄道長野駅(東口)があり、以下の路線が利用できる。 また、東西地下通路を介して、長野電鉄長野駅を利用できる。
路線バス長野駅東口から発着する、アルピコ交通(川中島バス)・長電バスの以下の路線系統が利用できる。
地区東部では、東通りを走るアルピコ交通(川中島バス)の以下の路線系統が利用できる。
そのほか、東西自由通路を介して長野駅善光寺口から市内路線バスのほとんどが利用できる。 →詳細は「長野駅 § バス路線」を参照
施設栗田
北中
脚注
外部リンク
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