岡山県立高梁高等学校(おかやまけんりつ たかはしこうとうがっこう)は、岡山県高梁市内山下にある県立の全日制高等学校。岡山県下においても明治時代では、岡山(現・朝日高校)、津山、高梁、矢掛の4校しか県立中学(現在の高校に相当)がなく、岡山中に次ぐ2番目に古い歴史がある[1]。
特色
普通科と家政科の2科を置く。なお、普通科・家政科とも年間2学期制であり、単位制によって自由に授業を選択できる方式である。
高梁市においては最も歴史のある中等教育機関とされている。特に、中途併合となった順正女学校(現・家政科)は、岡山県下において初めて設立された女学校であるため、本学の家政科は県内において最も歴史の古い中等教育機関としての家政科と言える。
同校が立地する場所は備中松山城の出張所として平時に藩主が滞在した尾根小屋の跡地である。そのため当校は同城が建つ臥牛山の中腹に立つ、山丘と城壁に囲まれた立地であり、中庭には光風館と呼ばれる茶室と、江戸時代の大名であり庭師である小堀政一(遠州)が手懸けた心字池を囲む庭がある。
学科
教育方針
- 明朗で秩序ある学園の創造
- 聡明で品位ある人格の形成
- 健康で実践力のある社会人の育成
沿革
岡山県立高梁高等学校
- 1949年(昭和24年)8月 - 下記の二校を岡山県立高梁高等学校に統合
- 普通科(内山下本校)と家政科(伊賀町分校)を設置
- 1967年(昭和42年)4月 - 伊賀町分校の家政科を内山下本校に統合させ、伊賀町分校を正式に廃する
- 前年、伊賀町分校の設備所有権を新設校である順正短期大学に移譲(下記)
- 1972年(昭和47年)3月 - 温知寮(男子寮)・天体観測ドーム新築
- 1973年(昭和48年)3月 - 泉寮(女子寮)・創立記念会館新築
- 1980年(昭和55年)3月 - 光風館再建
- 2003年(平成15年)4月 - 二学期制導入
- 2004年(平成16年)4月 - 単位制導入
- 2006年(平成18年)4月 - 吉備北陵高校(在校生卒業までの2008年(平成20年)3月まで存続)と再編合併し新・高梁高校になる
順正高等女学校
- 1881年(明治14年)12月 - 福西志計子が高梁町大字向町に縫製所を創立する
- 1885年(明治18年)1月 - 縫製所に文学科を加え順正女学校として改組する
- 1895年(明治28年)7月 - 高梁市大字頼久寺町に新築移転
- 1908年(明治41年)4月 - 高梁市大字伊賀町に事務本拠を移転。私立順正高等女学校に改称
- 1921年(大正10年)4月 - 県営移管、岡山県順正高等女学校に改称
- 1943年(昭和18年)4月 - 岡山県高梁高等女学校に改称
- 1948年(昭和23年)4月 - 岡山県立高梁第二高等学校に改称
- (1949年(昭和24年)- 岡山県が県立高校の再編を開始。高梁第一高校との統合及び伊賀町校舎の廃止を打診される)
- (昭和30年代 - 伊賀町校舎の廃止を巡り、本学卒業生および高梁市民を中心に「廃止反対もしくは短大・大学の設置」を求める運動が起こされる)
- (1966年(昭和41年)9月 - 高梁高等学校、旧校舎跡を新設される学校に譲授。高梁市および大学設置運動団体、新設校に「順正」の名を遺すように働きかけ、受け入れられる)
- (1967年(昭和42年)4月 - 旧・伊賀町校舎の地に、新設校・順正短期大学が開学される。以降は同校の項目を参照)
高梁中学校
- 1895年(明治28年)8月 - 岡山県高梁尋常中学校を高梁町大字向町に設立
- 1899年(明治32年)4月 - 岡山県高梁中学校に改称
- 1900年(明治33年)10月 - 高梁市大字内山下の現在地に校舎新築移転
- 1901年(明治34年)5月 - 岡山県立高梁中学校に改称
- 1948年(昭和23年)4月 - 岡山県立高梁第一高等学校に改称
アクセス
著名な出身者
政治家・軍人
軍人
政治家
学者
学長・総長経験者
名誉教授
教授・研究者
実業家・銀行家
代表取締役経験者
取締役・その他経験者
芸能・文化人
スポーツ
弁護士
官僚
活動家
順正高等女学校出身者
ゆかりの人物
姉妹校協定
脚注
関連項目
外部リンク