サン・カンツィアン・ディゾンツォ
サン・カンツィアン・ディゾンツォ(伊: San Canzian d'Isonzo)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約6,000人の基礎自治体(コムーネ)。 名称標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。 地理位置・広がりゴリツィア県南部、ビシアカリア地方 (it:Bisiacaria) に属するコムーネである。サン・カンツィアン・ディゾンツォの集落はイゾンツォ川左岸(東岸)に位置し、モンファルコーネの西6km、県都ゴリツィアの南西20km、州都トリエステの北西29km、ウーディネの南南東35kmにある[6]。 コムーネの領域はイゾンツォ川下流域に広がっており、その面積はビシアカリア地方では最大である。また、西にウーディネ県と接する。 隣接コムーネ隣接コムーネは以下の通り。括弧内のUDはウーディネ県所属を示す。。
気候分類・地震分類サン・カンツィアン・ディゾンツォにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2250 GGである[7]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 3 (sismicità bassa) に分類される[8]。 主要な集落人口の多くはコムーネ北部に居住する。サン・カンツィアン・ディゾンツォ(San Canzian d'Isonzo)の本村の北西にはピエリス(Pieris)、北東にはベリアーノ(Begliano)の集落があり、ピエリスはトゥッリアーコと、ベリアノはレ・ジャーレ(ロンキ・デイ・レジョナーリの一部)と、それぞれ市街地が連続している[3]。なお、コムーネの役場はピエリスにある[5]。 イゾンツォ川右岸(南岸)にも、イーゾラ・モロシーニ(Isola Morosini)やテッラノーヴァ(Terranova)などの集落がある。 歴史先史時代から人々が定住していたと考えられ、最も古い遺物としてケルト人のブローチが出土している[5]。 ローマ時代にこの地に町が存在したことは史料から確認できる[5]。アクイレイアとイストリア半島を結ぶゲミナ街道 (Via Gemina) はこの地を通過しており、Aquae Gradatae と呼ばれていた[5]。 304年、キリスト教の聖人カンティウス (Cantius) がこの地で殉教を遂げた。町の名はこの聖人の名にちなんでいる。 社会人口人口推移
居住地区別人口国立統計研究所(ISTAT)は居住地区(Località abitata)別の人口として以下を掲げている[3]。統計は2001年時点。
ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。 交通コムーネの北隣のロンキ・デイ・レジョナーリにはフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港がある。 鉄道
道路
人物著名な出身者
脚注
外部リンク
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