全ての成分が正の実数であるような行列をここでは正行列と呼び、それらが非負の実数であるような行列をここでは非負行列と呼ぶ。A をある実正方行列としたとき、その固有値は複素数で、その行列のスペクトルを形成する。行列ベキ Ak の k → ∞ としたときの指数関数的成長率は、絶対値が最大であるような A の固有値によって決定される。ペロン=フロベニウスの定理は、A を非負の実正方行列としたときのそのような支配的な固有値と、それに対応する固有ベクトルの性質について述べたものである。初期の結果は Oskar Perron (1907) によるもので、正行列を対象としていた。のちに、その結果のある非負行列のクラスへの拡張を、Georg Frobenius (1912) が発見した。既約非負行列に対するペロン=フロベニウスの定理はAlexandroff-Hopf(1935)とHerstein(1953)によって示された(証明にはブラウワーの不動点定理が使われた)[1]。
正行列
A = (aij) を n × n の正行列とする。すなわち、1 ≤ i, j ≤ n に対して aij > 0 が成立しているものとする。このとき、以下の性質が成立する。
ペロン根(Perron root)あるいはペロン=フロベニウス固有値(Perron-Frobenius eigenvalue)と呼ばれるある正の実数 r が存在する。そのような r は A の固有値であり、他のすべての固有値 λ(複素数の場合もあり得る)の絶対値は、r よりも真に小さい。すなわち、|λ| < r が成立する。したがって、スペクトル半径ρ(A) は r に等しい。
ペロン=フロベニウス固有値は単純である。すなわち、r は A の特性多項式の単純根である。その結果、r に対応する固有空間は一次元である(左固有空間、すなわち AT の固有空間に対しても同様の性質が成り立つ)。
A には、固有値 r に対応する固有ベクトル v = (v1,…,vn) が存在して、その成分は全て正にとれる。すなわち、A v = r v かつ全ての 1 ≤ i ≤ n に対して vi > 0 であるものが存在する(同様に、正の左固有ベクトル w で、wT A = r wT および wi > 0 を満たすものが存在する)。
v の正数倍の他には、正(さらには非負)の固有ベクトルは存在しない(左固有ベクトル w についても同様)。すなわち、他のすべての固有ベクトルは必ず符号が反対の成分あるいは実数でない成分を含む。
である。ただしここでは、A の左および右の固有ベクトルは wTv = 1 が成立するように正規化されているとする。さらに、行列 v wT は r に対応する固有空間の上への射影である。この射影はペロン射影(Perron projection)と呼ばれる。
コラッツ=ヴィーランド(Collatz-Wielandt)の公式:全ての非負かつ非ゼロのベクトル x に対して、f(x) を、xi ≠ 0 であるような全ての i について [Ax]i / xi を考えたときの最小値とする。このとき、実数値関数 f の最大値はペロン=フロベニウス固有値である。
ミニマックスコラッツ=ヴィーランド(Collatz-Wielandt)の公式も、上と同様の形式を持つものである:全ての(狭義に)正であるベクトル x に対し、g(x) を、すべての i について [Ax]i / xi を考えたときの最大値とする。このとき、g は実数値関数でその最小値はペロン=フロベニウス固有値である。
非負行列の理論においてカギとなる概念として、既約行列(irreducible matrix)と呼ばれる、ある特別な非負行列の類が存在する。それにより、自明では無い一般化が可能になる。すなわち、絶対値が最大である固有値が複数存在する場合にも、最大固有値の構造を理解することができるのである:それらは、h をある整数(行列の周期)とし、r を正の実固有値とし、k = 0, 1, ..., h − 1 とすれば、re という式で表せる。そうして r に対応する固有ベクトルは、狭義正の成分を持つ(これは一般的な非負行列において、成分が非負であるだけという場合と対照的である)。またそのような固有値は全て、特性多項式の単純根である。その他の性質については、以下で述べる。
行列の分類
正方行列 A (必ずしも正あるいは実でなくてもよい) が既約(irreducible)であるとは、以下の(互いに同値な)定義で述べられている性質が成立することを言う。
定義 1:A は非自明な不変座標部分空間を持たない。ここで、非自明な座標部分空間とは、任意の基底ベクトルの真部分集合によって張られる線型部分空間を意味する。より明確に言うと、基底ベクトル ei1, ...,
eik, n > k > 0 によって張られる任意の線型部分空間に対し、作用 A を施した像は同じ部分空間には含まれない、ということを意味する。
定義 3:添字 i と j の全てのペアに対し、(Am)ij が 0 とならないようなある自然数 m が存在する。
定義 4:行列 A に関連する有向グラフGA を考える。そのグラフは A のサイズ n と等しい数の頂点を持ち、Aij > 0 である場合に頂点 i から頂点 j への辺が存在するものとする。このとき、行列 A が既約であるための必要十分条件は、その対応するグラフ GA が強連結であることである。
既約でない行列は、可約(reducible)と呼ばれる。
A を非負行列とする。添字 i を固定したとき、その添字の周期(period of index)を、(Am)ii > 0 が成立するような全ての自然数 m の最大公約数として定義する。A が既約であるとき、全ての添字の周期は等しく、それは A の周期と呼ばれる。実際、A が既約であるとき、その周期は、グラフ GA に含まれる全ての有向閉路の長さの最大公約数として定義される(Kitchens[9] の 16 ページを参照)。
その周期はまた、非原始性の添字(index of imprimitivity)、または周期性の位数(order of cyclicity)などと呼ばれる。
周期が 1 であるとき、行列 A は非振動的(aperiodic)と呼ばれる。
行列 A は、非負かつ m 次のべきが正となるようなある自然数 m が存在するとき、原始的(primitive)であると呼ばれる。行列が原始的であることと、非負既約かつ非振動的であること、は同値であることは証明されている。
正の正方行列は原始的であり、原始的な行列は既約である。正行列に対するペロン=フロベニウスの定理の全ての内容は、原始的な行列に対してもやはり真である。しかし、一般的な非負既約行列 A については、(その周期が1でなければ)A のスペクトル半径に等しい絶対値を持つ固有値が複数個存在する場合がある。したがって正行列に対する定理は非負既約行列に対しては、絶対値が最大である固有値の数は行列の周期に等しい、と修正する必用がある。
非負既約行列に対するこの結果は、1912年、フロベニウスによって初めて与えられた。
既約行列に対するペロン=フロベニウスの定理(のまとめ)
いま A を、非負かつ既約な n × n 行列とし、その周期は h で、スペクトル半径は ρ(A) = r でそれぞれ表されるものとする。このとき、次の主張が成立する。
行列 A のスペクトル半径である正の実数 r は、A の固有値(ペロン=フロベニウス固有値と呼ばれる)である。
このペロン=フロベニウス固有値 r は単純(重複が無い)である。よって r に対応する右および左の各固有空間は、一次元である。
A は、固有値 r に対応する左固有ベクトル v を持ち、その成分はすべて正の実数にとれる。
同様に、A は固有値 r に対応する右固有ベクトル w を持ち、その成分はすべて正の実数にとれる。
すべての成分が正の実数である固有ベクトルは、(定数倍を乗じる違いを無視すれば)固有値 r に対応する上述のものだけである。
行列 A は、絶対値が r と等しい複素固有値をちょうど h 個(h は行列の周期)持つ。それらはそれぞれ、特性多項式の単純根であり、r に 1のh乗根を乗じたものとして与えられる。
ω = /h とする。このとき行列 A は行列 A と相似で、したがって A のスペクトル(固有値の分布)は の乗算に対して不変である(その乗算は、偏角 ω による複素平面上の回転に対応する)。
ヴィーランドの定理:行列 B の各要素をその絶対値で置き換えた行列を |B| と表すときに、|B|<A ならば、ρ(B)≤ρ(A) である。等号が成立する(すなわち、μ=ρ(A)eiφ が B の固有値である)なら、ある対角ユニタリ行列 D に対して B = eiφD AD−1 が成立する(すなわち、D の対角成分は eiΘl に等しく、非対角成分はゼロである)[10]。
行列のベキ Aq が既約であるなら、それは完全既約である。すなわち、ある置換行列 P が存在し、次が成立する:
ここで Ai は同じ最大固有値を持つ既約行列である。これらの行列の数 d は、q と h の最大公約数である。ただし h は行列 A の周期である[11]。
0 ≤ A < B なら、rA ≤ rB であり、さらにもし A が既約であるなら、厳密な不等号が成立する。すなわち、rA < rB となる。
行列の原始性の定義の一つによれば、原始的な行列 A は非負であり、Am が正となるようなある m が存在する。A のサイズに依存してこの m がどれほど大きい値となるのか、疑問に思うこともあるかも知れない。次の主張は、その疑問に対する解答となっている:
A を、サイズが n であるような非負の原始的行列とする。このとき、An2-2n+2 は正である。さらに、n > 1 であるなら、以下で与えられるような行列 M が存在する。全ての k < n2-2n+2 に対して Mk は正でなく(しかしもちろん、非負である)、特に (Mn2-2n+1)11=0 である:
ペロン=フロベニウスの定理は、一般的な非負行列に対して直接適用することは出来ない。しかし、任意の可約行列 A は、次のような上三角ブロック行列の形式で記述されうる(この形式は可約行列の標準形として知られる)[17]
PAP−1 =
ここで P は置換行列であり、各 Bi は既約かゼロのいずれかであるような正方行列である。もし A が非負であるなら、各 Bi もすべて非負であり、A のスペクトルはそれらのスペクトルの合併で与えられる。したがって、A のスペクトルに関する性質の多くは、既約な Bi に対してペロン=フロベニウスの定理を適用することにより、得ることが出来る。
Collatz, Lothar (1942), “Einschließungssatz für die charakteristischen Zahlen von Matrize”, Mathematische Zeitschrift48 (1): 221–226, doi:10.1007/BF01180013
Wielandt, Helmut (1950), “Unzerlegbare, nicht negative Matrizen”, Mathematische Zeitschrift52 (1): 642–648, doi:10.1007/BF02230720
図書
Abraham Berman, Robert J. Plemmons, Nonnegative Matrices in the Mathematical Sciences, 1994, SIAM. ISBN 0-89871-321-8.
Henryk Minc, Nonnegative matrices, John Wiley&Sons, New York, 1988, ISBN 0-471-83966-3
Seneta, E. Non-negative matrices and Markov chains. 2nd rev. ed., 1981, XVI, 288 p., Softcover Springer Series in Statistics. (Originally published by Allen & Unwin Ltd., London, 1973) ISBN 978-0-387-29765-1