ペンギン
ペンギンは、ペンギン目(Sphenisciformes)に属する鳥の総称である。ペンギン科(Spheniscidae)のみが現生する。 今では使われることは稀だが、漢字で書くと「人鳥(じんちょう)」[2]「企鵝(きが、企は爪先立つの意、鵝はガチョウ)」[注釈 1]という和名もある。人鳥の語源は歩き方がヒトと同じ直立二足歩行をしてるように見えることからだが、実際には直立二足歩行をしていない。 分布南半球の広い緯度範囲に分布する。主に南極大陸で繁殖するのはコウテイペンギンとアデリーペンギンの2種のみである。ほかに、ジェンツーペンギン・マカロニペンギン・ヒゲペンギンの3種は、南極大陸の中でも比較的温暖な南極半島にも繁殖地があるが、主な繁殖地は南極周辺の島である。他の種類は南アメリカ・アフリカ南部・オーストラリア・ニュージーランドなどのオセアニア、あるいは南極周辺の島などに繁殖地がある。 最も低緯度にすむのは赤道直下のガラパゴス諸島に分布するガラパゴスペンギンであり、その生息域は赤道を挟みわずかに北半球にはみ出ている。 これらの中低緯度の繁殖地はいずれも、南極海周辺から寒流の流れて来る海域に面している。 形態ペンギンは、現在では6属19種だが、化石から、かつてはもっと多くの種類が存在したことが確認されている。属や種を特徴付けるのは頭部周辺で、それぞれ特徴的な形態をしている。 現生ペンギンの最小種はコビトペンギン(フェアリーペンギン)で体長は約40 cmである。 現生最大種はコウテイペンギンで、体長100 - 130 cmに達する。ただし、絶滅種のジャイアントペンギン (Pachydyptes ponderosus) や、ノルデンショルトジャイアントペンギン (Anthropornis nordenskjoeldi) はコウテイペンギンよりも更に大型である。 多くの鳥類は陸上では、胴体を前後に倒し首を起こす姿勢をとるが、ペンギン類は胴体を垂直に立てる。鳥類の多くが飛翔に使う翼は特殊化し、ひれ状の「フリッパー」と化していて飛翔能力を失い水中の遊泳にのみ使われる。首が短く、他の鳥類とは一線を画す独特の体型をしている。 世間一般では「脚が短い」と思われているが、実際には体内の皮下脂肪の内側で脚を屈折している。関節はこの状態のまま固定されているので、脚を伸ばすことはできない。体外から出ているのは足首から下の部分だけである。成鳥ではほとんど脂肪に隠されており表面上見えないが、生後まもなくの脂肪の少ないペンギンではその骨格がはっきりと見てとれる。 分類系統樹の目間は Hackett et al. (2008)[3]、目(科)内は Baker et al. (2006)[4]より。
ペンギン目は海鳥・渉禽類(の一部)からなるクレード water birds の一員である。姉妹群は外洋性の海鳥のミズナギドリ目である。 ペンギン目は現生科に関しては単型である、つまり、ペンギン科のみが属す。 従来は1種とされてきたイワトビペンギン Eudyptes chrysocome sensu lato の3亜種は、遺伝子の比較により別種とする主張がある[5]。キタイワトビペンギン Eudyptes moseleyiのみを分化し、ヒガシイワトビペンギンをミナミイワトビペンギン Eudyptes chrysocomeの亜種とする主張もある[6]。 従来は種または亜種とみなされてきたハジロコビトペンギン Eudyptula albosignata は、コビトペンギンに含められ、さらにコビトペンギンの他の亜種と共に、亜種の地位も否定された[要検証 ][7]。 かつてはロイヤルペンギンとマカロニペンギン、ハシブトペンギンとキマユペンギンを同種とする説もあったが、遺伝的差異は別種に相当する[4]。 以下の分類はClements Checklists ver. 2015・IOC World Bird List(v 7.1)、和名はイワトビペンギン類を除いて山階(1986)、英名はIOC World Bird List(v 7.1)に従う[1][8]
歴史上のペンギン分類には大きく分けて、いずれかの海鳥の仲間だとする説と、他に類縁のない独特のグループだとする説とがあった。 Nitzsch (1840) はペンギンを、アビ類・カイツブリ類・ウミスズメ類と共に Pygopodes に分類した。ほぼ同じグループを Garrod (1873; 1874) は Anseres、Reichenow (1882) は Urinatores と呼んだ。 Gray (1849) はやや異なり、海鳥・水鳥の大半を含む Anseres に含めた。 それらに対し、Huxley (1867) はペンギンを、他の海鳥から分離し Spheniscomorphae とした。Sclater (1880) は、独立したペンギン目 Impennes とした。Stejneger (1885) は、独立したペンギン上目Impennes とした。Menzbier (1887) は、鳥類を4グループに分けたうちの1つ Eupodornithes をペンギンに当て、ペンギンは爬虫類の祖先の段階で他の鳥類とは分かれていたと示唆した。 Furbringer (1888); Gadow (1893); Pycraft (1898); Boas (1933) などは、(現在知られているとおり)ペンギンはミズナギドリ目に最も近いとした。それ以降は、ペンギンは目をなし、ミズナギドリ目に近縁だとする説が主流となった。ただし、独立したグループを形成するという説も後々まで残った。 Verheyen (1961) はペンギン目を、ミズナギドリ目・ウミスズメ目(ペリカン科・ウミスズメ科・アビ科)と共に Hygrornithes 上目に分類した[9]。 Bock (1982) はペンギン目を、新顎上目・古顎上目に並ぶ第3の上目であるペンギン上目 Impennes に分類した。 Sibley & Ahlquist (1990) はペンギン目を廃し、現在の water birds 全体を拡大したコウノトリ目に含めた。ペンギン科はグンカンドリ科・アビ科・ミズナギドリ科(現在のミズナギドリ目)と共にミズナギドリ上科に含めた。 Clarke et al. (2003) はペンギン科とペンギン目を系統的に再定義し、ペンギン科は現生ペンギンの最も新しい共通祖先の子孫、ペンギン目はペンギンの祖先が飛翔能力を失ってからの子孫とした。 さらに彼らは、ペンギンの祖先が他の現生鳥類から枝分かれして以降の子孫として Pansphenisciformes も定義した。ただし、化石が発見されている最古のペンギンもすでに飛翔能力を失っており、Pansphenisciformes とペンギン目は現状では同じである。 ペンギン科(Clarke et al. の意味での)に含まれる化石属は発見されておらず、ペンギン科には現生属のみが含まれる[10]。ただし、ケープペンギン属の化石種2種 S. megaramphus と S. urbinai がペンギン科に含まれる。 ペンギンの絶滅属については、以下の系統が求まっている[10][11](属分類と矛盾する部分は簡略化している)。ただし遺伝子による系統に比べれば分岐は不確実である。
Simpson (1946) は化石ペンギンを4亜科、現生ペンギンをペンギン亜科 Spheniscinae、計5亜科に分類していた。
その後 Marples (1952) はアンスロポルニス亜科をパレユーディプテス亜科に統合した。しかし系統解析では、Simpson や Marples の枠組みは否定されている。 生態陸上ではフリッパーをばたつかせながら歩く姿がよく知られているが、氷上や砂浜などでは腹ばいになって滑る。これをトボガンという[12]。 海中では翼を羽ばたかせて泳ぐ。ペンギン類で最も速いジェンツーペンギンの水中速度は最大36 km/hに達する。イルカのように海面でジャンプすることもあり、水中から陸上に戻るときにはいったん深く潜り、勢いを付けて飛びあがる。独特の体型は泳ぐことに特化しており、海中を自在に泳ぎ回る様はしばしば「水中を飛ぶ」と形容される。 陸上で繁殖する。卵は1個〜3個を産み、オスとメスで抱卵をする。またコウテイペンギンのように、ある程度成長したヒナ同士で集まり「クレイシュ」(crèche。フランス語で託児所の意。クレイシとも)を形成するものがある。また、羽毛が抜け替わる換羽期には海に入らず、絶食状態で陸上にとどまる種もいる。 ほとんどのペンギンは他の鳥類と同様に春から夏にかけて繁殖するが、最大種のコウテイペンギンは、-60℃に達する冬の南極大陸で繁殖する。そのため、世界で最も過酷な子育てをする鳥と言われる。 人間との関係ペンギンの西洋世界での認知は、温帯産ペンギンについては大航海時代に始まる。亜南極産は18世紀以降、南極産は19世紀以降のようである。日本では江戸時代後期に蘭書で知られたが、その認知は一部の蘭学者にとどまった。一般への認知は明治後期の日本人の南極探検にはじまる。 過去には、肉や脂肪から摂れる油を採取するために、主に南極探検の調査隊がペンギンを捕獲していた時代があった。20世紀には捕獲も限られたものとなり、現在では資源目的の捕獲対象とはなっていない。しかし廃棄物の投棄や船の事故による石油流出など、様々な海洋汚染がペンギンの脅威となっている。特に喜望峰周辺海域やパタゴニアなど、重要な航路に面した海域や油田地帯に接した海域にこの傾向が強い。さらに、近年の生息域の温暖化により、餌のオキアミの繁殖域となる海上の氷の激減、洪水による巣の浸水などで、生息数が減っている種もある。 飼育対象としてのペンギン飼育されたペンギンは、世界各地の動物園や水族館で見ることができる。特に日本では、動物園や水族館での繁殖技術が進んだこともあり、現在世界で飼われているペンギンの1/4が日本にいると言われる程になっている。日中国交正常化に際しジャイアントパンダが中国より送られてきた返礼として、ニホンカモシカとともにケープペンギンが日本から中国に送られた。これは前述のように、日本では当時既にペンギンの飼育体系が確立していたが、当時の中国は飼育事例がなかったためである。 南極・亜南極のペンギンの飼育には低温にする設備が必要だが、フンボルトペンギン・マゼランペンギン・ケープペンギンなどの温帯ペンギンは、氷雪を好まず屋外飼育が可能であり、イギリスのエディンバラ動物園、日本でも掛川花鳥園などで冬季はストーブにあたる風景が見られる。日本では1989年に設立された葛西臨海水族園のペンギンの飼育施設がフンボルトペンギンの生息地の岩山を再現したものであり、以後の温帯ペンギンの飼育施設はそれを踏襲しているが、それまでは戦前の阪神パークで確立された南極の氷山をモチーフにした白塗りのコンクリートの小山をバックとすることが多かった。下関市立しものせき水族館2階にある「フンボルトペンギン特別保護区」[13] はフンボルトペンギンの重要な生息地であるチリ・アルガロボ島の環境を再現しており、チリ国立動物園などからなるチリ国立サンティアゴ・メトロポリタン公園から同種の生息域外重要繁殖地として指定を受けている[14]。 ごく少数だが、家庭のペットとしてペンギンを飼育している例もある。ただし、ペンギンの大半の種類はワシントン条約で保護対象となっており、捕獲や輸入が規制されているため入手が困難であるほか、大量の餌や水、気温の調節などで飼育コストが高く、臭いや鳴き声が大きいなど、ペットとしての飼育は非常に困難である[15]。 捕鯨との関わり商業捕鯨時代には日本の捕鯨船が南氷洋でクジラとともにペンギンを生け捕りにして持ち帰り、動物園や水族館に譲渡されて飼育・展示されていた。長崎水族館で39年間に渡って飼育され世界最長飼育記録を残したキングペンギン「ぎん吉」や、同館で28年間に渡って飼育されたエンペラーペンギン「フジ」も、大洋漁業(のちのマルハ)の捕鯨母船「第二日新丸」に捕獲され渡来した個体であった[16]。捕鯨母船では上甲板にペンギン用のプールを特設したものもあり、船員たちの憩いの場になっていたという[17]。 船内では餌に解凍して切り刻んだ鯨肉が与えられ、船員らは荒波による船酔いで食事が喉を通らない日でもペンギンの給餌は怠らなかった[17]。しかし船員もペンギンに関しては素人のため、過剰な給餌で消化不良や痛風を起こし体調を崩す個体もいた[16]。また、南極からの帰航は温暖な赤道周辺を必ず通過しなければならないため、低温乾燥地帯原住で抵抗力の弱いペンギンはアスペルギルス症を発症しやすく、帰港時にはすでに衰弱していた個体や園館に譲渡されたのち短期間で死亡してしまう個体も少なくなかった[17]。 文化民俗・俗信ペンギンについて、北半球のヨーロッパや東アジアでは近世以前には知られていなかった。日本の場合も前述の通り、蘭学者の一部しか知り得なかった。そのため、ペンギンについて、ニワトリ・ハトのような家禽や、ツバメ・カラス・スズメなど身近な野鳥、あるいはハクチョウのような気高い野鳥のような俗信などはなく、紋章などにも用いられなかった。 北半球でのペンギン文化は20世紀以降のもので、前述の動物園・水族館飼育や、後述するキャラクターによって作られたところが大きい。 ペンギンのキャラクターペンギン型キャラクターは、古くは、背が黒色、腹が白色であることから、タキシードまたは燕尾服を着用した紳士になぞらえられることが多かった。 科学有機化合物ペンギノンは、平面構造式がペンギンに似ていることから名づけられた。 同性愛の象徴→「動物の同性愛」も参照
2006年にアメリカで同性愛ペンギンの絵本 And Tango Makes Three が出版され、波紋を呼んだ。アメリカのニューヨーク市セントラルパーク動物園に実在した、オス同士のペンギンのカップルを題材にしている。 ペンギンに同性愛行動は存在する。2006年、ノルウェーのオスロ自然史博物館では、世界初の「生物の同性愛」がテーマの展示会が催され、同性愛自体が自然界でも珍しいことではないという事実が研究で確認されている。同性同士のペアのペンギンは、ドイツの動物園や日本の登別マリンパークニクスなどで存在が確認できる。 映像2008年、イギリスの放送局であるBBCはエイプリルフールの話題にペンギンを用いた映像を制作発表。その映像[18]で愛らしいペンギンが空を飛ぶ様子をCGなどITを援用して巧みに創り出した。 ペンギン歩き歩幅を小さくし、そろそろ歩く方法をペンギン歩きと呼ぶ[19]。冬季の凍結路面などで安全に歩く手法で、日本のほか、ドイツ[20]でも推奨されている。 ファーストペンギン集団で餌を求めて海に飛び込む際に、最初に飛び込むペンギンは「ファーストペンギン」と呼ばれる。転じて「リスクのある新分野に最初に挑戦する人」のことを指す[21]。 「ペンギン」の語源ラテン語説ラテン語の pinguis(肥満)によるという仮説。15世紀後半以降、大西洋を横断したスペインのタラ漁師が、北西大西洋のニューファンドランド島周辺に生息する飛べない潜水性の海鳥であるオオウミガラスをスペイン語で penguigo(太っちょ)と呼んだ。16世紀にこの語が英語に入って penguin となったとする。 時を同じくして、南半球を探検しペンギンを初めて見たヨーロッパ人は、オオウミガラスに良く似た形態・生態のこれらの海鳥を同じ「ペンギン」の名でよんだという。これらは特に区別せず「ペンギン」と総称され、混同されることも多かった。 ウェールズ語説古代ウェールズ語の pen gwyn(白い頭)に由来し、オオウミガラス(頭部が白い)を指す語として12世紀ごろから使われていたという仮説。しかし、一次史料は現存せず、疑問視されることもある。 オオウミガラスの絶滅語源的には「ペンギン」はオオウミガラスに由来した。しかし、当時(16世紀以前)の人々がオオウミガラスとペンギンを峻別していたわけではなく、オオウミガラスと(南の)ペンギンが「ペンギン」と呼ばれるようになったのはほとんど同時期である。 南半球の探検が進み、南のペンギンの研究・利用が増える一方、オオウミガラスは乱獲により17世紀ごろから激減し、18世紀には猟が商業的に成り立たなくなり、1844年には絶滅した。これにともない、「ペンギン」は南のペンギンを指すことが徐々に多くなり、ついには完全に南のペンギンのみを指すようになった。 脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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