コルモンス
コルモンス(伊: Cormons)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約7,100人の基礎自治体(コムーネ)。 名称イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。 地理位置・広がりゴリツィア県北西部に所在するコムーネである。コルモンスの町は、ドブロヴォ(スロベニア領ブルダ市)の南東約6km、県都ゴリツィアの西約12km、ウーディネの南東約22km、州都トリエステの北西約42kmに位置する [6]。 隣接コムーネ隣接コムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。SLOはスロベニア領、UDはウーディネ県所属を示す。
地勢イウドリオ川 (it:Judrio) 東岸に位置しており、中心市街は平野に位置する。コムーネ東北部はコッリオ (it:Collio (territorio)) の丘陵地帯となっている。 気候分類・地震分類コルモンスにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2283 GGである[7]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2 (sismicità media) に分類される[8]。 主要な集落コルモンスの本村(Cormons)は領域の中心部に所在する。ブラッツァーノ(Brazzano)は本村の西北約2kmに位置するイウドリオ河畔の集落である。ボルニャーノ(Borgnano)は本村の南西約3.5km、メデーアとの境界に位置する。 歴史ローマ帝国の時代には軍事拠点が置かれ、610年までにはランゴバルド人の砦が築かれた。610年以後はアクイレイアの大司教領 (Patriarchate of Aquileia) となり、737年にはゴリツィア伯爵となった。その後の歴史はゴリツィアと歩みをともにしており、1497年にハプスブルク家領となって以後は、16世紀初頭のヴェネツィア共和国への編入や18世紀初頭のナポレオンの占領といった例外を除き、第一次世界大戦の終焉までハプスブルク君主国、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の領土であった。1866年8月12日、第三次イタリア独立戦争の休戦協定 (it:Armistizio di Cormons) は、コルモンスで結ばれた。 第一次世界大戦後、コルモンスを含むヴェネツィア・ジュリア地方は、イタリア王国に割譲された。
社会人口人口推移
居住地区別人口国立統計研究所(ISTAT)は居住地区(Località abitata)別の人口として以下を掲げている[3]。統計は2001年時点。
姉妹都市交通鉄道
道路
国道 SS56 と鉄道がコムーネの東西を貫いており、東にカプリーヴァ・デル・フリウーリ、西にイウドリオ川を越えてサン・ジョヴァンニ・アル・ナティゾーネとを結んでいる。 SS56は、コムーネの西部イウドリオ河畔で SS306 を南方向に、コルモンス本村の南側で SS356を北へ分岐させている。南下する SS306 は、マリアーノ・デル・フリウーリを経てグラディスカ・ディゾンツォ方面につながっており、コルモンス中心部を北上する SS356 はコルノ・ディ・ロザッツォにつながっている。 人物著名な出身者
脚注
外部リンク
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