ドレーニャ・デル・コッリオ
ドレーニャ・デル・コッリオ(伊: Dolegna del Collio)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約300人の基礎自治体(コムーネ)。 名称標準イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。 イタリア語での地名に含まれる「コッリオ」は、国境線を跨いで隣接するスロベニアの自治体(オプチナ)・ブルダ市のイタリア語名称であり、またそれを中心とする地方名 (it:Collio (territorio)) でもある。この一帯はヴェネツィア・ジュリアの一部であり、第二次世界大戦後にスロベニア(ユーゴスラビア)領とイタリア領に分割された。同様に「コッリオ」を含むコムーネとしては、ブルダ市を挟んで東南にサン・フロリアーノ・デル・コッリオがある。 地理位置・広がりゴリツィア県の最北部に位置するコムーネである。ドレーニャ・デル・コッリオの集落は、ドブロヴォ(スロベニア領ブルダ市)の北西約5km、コルモンスの北約8km、県都ゴリツィアの北西約15km、ウーディネの東約19kmの位置に位置する [5]。 コムーネの領域はゴリツィア県が北へ突出した形になっており、東は国境を隔ててスロベニア、西はルドリオ川(Torrente Ludrio)を境界としてウーディネ県である。 隣接コムーネ隣接コムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。括弧内のSLOはスロベニア領、UDはウーディネ県を示す。
気候分類・地震分類ドレーニャ・デル・コッリオにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2282 GGである[6]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2 (sismicità media) に分類される[7]。 歴史この地域は、第一次世界大戦後の1920年にイタリア王国に編入された。1923年にドレーニャ・デル・コッリオという名称になり、1928年にはコスバーナ・デル・コッリオ(現在のスロベニア領ブルダ市の集落、コズバナ Kožbana)のコムーネを編入した。 第二次世界大戦後の1947年、パリ条約によってこの地域のユーゴスラビアとイタリアの国境が決定された。その結果、旧コスバーナ・デル・コッリオのほぼ全域(Mernico と Scriò を除く)と、もともとのドレーニャ・デル・コッリオの一部(Cursò と Nebola)がユーゴスラビア領となった。なお、この時ユーゴスラビアに割譲された地域はその後スロベニアの領土となり、現在はブルダ市に含まれている。 行政分離集落ドレーニャ・デル・コッリオには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
社会人口人口推移
![]() 居住地区別人口国立統計研究所(ISTAT)は居住地区(Località abitata)別の人口として以下を掲げている[2]。統計は2001年時点。
脚注
外部リンク
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