台東区立蔵前小学校(たいとうくりつ くらまえしょうがっこう)は、東京都台東区蔵前にある公立小学校。精華公園、くらまえオレンジ図書館に隣接している。
沿革
蔵前小学校
- 出典[1]
精華小学校
- 1874年(明治7年)12月7日 - 浅草区寿町7番地に創立。第五番中学区第八番小学戸田学校と称した。
- 1888年(明治21年) - 北富坂町二九番地(現在の位置)に校舎新築、「精華」と改称。
- 1982年(昭和57年)8月 - 新校舎竣工。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 閉校(東京都台東区蔵前四丁目19-11、現蔵前小学校)。
済美小学校
- 2003年(平成15年)3月31日 - 閉校(東京都台東区寿一丁目10-9、現ことぶきこども園)。
小島小学校
- 1908年(明治41年)6月 - 創立。
- 1928年(昭和3年)8月27日 - 新校舎竣工。
- 2003年(平成15年) - 閉校(東京都台東区小島二丁目9-10、現台東デザイナーズビレッジ)。
特色
- 食育に力を入れており、食育授業のほか、祖父母と一緒に給食を食べたり、テレビ取材を受けている[2]。
- 台東区「下町台東の美しい心づくり」と連動し、朝の「あいさつ運動」を励行しており、あいさつ当番の児童の他、校長、副校長を筆頭に教職員による元気な挨拶を継続している[3]。
- 6年生全員で金管バンド、バンドドリルを組み運動会で披露したり、台東区の各種イベントに出演している[4]。
- 4年生から6年生の希望者でオーケストラを結成し、毎朝30分練習している。専門の講師は8名、団員数は100名超[5]。
規模
- 令和4年度 746人
- 平成31年度 556人
- 平成30年度 528人
- 平成29年度 512人
- 平成28年度 474人
通学区域
東京都台東区教育委員会によって指定されている蔵前小学校の通学区域は、以下の通り[7][8]。
- 蔵前二丁目(全域)
- 蔵前三丁目(全域)
- 蔵前四丁目(全域)
- 三筋一丁目(全域)
- 三筋二丁目(全域)
- 小島一丁目(全域)
- 小島二丁目(全域)
- 寿一丁目(全域)
- 寿二丁目(全域)
- 元浅草一丁目(1番-13番)
- 元浅草三丁目(1番-16番、19番-22番)
- 元浅草四丁目(1番-4番、8番-10番)
進学先中学校
公立中学校に進学する場合は次の3校が東京都台東区教育委員会により指定されている[9][8]。
- 台東区立浅草中学校 - 蔵前二丁目、蔵前三丁目、蔵前四丁目(1番-10番、12番-15番、19番-23番、28番-35番)、寿一丁目(1番-9番、15番-19番)、寿二丁目から通う児童
- 台東区立御徒町台東中学校 - 蔵前四丁目(11番、16番-18番、24番-27番、36番、37番)、三筋一丁目、三筋二丁目、小島一丁目、小島二丁目、寿一丁目(10番-14番、20番、21番)、元浅草一丁目(1番-13番)、元浅草三丁目(1番-16番、19番-22番)から通う児童
- 台東区立駒形中学校 - 元浅草四丁目(1番-4番、8番-10番)から通う児童
出身者
アクセス
脚注
注釈
- ^ 蔵前小学校では、知的障害児のための特別学級を設けている[6]
- ^ 「精華 創立120周年記念誌」を引用した記事「精華小学校は、明治七年十二月七日に浅草寿町七番地に創設されました。校舎は、木造の平屋というたてものと、町の人たちがきふしたお金でたてた二階だてのたてものをあわせて使いました。このときの校名は「精華」といわず「第五中学区八番小学戸田校」といいました。<中略> 開校の時のせいと数は、男四十八人、女八人の五十六人でした。その中に夏目漱石もいたそうです。」[10]
出典
関連項目
外部リンク