横田誠一郎
横田 誠一郎(よこた せいいちろう、1881年(明治14年)9月[1] - 1920年(大正9年)4月3日[2])は、日本の外務官僚。岡山県出身。 経歴生い立ち1881年(明治14年)岡山県に生まれる。地元に近い旧制・高梁中学(現・岡山県立高梁高等学校)を経て、1901年(明治34年)第六高等学校に進学[1]、その後、1904年(明治37年)7月に同校卒業、同年に東京帝国大学法科大学政治学科へ進学した[3]。1908年(明治41年)7月、26歳で同大学を卒業した。 国家公務員として大学を卒業した翌年の1909年(明治42年)文官高等試験外交科(外交官及領事館試験)に合格した。外務省の同期には、徳川宗家17代当主の徳川家正、後に文部大臣になる岡部長景がいた。その後、初任地として中国の天津官補へ配属された。その後、外務省政務局の第二課長へ昇進したが、在任中の1920年(大正9年)に病没した[4]。 脚注[脚注の使い方]
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