ラクテンチ
ラクテンチは、大分県別府市にある遊園地である。株式会社ラクテンチが運営している。 概要別府市内を一望できる立石山中腹にあり、平野部からケーブルカー(別府ラクテンチケーブル線)で移動して入園する。名称の「ラクテンチ」は「楽天地」の意味である。 1950年(昭和25年)から続いているイベント「あひるの競走(レース)」が名物となっている。1日数回催され、1着を的中すると景品が贈られる[3][4]。 ラクテンチのある乙原は、別府温泉の中心流川からまっすぐに伸びる流川通りの終点に位置し、古くは豊後国守護大友氏初代当主大友能直が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した八幡朝見神社の社地があった所で、別府八景や大分百景にも選ばれるほど景色が良く、春は桜やツツジの名所としても知られている。園内には、小規模な動物園や別府湾を展望できる温泉施設も設けられている。 同じ別府市には本施設よりも規模の大きい遊園地城島高原パークも存在するが、現在でも営業を続けている。 施設![]() 2009年の「ラクテンチ」へのリニューアルに合わせて、イヌ・ネコ型に模様替えされた。
→詳細は「別府ラクテンチケーブル線」を参照
かつて存在した施設
沿革開園まで1903年(明治36年)から、現在のラクテンチの敷地内には高品位な金・銀鉱石を産出する鉱山(別府金山)が操業していた。坑内には操業当初から温泉が湧き出しており、坑内の熱気に耐えながら操業を続けていた。しかし、今までよりも高温な温泉が湧きだし坑内環境が悪化したことから1916年(大正5年)9月に操業を中止した。その後、1923年(大正12年)に再開を図ったものの、温泉の枯渇を恐れた地域住民の反対等により果たせなかった。そこで、残った敷地と温泉を有効活用する目的で、遊園地の設立が企図され開園した[12]。 岡本製作所への譲渡と「別府ワンダーラクテンチ」へのリニューアル![]() 奥にフラワー観覧車が見える 当園は、2003年(平成15年)11月に、経営不振から遊具メーカーの岡本製作所に譲渡され、2004年(平成16年)3月に「別府ワンダーラクテンチ」としてリニューアルオープンした。その際、ゾウ、キリン、ホッキョクグマ、カバなどの大型動物やペンギンなどは各地の動物園へ譲渡された[注 1]。 2008年(平成20年)にはいると、岡本製作所は再度の経営不振を理由に8月末での撤退を表明したが、同年8月18日までに大分県大分市に本社を置く九州観光ホームグループへの事業譲渡が合意され、同年9月以降も営業は継続されることになった。この際、園名は、別府国際観光時代の名称「別府ケーブルラクテンチ」に戻すと報じられた[15][16][17]。 その後、譲渡先の新会社が国土交通省からケーブルカーの営業認可を受ける必要があるとの理由で、岡本製作所は11月末までの運営継続を表明したが[18][19]、11月になって、九州観光ホームへの譲渡話は頓挫したことが判明。遊園地は11月末で休園した[20][21]。 「ラクテンチ」へのリニューアル岡本製作所は他社への売却交渉を続けるほか、スポンサーを募って自社で営業を再開することも検討しており、閉園することはないとしていたが[22][23]、2009年(平成21年)1月31日に、ゴールデンウィーク前に自社運営で営業を再開することを発表。再開にあたっては、園内南側の遊具を撤去して芝やハーブなどを植えた広場を設けるとともに、足湯、イチゴ狩りなどの体験施設を整備する計画であるとされた[24]。 2009年(平成21年)3月12日には、改修工事の遅れや、各エリアの改修を段階的に行うのではなく一括してオープンする計画としたことから、営業再開が同年7月20日頃になると発表されていた[25]が、6月23日に別府市役所で行われた記者会見においてオープンは7月18日と発表され、本年の開園80周年を機に原点に立ち返る意味から、名称を「ワンダーラクテンチ」から「ラクテンチ」に戻すことも発表された[26]。また、2004年(平成16年)に大幅削減されていた動物の飼育展示のうちマゼランペンギンが復活し、7月1日には神戸市立須磨海浜水族園から到着した[27]。 2018年(平成30年)4月には、地元でガソリンスタンドなどを展開する西石油グループが、6月上旬をめどに岡本製作所から事業譲渡を受ける予定であることを公表[28][29]。岡本製作所は6月1日にラクテンチの事業を株式会社ラクテンチに会社分割し[30]、株式会社ラクテンチは西石油グループに事業譲渡された[31][32]。 年表![]() ![]()
所在地営業
交通“アクセス”. 別府ラクテンチ. 2018年5月23日閲覧。 脚注注釈出典
外部リンク |
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