川端駅

川端駅
駅舎(2017年7月)
かわばた
Kawabata
K15 追分[* 1] (9.4 km)
(16.0 km) [* 2]新夕張 K20
地図
所在地 北海道夕張郡由仁町川端
北緯42度54分53秒 東経141度53分41.25秒 / 北緯42.91472度 東経141.8947917度 / 42.91472; 141.8947917座標: 北緯42度54分53秒 東経141度53分41.25秒 / 北緯42.91472度 東経141.8947917度 / 42.91472; 141.8947917
駅番号 K17
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石勝線
キロ程 27.0 km(南千歳起点)
電報略号 カワ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度-
8人/日
-2014年-
開業年月日 1894年明治27年)8月1日[1]
備考 無人駅
  1. ^ この間に東追分信号場有り(当駅から5.4 km先)。
  2. ^ この間に滝ノ下信号場(当駅から3.3 km先)有り。
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川端駅(かわばたえき)は、北海道夕張郡由仁町川端にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線である。駅番号K17[2]事務管理コードは▲132101[3]

2024年3月16日に滝ノ上駅が廃止されて以降、石勝線で唯一普通列車のみが停車する駅となっている。

歴史

1976年の夕張線(当時)の川端駅と周囲500m範囲。右が夕張方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

当地からの火山灰採取、周辺の木材搬出のために駅が設置された[4]

  • 1894年(明治27年)8月1日北海道炭礦鉄道の駅として追分 - 紅葉山(現・新夕張)間に新設。一般駅[1]
  • 1900年(明治33年)1月16日:停車場位置変更(追分寄りに約400m移動)に伴うキロ改[5][6]
  • 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化[7]
  • 1910年代(大正時代初期):町内大火により駅舎全焼、移転改築[4]
  • 1919年(大正8年)4月29日:北炭夕張炭砿の湿式充填用土砂採掘のため、当駅構内-火山灰採取場間に川端専用鉄道約1km開通[8]
  • 1926年(昭和2年)頃:川端専用鉄道廃止。
  • 1981年(昭和56年)
    • 5月25日:貨物・荷物扱い廃止[9]。無人化[10]
    • 8月1日:夕張線(石勝線未開業部分を含)CTC化に伴い追分駅の被管理下となる[11][12]
    • 10月1日:石勝線開業に伴い同線の駅となる。
      • これに合わせて列車回数増加に対応するため当駅では有効長を550 m とし、運転整理用待避線(3番線)を新設する改良工事が行われている[13]。夕張線ではもともと有効長550 m を要する石炭列車が運転されていたものの、列車回数が少なく優等列車もないため、石炭列車を優先して当駅を通過扱いとすることで対応していた[13]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[7]
  • 1994年平成6年)7月24日:石勝線・根室線高速化工事に伴い同日に分岐器を弾性分岐器に交換[14][15]
  • 2001年(平成13年):12月12日:同駅を発車した夕張発追分行き普通列車が、安全側線に進入し脱線。乗客2名、乗務員1名に死者・負傷者なし[16]
    • 当日はダイヤの乱れにより、列車交換を臨時に当駅で実施することとなったが、通常通り停車中に指令員が乗務員に伝える前に、乗務員が停止信号を現示しているにもかかわらず、列車を発車させたことによるものであった[16]

駅名の由来

夕張川に最も近い箇所に開設された駅であったための名称、とされている[17]

駅構造

相対式ホーム2面2線(いずれも長さ70 m[13])を有する地上駅[18]で、駅舎側が3番のりば、反対側が2番のりばとなっている。両ホームは石勝線開業時の構内改良で新得方に設置された跨線橋で連絡している[19][13]。かつては2面3線の構造であったが、上下副本線だった旧1番線は信号設備およびポイントが撤去され使用不可となった。他の石勝線本線の無人駅・信号場と同様、分岐器はすべてシェルターで覆われている[20]

追分駅管理の無人駅。

のりば

番線 路線 方面 行先
2 石勝線 上り 千歳方面
3 下り 新夕張方面

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1967年(昭和42年) (52,538.0) (68.5) [21] 年間乗客数105,076人、1日平均137人
1985年(昭和60年) (50.0) [22] 利用人員100人(うち定期60人)[注 1]
1992年(平成04年) (41.0) [23] 1日乗降人員:82
2015年(平成27年) 「10名以下」 [JR北 1]
2018年(平成30年) 「10名以下」 [JR北 2]
2019年(令和元年) 「10名以下」 [JR北 3]
2020年(令和02年) 「10名以下」 [JR北 4]
2021年(令和03年) 「10名以下」 [JR北 5]
2022年(令和04年) 「10名以下」 [JR北 6]

駅周辺

商店など川端の集落がある。道央と道東を結ぶ国道274号は、札幌方面から見て当駅に向かって直進した後、当駅前で左折し、石勝線と並行するかたちとなる。

1990年代まで北海道中央バスにより当駅前から三川栗山岩見沢方面への路線が運行されていた。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
石勝線
追分駅 (K15) -(東追分信号場) - 川端駅 (K17)- (滝ノ下信号場) - (滝ノ上信号場) -(十三里信号場)- 新夕張駅 (K20)

脚注

注釈

  1. ^ 『追分町史』に基準年の記載がないため、発行前年度の値とみなして記載する。

出典

  1. ^ a b 北海道炭礦鐵道會社 第十回營業報告(明治27年上期)八頁。「當季間(明治27年4月-9月)ニ於イテ停車場ヲ開始セシハ早來、川端、厚別ノ三停車場ニシテ孰(イズ)レモ本年八月一日ヨリ乘客貨物ノ取扱ヲ開始セリ」。
  2. ^ “道央の新しい動脈 石勝線 プロフィールと撮影ガイド”. 鉄道ジャーナル 16 (1(通巻179)): 22-27. (1982-01-01). 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、227頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ a b 由仁町史編集委員会 編『由仁町史由仁町、1973年、886-902頁。doi:10.11501/9490608https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/94906082022年10月9日閲覧 
  5. ^ 竣工日は不明。北海道炭礦鐵道會社 第二十一回營業報告、明治32年11月16日付逓信大臣より変更許可。
  6. ^ 『官報』 1900年01月16日 逓信省彙報「停車場移転」(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 24号 石勝線・千歳線・札沼線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月27日、14-15頁。 
  8. ^ 国産としては2番目の蒸気機関車大勝号が運用されていた。
  9. ^ “日本国有鉄道公示第29号”. 官報. (1981年5月23日) 
  10. ^ “「通報」●幌内線萱野駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1981年5月23日) 
  11. ^ 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、1019‐1023頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  12. ^ 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、1028‐1036頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  13. ^ a b c d 『石勝線建設工事誌』日本鉄道建設公団札幌支社、1982年3月、480頁。doi:10.11501/12653289 
  14. ^ 藤島, 茂「JR北海道における130km/h高速化」『鉄道と電気技術』第8巻第4号、日本鉄道電気技術協会、1997年3月、68-71頁、doi:10.11501/3314045ISSN 0915-9231 
  15. ^ 藤野, 孝泰「バス代行による保守間合の確保(小特集『保守間合』 線路部門)」『日本鉄道施設協会誌』第32巻第12号、日本鉄道施設協会、1994年12月、24-26頁、doi:10.11501/3255389ISSN 0913-2643 
  16. ^ a b 航空・鉃道事故調査委員会(鉃道部会) (2012年5月9日). “鉄道事故調査報告書(報告書番号:2002-2-1)” (PDF). 運輸安全委員会. 2018年10月28日閲覧。
  17. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年。NDLJP:1029473 
  18. ^ 渡辺節雄 (1981-12). “国鉄・石勝線の開業について”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 31 (12): pp.13-18. doi:10.11501/3294531. ISSN 0040-4047. 
  19. ^ 渡辺節雄 (1981-12). “国鉄・石勝線の開業について”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 31 (12): pp.13-18. doi:10.11501/3294531. ISSN 0040-4047. 
  20. ^ 渡辺節雄 (1981-12). “国鉄・石勝線の開業について”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 31 (12): pp.13-18. doi:10.11501/3294531. ISSN 0040-4047. 
  21. ^ 由仁町史編集委員会 編『由仁町史由仁町、1973年、886-902頁。doi:10.11501/9490608https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/94906082022年10月9日閲覧 
  22. ^ 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、1019‐1023頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  23. ^ 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、95頁。ISBN 4-09-395401-1 
  24. ^ ポイントショップひらお”. 全日食会員サイト~MY全ちゃんサイト~. 店舗検索. 全日食チェーン. 2018年5月4日閲覧。

JR北海道

  1. ^ 極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2018年2月18日閲覧。
  2. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 全線区のご利用状況(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。
  3. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月7日閲覧。
  4. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2021年9月30日). 2022年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月1日閲覧。
  5. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道. 2022年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月9日閲覧。
  6. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2023年). 2023年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月26日閲覧。

関連項目

外部リンク