ロンキ・デイ・レジョナーリ
ロンキ・デイ・レジョナーリ(伊: Ronchi dei Legionari)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約人口約12,000人の基礎自治体(コムーネ)。 港湾都市モンファルコーネの都市圏に含まれる都市で、トリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港)の所在地である。 名称イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。 地理位置・広がりゴリツィア県南部のビシアカリア (it:Bisiacaria) と呼ばれる地域に属しており、ビシアカリアの中心都市であるモンファルコーネの北西に隣接する。県都ゴリツィアから南西へ約16km、州都トリエステから北西へ約29km、ウーディネからは南東へ約34kmの距離に位置する [5]。 コムーネ西部にはトリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港)があり、州の空の玄関口となっている。 隣接コムーネ隣接するコムーネは以下の通り。
モンファルコーネからは市街地が連坦している。ロンキ・デイ・レジョナーリは単体でもゴリツィア県第3位の人口を持つコムーネであり、モンファルコーネ都市圏の人口は県都ゴリツィアを上回る。 気候分類・地震分類ロンキ・デイ・レジョナーリにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2255 GGである[6]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 3 (sismicità bassa) に分類される[7]。 歴史この地の人々の生活はローマ時代以前に遡る[8]。ローマ時代にはいくつかの村落が築かれ、空港周辺では古代のネクロポリスが発掘されている。 この町はゴリツィア伯領から、967年にアクイレイアの総大司教領 (it:Patriarca di Aquileia) となった。町が Ronches の名ではじめて文書に現れるのは1229年のことである。 15世紀以降ヴェネツィア共和国領になり、その後ハプスブルク君主国の領土となった。1850年には行政官(ポデスタ、Podestà)が派遣されるようになり、1912年には村の格を得た[8]。 第一次世界大戦後、イタリア王国領となった。1919年、国家主義的詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオは義勇兵「レジョナーリ」(「軍団」の意)を組織し、「ロンキ・ディ・モンファルコーネ」(Ronchi di Monfalcone)と呼ばれていたこの町から出発してリエカ(フィウメ)を占領した(カルナーロ=イタリア執政府参照)。コムーネの名は、これを記念して1925年に改名された。 社会人口人口推移![]() 居住地区別人口国立統計研究所(ISTAT)は居住地区(Località abitata)別の人口として以下を掲げている[3]。統計は2001年時点。
ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。 姉妹都市交通![]() 空港コムーネ西部に所在する商業空港。「トリエステ空港」「フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港」などとも呼ばれる。 鉄道
道路
コムーネにはおおむね東西に国道 SS14 が走っており、東南に進めばモンファルコーネ、西に進めば空港の南側を経てベリアノやビゾリス(いずれもサン・カンツィアン・ディゾンツォ北部)に入る。また、モンファルコーネで SS14 から北に分かれた SS305 がコムーネを縦貫しており、北にレディプーリアの集落(フォリアーノ・レディプーリア)とを結んでいる。 脚注
外部リンク
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