磯崎功
磯崎 功(いそざき いさお、1955年8月20日 - )は神奈川県出身のプロゴルファー。 来歴厚木市立睦合中学校卒業後の1975年にプロ入りし[1]、1981年の東芝太平洋マスターズでは初日に6アンダー[2]66のコースレコードで首位に立つ[3]。好調なアプローチで7バーディーのうち4バーディーを1m以内に寄せ、ダニー・エドワーズ(アメリカ)に1打差付けて初のトーナメントリーダーとなった[3]。2日目には前日12位のロン・ヒンクル(アメリカ)が65のコース新で一気に首位を奪われ、磯崎は73を叩いて呂西鈞(中華民国)・川田時志春に並ばれての5位タイに落ちる[4]。3日目には首位と5打差内の8位に着け[5]、最終日には青木功、ボビー・クランペット(アメリカ)、鈴木規夫、D.A.ワイブリング(アメリカ)と並んでの7位タイ[6]に入った。 1982年の日本国土計画サマーズでは初日に64をマークして首位[7]でスタートし、2日目には杉原輝雄・鈴木と首位タイで並ぶ[8]。3日目には杉原・鈴木と炎天下での激烈な首位争いを演じたが、鈴木と共に14番でボギーを叩き、1オーバー2位タイに後退[9]。最終日には3打差スタートの杉原に前半こそピタリとつけたが、杉原が2個目のバーディーを奪った10番を落とし、鈴木と並んでの2位タイ[10]に終わった。関東オープンでは尾崎将司・羽川豊に次ぐと同時に吉武恵治・菊地勝司・杉本英世・中嶋常幸を抑え、小林富士夫と並んでの3位タイ[11]に入った。 1983年には武富士サイパンで尾崎直道・湯原信光・上原宏一・高橋勝成・出口栄太郎・中村稔・中川泰一・杉田勇と並んでの6位タイ[12]、日本プロでは山本善隆・増田光彦と並んでの9位タイ[13]に入った。 1984年には島田幸作とペアを組んだアコムダブルス[14]でデビッド・イシイ(アメリカ)&湯原信光ペアを抑えて優勝し[15]、かながわオープンでは矢部昭・河野和重と並んでの4位タイ[16]、日本オープンでは藤木三郎・草壁政治と並んでの3位タイ[17] [18]に入った。 1985年にはKSB瀬戸内海オープンでは倉本昌弘・小林に次ぐと同時に中松幹雄と並んでの3位タイ[19]、ブリヂストン阿蘇オープンでは栗原孝・新井規矩雄・金子柱憲・金井清一・安達典夫・川上実と並んでの10位タイ[20]、よみうりサッポロビールオープンでは陳志明(中華民国)・中村通と並んでの3位タイ[21]、サントリーオープンではコリー・ペイビン(アメリカ)、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)と並んでの6位タイ[22]に入った。 1987年の千葉オープンでは牧野裕・中村忠夫・長谷川勝治に次ぐと同時に中尾豊健・小川清二と並んでの4位タイ[23]に入り、1988年のスポーツ振興オープン[24]で2勝目を挙げた[1]。 1989年には水戸グリーンオープンで市川幹雄と並んで太田慶治・小島昭彦に次ぐ3位タイ[25]に入ったが、1996年のアコムインターナショナル[26]を最後にレギュラーツアーから引退。 2024年現在は入野太と共に山梨県プロゴルファー会会員[27]。 主な優勝
脚注出典
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