碑衾町(ひぶすままち)は、東京府荏原郡にかつて存在した町である。現在の目黒区の南部に位置していた。町名の由来は碑文谷と衾。おおむね東急東横線の沿線にあたる。
沿革
村長・町長歴代
合併し消滅
経済
産業
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば碑衾村の篤農家は、「栗山久次郎、河原源右衛門、井上銀蔵」などである[5]。農業を営む人物は「栗山仙太郎、栗山徳蔵、栗山政五郎、小杉鎌吉、小杉信太郎」などである[6][7]
- 商工業
交通
鉄道
道路
いずれも現在の呼称。
名所・旧跡
- 八雲氷川神社 - 衾字中宮前1695番地
- 碑文谷八幡宮 - 碑文谷字宮ノ久保1938番地
- 熊野神社 - 衾字谷山野2689番地
- 円融寺 - 碑文谷字門前1093番地
- 高木神社 - 碑文谷字子ノ神1687番地
- 金蔵院 - 衾字中宮谷1425番地
- 常円寺 - 衾字東寺山570番地
- 東光寺 - 衾字東寺山565番地
- 正泉寺 - 碑文谷字門前1115番地
- 立源寺 - 衾字中本村2060番地
- 北野神社 - 衾字東下通473番地
- 碑文谷鬼子母神 - 碑文谷字向原260番地
地域
- 大字碑文谷
- 字東原、金杉原、月光原、向原、池ノ上、谷頭、六畒割、唐ヶ崎、鷹番、五本木前、馬引沢境、北三谷、三谷、田向、門前、東池ノ下、法界塚下、金杉下、十羅刹下、下山、中丸、池ノ谷、南原、原、大門東、寺前、子ノ神、子ノ神前、三合塚、道京塚、宮ノ久保、安藤山、上ノ台、本郷後、本郷、本郷前、寺西、池ノ下、殿山、西ノ前
- 大字衾
- 字平南大岡山、平北大岡山、平鉄飛、平前、平南原、平北原、平稲荷丸、東柿ノ木坂南、東三谷、東柿ノ木坂北、東下通、東寺山、東上原、東天沼、東中通、東谷戸、東曽根、東中丸、東中原、東下原、東下芳窪、東上芳窪、東大原、東梶屋敷、東池淵、東前原、東水窪、中宮ヶ谷、中化坂、中一ッ木、中宮前、中根西、中坂口、中寺前、中本村、中寺郷、中関根、中里、谷上台、谷畑東、谷畑中、谷東前、谷畑西、谷灰野良、谷山野、谷鷺草、谷權現前、谷向下、谷畑下、谷二枚橋、谷石川端
現在の地名
大岡山、柿の木坂、自由が丘、洗足、平町、鷹番、中根、原町、東が丘、碑文谷、緑が丘、南、目黒本町、八雲、中央町一丁目(いずれも大体の範囲)
教育機関
出身・ゆかりのある人物
注釈
参考文献
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』早稲田大学校友会、1915-1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第34版』交詢社、1930年。
- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
- 東京市臨時市域擴張部 『荏原郡碑衾町現状調査』 1931年。
- 東京府荏原郡碑衾町役場 『市郡合併紀年 碑衾町誌』 1932年10月1日発行。
- 小林編纂部 實側 『東京府荏原郡碑衾町全圖番地界入』 1930年4月。
関連項目