松田壽比古
松田 壽比古(まつだ としひこ、1889年(明治22年)- 1917年(大正6年)7月18日[1])は日本のキリスト教伝道者。内村鑑三に影響を受け、弟の松田享爾と共にその配下である黒崎幸吉に師事した。現在の岡山県真庭市出身[2]。 経歴生い立ち1889年(明治22年)岡山県真庭郡美川村(現在の真庭市)に生まれる[2]。弟に松田享爾がいる。また、同郷出身者に小出義彦がいる。旧制岡山県立高梁中学校(現在の岡山県立高梁高等学校)を経て[3]、1912年(大正元年)旧制第六高等学校文科丙類に進学した[4]。1915年(大正4年)7月同校を26歳で卒業後[5]、東京帝国大学法科大学へ進学し、そこで内村鑑三と出会う。同じ頃、弟の享爾も東京にある旧制第一高等学校へ進学した。兄弟で熱心なキリスト教徒であったため、内村鑑三を師事して結成された無教会派の白雨会へ2人とも入会した[2]。 白雨会入会後白雨会に入会した後も、兄弟揃って熱心な布教活動を続けた。1916年(大正5年)7月14日、壽比古が大学2年生の時に、法学士として広島県庁へ出かけた。そこで、病を患い神奈川県平塚で療養することになる[6]。同郷出身の小出義彦が心配して、壽比古のもとへ見舞いに行こうとしていた、そんな折、壽比古は高等文官試験を受けるため東京へ滞在していた。受験後、壽比古の容態が急変し、1917年7月18日に死去した[6]。享年28歳。高等文官試験に合格していたため、順調にいけば、1年後の1918年に卒業となり官僚となる予定であった[7]。 脚注
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