吉野村(よしのむら)は東京都の西部、西多摩郡に属していた村。
地理
現在の青梅市の南部に位置する。
歴史
村名は、江戸時代から梅の名所として知られていたが、さらに多くの桜を植え、桜の名所にしたいということから大和の吉野にならって吉野村と名づけられた。
村域の変遷
変遷表
1868年 以前
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1889年 4月1日
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1955年 4月1日
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現在
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下村
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吉野村
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青梅市 に編入
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青梅市
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畑中村
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日影和田村
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柚木村
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大字
- 下(しも) - 下は下分(後に下郷:現在の梅郷(ばいごう)1・2丁目)、中分(後に中郷:梅郷3~5丁目)、上分(後に上郷:梅郷六丁目)に分かれる[2][3]。
- 畑中(はたなか)
- 日影和田(ひかげわだ) - 現在の和田町(わだまち)。
- 柚木(ゆぎ)
行政
- 歴代村長
- 歴代助役
人口・世帯
人口
総数 [単位: 人]
世帯
総数 [単位: 世帯]
1913年(大正2年) | 540[6] |
1920年(大正9年) | 571[7] |
1925年(大正14年) | 590[8] |
1930年(昭和5年) | 601[9] |
1935年(昭和10年) | 610[10] |
1940年(昭和15年) | 605[11] |
交通
鉄道
脚注・出典
- ^ 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.3 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
- ^ 第4支会のご紹介 - 青梅市自治会連合会HP
- ^ a b c d e f 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1220
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1221
- ^ a b 東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑 p.36 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査速報. 世帯及人口 p.33 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査報告. 大正14年 第3巻 p.12 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊 p.25 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊 p.16 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.15 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2 p.35 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報. 1951年02月10日 p.5 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 4040011309
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
- 青梅市史編さん委員会『増補改訂 青梅市史 下巻』1995年10月20日。
- 東京都西多摩郡役所『東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑』、東京都西多摩郡役所、1914年11月
- 臨時国勢調査局『国勢調査速報. 世帯及人口』、帝国地方行政学会、1920-1921年
- 内閣統計局『国勢調査報告. 大正14年 第3巻』、内閣統計局、1926年
- 東京府知事官房調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊』、東京府、1931年
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊』、東京府総務部調査課、1936年
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行』、東京府総務部調査課、1941-1942年
- 総理庁統計局『臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2』、1948年
- 大蔵省印刷局『官報. 1951年02月10日』、日本マイクロ写真、1951年
関連項目