リーネック (ドイツ語 : Rieneck 、 [ˈriːnɛk] [ヘルプ /ファイル ] [ 2] )は、ドイツ連邦共和国 バイエルン州 ウンターフランケン行政管区 のマイン=シュペッサルト郡 の市である。
地理
位置
この街は、レーン山地 (ドイツ語版 、英語版 ) の南の支脈とシュペッサルト山地 (ドイツ語版 、英語版 ) 東部との間のヴュルツブルク 地方、ジン川 (ドイツ語版 、英語版 ) 下流に位置している。市域の最高地点は、シュペッサルト山地内の旧アインジーデル修道院の近くに位置する海抜 448 m の地点、最低地点はジン川沿いの海抜 164 m である。リーネックをフレンキシェ・マリエンヴェークが通っている。
市の構成
本市は、ゲマルクング(ドイツ語: Gemarkung は、不動産における地区である)についてはリーネック単独からなる。オルツタイル(ドイツ語 : Ortsteil 行政上の地区)はリーネックとデュルンホーフの2地区である[ 3] 。
隣接する市町村
歴史
中世
リーネック集落に関する現存する最も古い文献記録は、790年 に作成された。1168年 にはリーネック伯ルートヴィヒがリーネック村を含むリーネック伯領をマインツ選帝侯 のレーエン として治めていた。現在の地名は、リーネック集落の高台にあるリーネック城を居城としてたリーネック伯に由来する。この伯家は、ミッテルライン地方 (ドイツ語版 、英語版 ) の断絶した家系から「リーネック」の名前を引き継いだ。この伯家の末裔に、後にこの地域で重要な役割を担ったミニステリアーレ のフォイト・フォン・リーネック家がある。城は12世紀 半ばに建設された。
皇帝 フリードリヒ1世バルバロッサ とカスティーリャ王 アルフォンソ8世 との間結ばれたフリードリヒの息子コンラート (ドイツ語版 、英語版 ) とアルフォンスの娘ベレンゲラ との結婚を取り決めた1188年 の協定書の中に "castrum Rienecke"(Rienecke城)の記述が見られる。リーネックのことであると推定されるこの城[ 4] は、他の29のシュタウフェン家 の所領とともにモルゲンガーベ[ 訳注 1] として挙げられていた。しかし、この結婚は実現しなかった。この集落は1311年 6月7日に Oppidum(城市)として記述されている。
マインツとハーナウの共同統治への経緯
本市がマインツ選帝侯 (3/4) とハーナウ家 (ドイツ語版 ) (1/4) との共同統治となった経緯について、文献には2つの異なる記述がなされている。
1333年 にリーネック=ローテンフェルス家が断絶した際、ウルリヒ2世フォン・ハーナウ (ドイツ語版 、英語版 ) がその母エリーザベト・フォン・リーネック=ローテンフェルスを介して市の 1/4 とリーネック城を相続し、残りをマインツ選帝侯が保持した。
1559年 9月3日のリーネック伯フィリップ3世の死により、リーネック家は断絶した。彼はハーナウ=ミュンツェンベルク伯 (ドイツ語版 、英語版 ) フィリップ3世と親しかった。リーネック伯フィリップ3世が男性後継者なしに死亡するであろうことが予見できたとき、2人はハーナウ伯を相続人とすることで合意した。しかし形式上の欠陥があり、この意図は達成されなかった。この相続を巡ってマインツ選帝侯とハーナウ家との間で紛争が起こった。その結果、3/4をマインツ選帝侯領、1/4をハーナウ=ミュンツェンベルク領の共同統治とすることで妥結した。
近世・近代
マインツ部分は1673年 にノスティッツ伯 (ドイツ語版 、英語版 ) に売却され、1803年 にさらにコローレード=マンスフェルト伯 (ドイツ語版 、英語版 ) に売却された。その後1806年 にリーネックは陪臣化され、アシャッフェンブルク侯国 に属した。アシャッフェンブルク侯国がフランクフルト大公国 に併合された際、ここにアシャッフェンブルク県ディストリクツメリー(自治体の区分名)・リーネックが設けられた。1812年メリー・リーネックには、2つの農場と1つのレンガ 工場があり216戸に1200人が住んでいた。1814年 6月3日のパリ条約 に基づき、同年6月26日にリーネックはフランクフルト大公国アシャッフェンブルク侯国とともにバイエルン王国 領となり、1814年10月1日に創設された第2級ラントゲリヒト・ロールに編入された。バイエルンの行政改革に伴う1818年 の自治体令により、リーネック市が形成された。リーネックは1828年 6月30日から1829年1月14日までラントゲリヒト・ゲミュンデンに属した。
1862年 に旧ラントゲリヒト・オードヌング・オルプとラントゲリヒト・ゲミュンデンからベツィルクスアムト・ゲミュンデン・アム・マインが成立し、リーネックはその管轄下に置かれた。ベツィルクスアムト・ゲミュンデンは、1872年にベツィルクスアムト・ロール・アム・マインに統合された。1902年 に再びベツィルクスアムト・ゲミュンデンが新設された。1939年 にドイツ国 全土で「ラントクライス」(郡)の呼称が使われることとなった。リーネックはゲミュンデン・アム・マイン郡の27市町村の1つとなった。ゲミュンデン・アム・マイン郡の廃止に伴い、1972年 7月1日にミッテルマイン郡が新設された。この郡は10か月後に現在の「マイン=シュペッサルト郡 」と改名された。
1945年 3月29日リーネックで、略奪で告発された5人のソヴィエト人 戦争捕虜 が正当な法的手続きなしに、ヴュルツブルク の突撃隊 旅団指導者で国民突撃隊 指導者のハンス・オルプの命令により、5人のリーネック・ヒトラーユーゲント の隊員によって射殺された。このヒトラーユーゲント隊員は、1947年 の尋問の際に射殺したことを認めたが、事件当時未成年であったことから懲役を免れた。オルプは1950年 に過失致死罪で5年の懲役刑を科されたが[ 5] 、刑務所でわずか1年過ごしただけで出所した[ 6] 。市議会は2015年1月12日の3回目の審議の後に寄贈された記念板の設置を許可し[ 7] 、2015年3月29日に設置が完了した[ 8] 。
住民
人口推移
1988年から2018年までの間にリーネックの人口は2,069人から1,959人に109人減少した。減少率は 5.3 % に相当する。
年
1970
1987
1991
1995
2000
2005
2010
2015
人口(人)
2,315
2,096
2,155
2,133
2,127
2,113
2,022
1,987
宗教
リーネックは1411年に教区教会の所在地となった。この街はマインツ選帝侯の影響下にあったため、宗教改革 は足場を築くことができなかった。このため住民は現在もローマ=カトリック 信者が主流である。ローマ=カトリック教会は洗礼者聖ヨハネ を守護聖人 として仰いでいる。古典主義様式の教区教会は1812年に完成した。
福音主義 教会組織はブルクジンの下位に置かれている。福音主義の礼拝は、リーネック城の礼拝堂で定期的に行われている。
中世 にはすでにユダヤ人 がリーネックに住んでいたことが判っている。その組織については明かではないが、1298年 のリントフライシュの迫害により打撃を受けた。その後17世紀 半ばに再びユダヤ人の名前が史料に現れ、1699年 からはユダヤ教組織が形成された、18世紀 からはユーデンガッセ(ユダヤ人通り)が存在しており、そこにミクワー があった。1837年 には、この街の人口1,596人の 6.2 % にあたる 96 人がユダヤ教信者であった。その後13人まで減少したが、1938年 11月の迫害運動(水晶の夜 )でこの街を離れ、フランクフルト・アム・マイン に移動しなければならなかった。シナゴーグ は、おそらく17世紀に建設され、トーラー 神殿に1748年 という年号が書かれていた。1932年のこの建物改修のための募金の呼びかけ広告では1699年建造とされていた。1937年 6月30日に起こった損傷の際の新たな修復は、20人足らずの教団は、バイエルン・イスラエル人教会連盟からの支援によってのみ実行できた。水晶の夜では、シナゴーグの内部が完全に破壊され、基礎壁だけが残った[ 9] 。その裏庭にシナゴーグがあった、戦争記念碑前シュロスベルク10番地の家の裏には、ホロコースト で迫害され、殺害されたユダヤ人の記念板が設けられている[ 10] 。
行政
議会
リーネック市議会は、14議席からなる[ 11] 。
首長
2020年5月1日からスヴェン・ニッケル (Freie Bürger) が市長を務めている。彼はフーベルト・ニッケル (Allianz für Rieneck) との決選投票で 63.23 % の支持票を獲得して市長に選出された[ 12] 。当時現職のヴォルフガング・キューバー (Rienecker Junge Wähler Union) は決選投票に薦めなかった[ 13] 。
歴代市長を以下に列記する。
1986年 - 2003年 ヴァルター・ヘフリング
2003年 - 2006年 ヴァルデマール・ホルン
2006年 - 2020年 ヴォルフガング・キューバー
2020年 - スヴェン・ニッケル
紋章
四分割。分割の中央に6本スポーク の銀 の輪。向かって左上と右下は、合計6本の金 と赤 の逆V字図形 。向かって右上と左下は、合計10本の金と赤のストライプ [ 14] 。
文化と見所
リーネック城
リーネック旧市街の建築アンサンブル。向かって左から市庁舎、聖ヨハネス教会、こけら貼りの建物
リーネックは、広葉樹林 (シュペッサルトアイヒェ )の魅力的な自然環境に囲まれている。1990年代末に自然保護区に指定された幅広いジン川 (ドイツ語版 、英語版 ) の谷の緑地は、ビーバー をはじめとする珍しい動物や、フリチラリア・メレアグリス (ドイツ語版 、英語版 ) などの保護指定された植物の棲息地となっている。
リーネック城
15/16世紀に建設された隅塔を持つ木組みの市庁舎の前には、首かせのついたさらし台がある。これには死刑を宣告することができた重罪裁判所ツェントゲリヒト・リーネックの最後の遺構であることを解説した銘が記されている。
市庁舎の向かい側には、こけら貼りの非対称に立てられた、珍しい木の柱の張り出し部を持つ建物がある。
上記2つの建物と聖ヨハネス教会が、旧市街中核部の建築アンサンブルを構成している。
ハウプト通りの中央駐車場前に、古い水槽(1600年頃)がある。これはかつてワインの秤量の基準(「リーネッカー・アイマー」)として用いられていた。現在リーネック周辺でワイン造りは行われていない。
かつてのディートマール・フォン・リーネックの居館で、1580年からマインツ選帝侯のアムツケラーライ(徴税役場)として利用された「リーネックシェ・モスヘンホーフ」は、1960年に取り壊された。記念碑だけがその存在を思い起こさせる。
経済と社会資本
経済
2018年の税収は約150万2千ユーロ で、このうち産業税は30万8千ユーロであった[ 15] 。
リーネックの経済的ポテンシャルは、林業(2018年の森林面積は 2,113 ha[ 16] )と観光業(2018年時点で延べ35,452泊[ 17] )にある。現時点での経済構造は主に製造業、商業およびサービス業からなっている。リーネックの就労者の大部分は近隣のロール・アム・マイン (ボッシュ・レクスロート AG (ドイツ語版 、英語版 ) )、カールシュタット 、ヴュルツブルク へ通勤している。
交通
リーネックには、鉄道フリーデン - ゲミュンデン (ドイツ語版 、英語版 ) 線の駅があり、郡の旅客交通とバスで結ばれている。リーネック=ジンベルク・ジャンクション によって、フリーデン - ゲミュンデン線と高速鉄道ハノーファー - ヴュルツブルク線 とを結んでいる。最寄りのICE -駅(ヴュルツブルク中央駅 )までの距離は 50 km である。最寄りの空港であるフランクフルト空港 へは 100 km である。
社会福祉
リーネックの外れ、ゲミュンデン・アム・マインのホーエンロート地区に、SOS-ドルフゲマインシャフト(直訳: SOS-村落共同体)ホーエンロートがある[ 18] 。
人物
出身者
脚注
訳注
^ ドイツ語: Morgengabe 。ドイツの古い風習で、結婚後最初の朝に新妻に贈られるプレゼント
出典
^ https://www.statistikdaten.bayern.de/genesis/online?operation=result&code=12411-003r&leerzeilen=false&language=de Genesis-Online-Datenbank des Bayerischen Landesamtes für Statistik Tabelle 12411-003r Fortschreibung des Bevölkerungsstandes: Gemeinden, Stichtag (Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)
^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 679. ISBN 978-3-411-04066-7
^ “Bayerische Landesbibliothek Online (BLO) - Rieneck, St ”. 2021年1月31日 閲覧。
^ Peter Wanner (2016). “Der staufisch-kastilische Ehepakt des Jahres 1188. Erkenntnisse aus Anlass einiger "kleiner" Stadtteils- und Gemeindejubiläen 2013” . In Christhard Schrenk/Peter Wanner. heilbronnica 6. Beiträge zur Stadt- und Regionalgeschichte . Heilbronn. pp. 453–460. https://stadtarchiv.heilbronn.de/fileadmin/daten/stadtarchiv/online-publikationen/heilbronnica6/online-publikationen-31-qf22-13-wanner-ehepakt-1188.pdf 2021年1月31日 閲覧。
^ Adelheid L Rüter-Ehlermann; H. H. Fuchs; C. F. Rüter (1971). “LG Würzburg, 23. August 1950”. Justiz und NS-Verbrechen. Sammlung deutscher Strafurteile wegen nationalsozialistischer Tötungsverbrechen 1945–1966, Bd. VII . Amsterdam: University Press. pp. 269–273
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^ Michael Fillies (2015-01-13), “Rieneck - Rienecker Gedenktafel halbherzig beschlossen” , Main-Post , https://www.mainpost.de/regional/main-spessart/rienecker-gedenktafel-halbherzig-beschlossen-art-8520939 2021年1月31日 閲覧。
^ “Schwieriges Gedenken - Der Streit um die Gedenktafel in Rieneck ” (2015年3月27日). 2015年4月2日時点のオリジナル よりアーカイブ。2021年1月31日 閲覧。
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外部リンク
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