塩狩峠
塩狩峠(しおかりとうげ)は、北海道上川郡比布町(旧石狩国)と上川郡和寒町(旧天塩国)の境にある峠[注釈 1]。天塩川水系と石狩川水系の分水界である[1]。 概要標高は263メートル[1]。名寄盆地と上川盆地を結ぶ交通路として開削され、北海道内の旧国名である天塩国の「塩」と、石狩国の「狩」をとって命名された[1]。 道路1898年(明治31年)に現在の国道40号の前身となる仮定県道天塩線が開通[1][2][3]。当初は悪路であったが1973年(昭和48年)に改良改修[3]、1991年(平成3年)には現ルートが完成し、勾配やカーブが緩やかな峠になった[3]。高速道路は、2000年(平成12年)に道央自動車道(旭川鷹栖 - 和寒間)が開通[4]。峠付近は大規模な切通しになっている。 鉄道道路開通の翌1899年(明治32年)に宗谷本線の前身である北海道官設鉄道天塩線(蘭留 - 和寒間)が県道と並行して開通した[1][3]。その10年後の1909年(明治42年)2月28日に列車が分離し、鉄道員の長野政雄が殉職する事故が発生した(塩狩駅#長野政雄の殉職も参照)。この事故は、三浦綾子の小説『塩狩峠』の題材になった。 1916年(大正5年)9月5日には峠の頂上付近に塩狩信号所が設置され[5]、後に塩狩駅として乗降が可能になっている。 施設塩狩峠記念館塩狩駅近くには長野政雄の顕彰碑が建立され[注釈 2]、三浦の旧宅を復元した塩狩峠記念館がある[6]。 わっさむ塩狩峠公園和寒町公園設置及び管理条例に基づき「わっさむ塩狩峠公園」が設置されている[7]。2022年(令和4年)10月には公園内に三浦綾子の「塩狩峠」の一節を引用した文学碑が建立された[8]。このほか2022年10月末までに鳥瞰図なども設置され整備が完了し、桜の咲く2023年(令和5年)5月に開園セレモニーを開催することになった[9]。 周辺約1600本のエゾヤマ桜(オオヤマザクラ)があり、桜の名所となっている[10]。 1963年(昭和38年)には塩狩駅の東側に国設塩狩スキー場が開設された(現在は廃止され森林に復元されている)。 2013年(平成25年)に塩狩ヒュッテユースホステルが開館した。
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia