赤木攻
赤木 攻(あかぎ おさむ、1944年(昭和19年)7月28日[1] - )は、日本の東南アジア地域研究者。大阪外国語大学名誉教授、大阪外国語大学第9代学長、前大阪観光大学学長、元泉佐野市教育委員長。元アース製薬社外取締役、専門は、タイ政治・社会論[2]。 経歴生い立ち1944年、岡山県阿哲郡草間村(現・新見市足見)に生まれる。岡山県新見市立井倉中学校、岡山県立高梁高等学校を経て、1967年に大阪外国語大学外国語学部タイ語学科(現・大阪大学外国語学部)を卒業後、タイ王国立チュラーロンコーン大学文学部に留学した[2]。 1969年から大阪外国語大学に助手として奉職する。1975年タイのチュラーロンコーン大学、タムマサート大学で客員講師を勤め、1985年には、在タイ日本国大使館の専門調査員となった[3]。その後、母校へ戻って1988年に教授となり、大阪外国語大学の講義では、地域文化学科アジア 2 講座教授(東南アジア地域研究・タイ国政治)を担当した[2]。1994年に米国ノーザンイリノイ大学東南アジア研究センター短期研究員、大阪外国語大学学生部長を経て、1999年から2003年まで大阪外国語大学第9代学長を務める。2003年(平成15年)同大学名誉教授となる。 秋篠宮家との関係長年の功績が認められて、2004年(平成16年)には、秋篠宮家学術顧問となり、赤木氏らの紹介もあって、秋篠宮文仁親王のニワトリやナマズの研究に対し、タイのマハーサーラカーム大学を含む10校以上もの大学から名誉博士号を授与されている。日本の皇室と非常に強い結びつきがあり、20年経った2024年現在も学術顧問である。文仁親王妃紀子の父である川嶋辰彦とは30年来の付き合いであり、自身と同じタイに赴き、日本からタイの農村に学生、青年を連れて行き、農村生活を一緒に経験させることによって、井戸掘りをやったり、若い人に経験させることによって、助け合いとか自立心とか、環境問題とかそういうことを考えながら、国際交流をしてボランティアをするという活動をされていたんです[4]。とメディアに語っている。その他にも、日本学生支援機構参与・東京国際交流館館長(2004~8年)、東京外国語大学特任教授(2008~10年)、泉佐野市教育委員会委員長(2008~15年)、大阪観光大学教授・国際交流学部長・副学長・学長(2012~20年)などを歴任する。また、2012年3月~2019年3月までアース製薬の社外取締役なども受けている[2]。 社会活動歴
受賞歴
著作以下の他に、タイ語学関連書籍の監修なども行っている。 単著
共編著
翻訳著
論文
脚注
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