小川 清二(おがわ せいじ、1942年10月29日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。
来歴
20歳からゴルフを始め、1969年にプロ入りする[1]。
1970年の日本オープンでは最終日に67をマークし、河野光隆と並んでの7位タイ[2]に入った。
1973年の関東オープンでは初日を高橋信雄・陳清波(中華民国)と並んでの3位タイ[3]でスタートし、ファーストフライトでは河野高明・尾崎将司、ベン・アルダ(フィリピン)、石井裕士・高橋に次ぐと同時に村上隆・青木功・鷹巣南雄・橘田規を抑えての6位[4]に入った。
1975年の沖縄クラシックでは初日に小雨がぱらつき、10mを超す突風が吹き荒れる悪コンディションの中を3アンダー69で首位に立つ[5] [6]。2日目には日吉定雄と並んでの9位タイ[7] [8]に後退するが、3日目には内田繁・日吉と並んでの4位タイ[9] [10]に再び浮上し、最終日には吉川一雄と並んでの7位タイ[11] [12]に終わった。
1983年には和歌山オープンで初優勝[1]を挙げ、ジーン・サラゼン ジュンクラシックでは3日目に68をマークして尾崎将の2位[13]に着けた。
1984年には埼玉オープンで2勝目を挙げ[1]、1985年の同大会では佐野修一・新井規矩雄と並んでの4位タイ[14]に入った。
1987年の千葉オープンでは牧野裕・中村忠夫・長谷川勝治に次ぐと同時に中尾豊健・磯崎功と並んでの4位タイ[15]に入り、1990年の関東プロ[16]を最後にレギュラーツアーから引退。
1992年にはBMWクラシックin北海道サム・スニードカップでは小川貞雄、エリュテリオ・ニバル(フィリピン)、ビル・ダンク(オーストラリア)、宮本省三と並んでの9位タイ[17]、近鉄ホームシニア8位[18]、スポーツ振興カップで郭吉雄(中華民国)・人見俊広と並んでの4位タイ[19]、とうきゅうシニアカップでは上田鉄弘・鈴村照男と並んでの2位タイ[20]、鳳凰カップでは鈴村久と並んでの5位タイ[21]に入った。
1993年には関東プロシニアで杉本英世と並んでの8位タイ[22]、マルマンシニアでゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)と並んでの9位タイ[23]、ヤナセカップでは石井と並んでの8位タイ[24]、アイスターカップ'93では10位[25]、旭国際ヴィンテージでは寺本一郎・宮本と並んでの6位タイ[26]、'93緑営グループ杯シニアでは勝俣功と並んでの8位タイ[27]に入った。
1994年は日本プロシニアでは天野勝と並んでの3位タイ[28]、コマツオープンでは天野・ダンクと並んでの2位タイ[29]、HTBシニアでは新井規矩雄と並んでの2位タイ[30]、名古屋テレビカップでは新井・河野光隆・鈴村照と並んでの4位タイ[31]、鳳凰カップで謝永郁(中華民国)と並んでの6位タイ[32]、旭国際ヴィンテージでは上田・許渓山(中華民国)・橘田光弘・ダンク・寺本と並んでの7位タイ[33]に入った。
1995年は日本プロシニアで郭吉・河野高明・小林富士夫と並んでの9位タイ[34]、HTBシニア7位タイ[35]、コマツ名古屋テレビオープン7位[36]、とうきゅうシニアカップでは新井と並んでの2位タイ[37]に入った。
1997年にはTPCスターツシニアでは最終日の最終ホールまで金井清一と死闘を繰り広げ、シニア初優勝を飾った[38]。コマツ名古屋テレビオープンでは中山徹を抑えて[39]2勝目を挙げ、2000年には日本シニアオープンで海老原清治と並んでの4位タイ[40]、2001年のキャッスルヒルオープンでは曽根保夫と並んでの7位タイ[41]に入った。
2017年には病院で前立腺肥大と診断され、癌の可能性もある中、医師同行でスターツシニアに出場[42]。初日には奥田靖己と同組で、最終18番での執念のバーディでエージシュートを決めた[42]。
2019年には金秀シニア沖縄オープン、関東プロゴールドシニア、日本プロゴールドシニアの3試合に出場して計6ラウンド全てエージシュート達成という快記録を樹立し、スターツシニアも1バーディー・5ボギーの76でエージシュート連続達成ラウンド数を「7」に伸ばした[43]。
主な優勝
- レギュラー
- 1983年 - 和歌山オープン
- 1984年 - 埼玉オープン
- シニア
- 1997年 - スターツシニア、コマツ名古屋テレビオープン
- 2010年 - 日本プロゴールドシニア
脚注
- ^ a b c 小川 清二 オガワ セイジ SEIJI OGAWA
- ^ 第35回日本オープンゴルフ選手権(1970年)
- ^ 朝日新聞縮刷版p236 昭和48年9月7日朝刊18面「無名の菊地がトップ パットさえ、5アンダー 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p847 昭和48年9月24日夕刊5面「18アンダー河野高優勝 ファーストフライト・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p389 昭和50年1月17日朝刊15面「ゴルフ、南から幕あく 初日、小川69でトップ 沖縄クラシック」
- ^ 朝日新聞縮刷版p433 昭和50年1月17日朝刊17面「3アンダー小川リード 沖縄クラシック」
- ^ 毎日新聞縮刷版p413 昭和50年1月18日朝刊11面「上田、一挙トップ 沖縄ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p463 昭和50年1月18日朝刊15面「上田がトップ 青木らは失格 沖縄クラシック・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p440 昭和50年1月19日朝刊14面「沼沢首位奪う 沖縄ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p491 昭和50年1月19日朝刊15面「沼沢が単独トップ 沖縄クラシック・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p461 昭和50年1月20日朝刊15面「沼沢、手がたく"初笑い" プロ入り七年目の栄冠 沖縄ゴルフ最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p518 昭和50年1月20日朝刊18面「沼沢が初優勝 沖縄クラシックゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1187 昭和58年10月30日朝刊17面
- ^ 毎日新聞縮刷版p407 昭和60年7月12日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p624 昭和62年7月15日朝刊20面
- ^ 小川 清二選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 各日最終成績 BMWクラシック in 北海道サム・スニードカップ
- ^ 各日最終成績 インターナショナルゴルフトーナメント 近鉄ホームシニア
- ^ 各日最終成績 92スポーツ振興カップ
- ^ 各日最終成績 五島 昇メモリアル とうきゅうシニアカップ
- ^ 各日最終成績 第6回 鳳凰カップゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 '93スプリングス杯 関東プロゴルフシニア選手権大会
- ^ 各日最終成績 93マルマンシニアゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 第8回 ヤナセカップゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 アイスターカップ'93
- ^ 旭国際ヴィンテージクラシック ゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 93緑営グループ杯シニアゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 94日本プロゴルフシニア選手権大会
- ^ 各日最終成績 コマツオープン'94
- ^ 各日最終成績 HTBシニアクラシック
- ^ 各日最終成績 第4回 名古屋テレビカップ
- ^ 各日最終成績 第8回 鳳凰カップゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 旭国際ヴィンテージクラシック ゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 95日本プロゴルフシニア選手権大会
- ^ 各日最終成績 HTBシニアクラシック
- ^ 各日最終成績 コマツ名古屋テレビオープン
- ^ 各日最終成績 五島 昇メモリアル とうきゅうシニアカップ
- ^ <スターツシニア>挑戦を続ける歴代チャンピオン小川清二、75歳「エージシュートを狙う!」
- ^ 各日最終成績 コマツ名古屋テレビオープン
- ^ 各日最終成績 日本シニアオープンゴルフ選手権競技
- ^ 各日最終成績 キャッスルヒルオープン
- ^ a b ドクター同行で試合後も検査…74歳・小川清二が執念のエージシュート
- ^ 〔スターツシニア・1R〕76歳小川は76ストローク、見事エージシュート達成
外部リンク