ベン・アルダ(Ben Arda、1929年6月13日 - 2006年12月20日)はフィリピン出身のプロゴルファー。
ニックネームは「バンタム・ベン」「トイ・タイガー」。
概要
1960年代から1970年代にかけて、アジアを代表するゴルファーの一人であり、フィリピン出身のゴルファーとしてマスターズと全英オープンの出場資格を初めて獲得した。 フィリピンオープンを含む3回のアジアサーキットでのトーナメントで優勝し、1970年には賞金王に輝く。日本ツアーでは4勝を挙げ、1973年の日本オープンでは青木功との大激戦の末に出場16年目での初優勝を飾る[1] [2] [3]。最終日最終組最終ホールでの決着となり、現在でもプロツアー界で語り継がれている[2]。ワールドカップゴルフにも16回出場し、1977年にパートナーのルディ・ラバレスと共に団体で2位に入賞。
ゴルフ場設計者としての顔を持ち、日本では長野県岡谷市の「諏訪レイクヒルカントリークラブ」の設計を担当した[2]。
プロでの成績 (15)
日本ツアーでの成績 (4)
日本以外の国での成績 (11)
メジャー大会での成績
Note: Arda never played in the U.S. Open nor the PGA Championship.
Did not play
CUT = missed the half-way cut (3rd round cut in 1972 Open Championship)
出典
- ^ “三田村昌鳳が語る日本オープン(2)”. ゴルフダイジェスト・オンライン (2011年10月12日). 2019年5月18日閲覧。
- ^ a b c ゴルフコース - 高原のゴルフ&ホテルリゾート 諏訪レイクヒルカントリークラブ
- ^ JGA 日本ゴルフ協会 【2008年度(第73回)日本オープンゴルフ選手権競技】