大阪薬学専門学校 (旧制)
大阪薬学専門学校 (おおさかやくがくせんもんがっこう) は、1917年 (大正6年) に設立された私立の旧制薬学専門学校。略称は大薬または大阪薬専。1949年に国立移管され、大阪大学医学部薬学科 (現 大阪大学大学院薬学研究科・薬学部) となった。本項では、私立大阪薬学校など前身諸校を含めて記述する。 概要1886年(明治19年) に設立された大阪薬学校を源流とする。大阪薬学専門学校は私立で設立されたが、第二次世界大戦後の学制改革に際して全財産が国に寄付され、大阪大学医学部薬学科となった (旧制の在校生は大阪大学附属薬学専門部に収容)。同窓会は 「大阪大学薬友会」 と称し、旧制・新制合同の会である。 沿革前史共立薬学校時代
私立大阪薬学校時代大阪薬学専門学校時代
学制改革で新制大学へ移行するに当たっては、三つの案が存在した: (1) 大阪大学との合併案、(2) 帝国女子薬学専門学校 (現大阪薬科大学) との合併案、(3) 単独昇格案。大阪薬専は過去にも官立移管を企てたことが 2度あり、学校当局は (1) を選択した。大阪大学の薬学部設置意向を受け、統合に向けた顔合わせを1947年7月に開始している。しかし、教授会・生徒らは大阪大学との合併には反対で、大阪大学側にも薬学科新設による既存学科への皺寄せを懸念する声があった。校内紛糾の中、1948年7月の新制大学設置申請に当たっては、辛うじて単独での大学設置を申請した。1948年末、文部政務次官 左藤義詮の斡旋により、大学昇格問題は大阪大学と合併する方向で決着した。
校地共立薬学校設立時、校舎は大阪市北区樽屋町に存在した。大阪共立薬学校と改称後の1892年1月、北区今井町に校舎移転。私立大阪薬学校と改称後、1904年1月には北区上福島の旧府立高等女学校校舎に移転。さらに1916年1月には、旧日本橋第二尋常小学校校舎に移転した。 私立大阪薬学専門学校は日本橋校地で発足後、1931年10月に大阪府豊能郡桜井谷村大字刀根山の新校舎が完成し移転した。刀根山校地は大阪大学移管時にそのまま引き継がれた。1975年3月に大阪大学薬学部が大阪府吹田市に移転した後、刀根山校地は大阪府立刀根山高等学校の校地となり、現在に至っている。 歴代校長
著名な出身者関連項目脚注
関連書籍
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