小川 貞雄(おがわ さだお、1944年1月24日 - )は、神奈川県出身のプロゴルファー。
1959年にプロ入りし[1]、1964年の日本オープンでは佐藤精一と並んでの4位タイ[2] [3]に入った。
1968年の日本プロでは初日をティーショットでラフに入れたのは17番での1回だけと、コースをうまく攻略して、6バーディー、2ボギーの4アンダー68をマークし首位に立ったが、2日目には崩れ、ラフに苦しんでスコアを落とした[4]。
1992年には関東プロシニアで松井功と並んでの5位タイ[5]、第一生命カップシニア5位[6]、日本プロシニアではブルース・デブリン(オーストラリア)と並んでの2位タイ[7]、コマツオープン9位[8]、JAS CUPシニアでは郭吉雄(中華民国)と並んでの10位タイ[9]、BMWクラシックin北海道サム・スニードカップでは小川清二、エリュテリオ・ニバル(フィリピン)、ダンク・宮本省三と並んでの9位タイ[10]、三越シニアクラシックでは石井裕士・河野光隆・許渓山&陳健忠(中華民国)と並んでの9位タイ、とうきゅうシニアカップでは謝敏男(中華民国)、ビル・ダンク(オーストラリア)と並んでの5位タイ[11]、緑営グループ杯シニアでは内田繁・木本挙国と並んでの5位タイ[12]に入った。
1994年にはコマツオープンで内田・郭吉と並んでの8位タイ[13]、緑営グループ杯シニア3位[14]、1996年にはHTBシニアクラシックで内田と並んでの5位タイ[15]に入った。
1998年にはキャッスルヒルオープン6位[16]に入り、関東プログランドシニアで初優勝[1]。
2005年の関東グランドシニアでは最終日にエージシュートを達成し、内田袈裟彦・佐藤・原政雄・陳清波(中華民国)を抑えて優勝[17]。