吉備国際大学短期大学部
吉備国際大学短期大学部(きびこくさいだいがくたんきだいがくぶ、英語: Kibi International University Junior College)は、かつて日本に存在した私立短期大学。 岡山県高梁市に本部を置き、学校法人順正学園によって運営されていた。 概観![]() (伝・三島中洲撰文、明治38年8月設置) 1885年に福西志計子が設立した順正女学校(現・岡山県立高梁高等学校家政科)の跡地に、順正短期大学として1967年に新設された短期大学である。旧称(現在の運営母体の学園名)である「順正」も同女学校より取られたものである[1]。その名称は福西が理想とする人材の指標として掲げた四字熟語である「温順貞正」(おんじゅんていせい。穏やかかつ素直にして、誰の目にも明らかに正しいこと)に由来し、その原意(正出典)は『孟子』の「以順為正 妾婦之道成」(順《すなお》を以て正しきを為すは妾婦《しょうふ》[注 1]の道なり)ないしは『礼記』の「君子は情に帰ってその志を和げ邪僻の気は身体の中におかず、知覚肉体すべて順正の道によって本義を実行せしむ」にある[2]とされる。それは、本学を設置した者たちによる「順正の理念に共鳴し名を受け継いでいこう」とする思いからの事であるとされる[1]。 本学設立のきっかけとなったのは、1966年(昭和41年)岡山県当局の主導で行われた高梁高等学校伊賀町校舎の廃止である[3]。これに対して、地元・伊賀町と頼久寺町の居住者および同校卒業生を中心とする市民たちが反発。彼女らは自らが慣れ親しんだ伊賀町から学び舎の灯が消える事を嘆き、その悲痛を高梁高校同窓生および高校周辺地在住市民による要望・陳情という形で高梁市に申し入れた[3]。市は伊賀町校舎の跡地活用として様々な模索[注 2]をしてきたが、元よりそれ以前より高梁市(旧市)誕生時における建設計画の付帯決議として短期大学の設置が求められていた[4]こともあいまって、最終的には彼女らの陳情を受諾し伊賀町の順正女学校跡地に高等教育機関を設立することを決定する[3][5]。 この決定を受け、当時の高梁市長であった鈴木雄祥は県内外の関連機関に教育機関の誘致を願い打診するが、各所からは色よい返事は受けられず、唯一これに応えたのが岡山県・広島県の各地で教育機関を設置させ、運営実績のあった加計勉であった[3]。加計は「順正の卒業生」たちの願いと、それを汲まんとする市長および市当局の熱意、さらには市にそれだけの事をさせた福西の遺志とそれを絶やさなかった教え子たちの存在に感じ入り高梁市の要請に応える事を決意し、高梁市と共同出資の形で「学校法人 高梁学園」[注 3]を設立させた。順正女学校跡地に共学校である「順正短期大学」を新設させた。この新設校が当時の女子高等教育機関としてポピュラーであった短期大学とされたのも、その学校に「順正」の名を遺したのも、福西が業績を打ち立てた順正の地に他ならぬ福西の理想とした女子のための高等教育機関を、と市民たちが加計に対し陳情した結果だった[5]。この設立時における歴史の流れから、本学および後述の順正高等看護福祉専門学校および吉備国際大学(順正学園)は福西を自らのルーツとしている[1]。 設立時より附設教育機関(附属専門学校)として順正高等看護福祉専門学校(通称:順正高看)[注 4]を持つ。加計(高梁学園)が1990年に順正短期大学の隣地へ、実質的な上位校として吉備国際大学を設立させて以降は、同大学と本学は一体的な運用が成され、2010年における運営母体の組織改革をもって吉備国際大学に併合されて同大学の短期課程となる[6]。また、この組織改革によって「順正」の名は運営法人の名となった[6]。 2014年に学生の新規受験受付を停止。2016年に、順正としての伝統を併設校である順正高等看護福祉専門学校と上位校である吉備国際大学に譲り[要出典]課程を休止し、翌年1月に廃止認可された[6]。跡地および設備は引き続き上記の関連両校によって校舎・学舎として管理されている(下記も参照)。 大学全体往時は1学科3専攻からなっていた。高梁市の本部ほか岡山駅前にもキャンパスが存在した。 建学の精神(校訓・理念・学是)教育理念は「学生一人ひとりのもつ能力を最大限に引き出し引き伸ばし、社会に有為な人材を養成する」である。また、上述した順正女学校の名称由来および理念もまた校是として継承するとされている[1]。これは運営法人である順正学園全体の教育理念・校是でもあるため、上位校の吉備国大および附設校の順正高看も同じ理念を掲げている。 教育および研究保健科をベースに美容・健康・歯科衛生に関する専攻があった。ほか、保育者を養成する幼児教育科が存在した(指定保育士養成施設)。 学風および特色
沿革略歴学校法人高梁学園・順正短期大学として1967年、岡山県高梁市の現敷地に附設校である「順正高等看護専門学院」(現・順正高等看護福祉専門学校)とともに開校する。 1990年には隣接する敷地に4年制大学「吉備国際大学」(通称・吉備国)が開校。同学園による系列校(実質的な上位学校)ということもあって様々な人的な交流関係が始まる。また、同学園・同一敷地内の系列校という事情から施設の共用も行われており、順正短大の1号館は同時に吉備国の1号館でもあった。これらの歴史的な流れによって、2010年に学校法人名の改称(高梁学園から順正学園となる)と共に学園組織の改組が行われたのを機に、当大学名も改称されて吉備国際大学の短期大学部という扱いに変わり、名実共に吉備国際大学と一体になった。 年表
基礎データ所在地
象徴旧順正短期大学時代のカレッジマーク(校章)は松山城がある臥牛山(小松山・大松山)の山麓に位置することから2葉の松葉をモチーフとしている。松葉の葉先を向かい合わせに三日月状に配し、その中央に「學」の文字をあしらったものであった 2010年(平成22年)の大学名称の改称で吉備国際大学の一部となったことから、カレッジマークも吉備国際大学のそれへ統合された。一方で順正高看の校章は引き続き先述のものである。 教育および研究組織学科専攻科
別科
取得資格について
附属機関
廃科後の後継機関以下の専攻における資格取得・人員養成や研究成果に関しては、併設関連校が成果内容を引き継いでいる。
学生生活部活動・クラブ活動・サークル活動学園祭
大学関係者と組織→「吉備国際大学の人物一覧」も参照
設立に関与した者大学関係者一覧歴代学長
施設![]() キャンパス高梁キャンパス
岡山キャンパス寮「たかはし寮」と「歯科岡山寮」の2つの学生寮があり、いずれも女子のみ入寮が可能であった。 史跡![]()
対外関係姉妹校系列校
系列福祉施設脚注注釈
引用
参考文献
関連項目 |
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