ビクター・モーゼス
ビクター・モーゼス(Victor Moses, 1990年12月12日 - )は、ナイジェリア・カドゥナ州カドゥナ出身のサッカー選手。元ナイジェリア代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー、ディフェンダー。 経歴生い立ちナイジェリアで生まれ育ったが、11歳の時に両親を殺人事件で失いナイジェリアからイングランドに移住した。 クラブ高校時代にクリスタル・パレスのスカウトの目にとまり、2004年からユースチームに所属した。2007年にトップデビューを飾って以降リーグ戦40試合に出場しており、アーセナル、リヴァプール、バルセロナ、トッテナム・ホットスパー、エヴァートンなどからの関心が伝えられていた。 2010年2月1日、ウィガン・アスレティックに移籍することが決まった。移籍金250万ポンドで契約期間は3年半。2月6日のサンダーランド戦でデビューを果たした。5月3日のハル・シティAFC戦で初ゴールを記録した。 2012年8月、チェルシーFCに移籍が決定[1][2]。9月15日のクイーンズ・パーク・レンジャーズFC戦でデビューを果たした。11月3日のスウォンジ・シティAFC戦にてチェルシーでのリーグ戦初ゴールを記録した。 2013-14シーズンよりリヴァプールFCへレンタル移籍[3]。 2014-15シーズンよりストーク・シティFCへレンタル移籍[4]。 2014-15シーズン終了後に一度はチェルシーFCへ復帰するも、2015年9月1日にウェストハム・ユナイテッドFCに1年間のレンタルで移籍した[5]。 3シーズン連続のローン移籍でのたらいまわし状態により、放出候補とみられていたが、チェルシー再建を任されたアントニオ・コンテ監督にプレシーズンマッチでのプレーが評価され、2016-17シーズンはチームに残留した[6]。シーズンの序盤は、主にサブメンバーだったが、コンテ監督が3バックを導入したハル・シティ戦からは、「3-4-3」の右ウィングバックとして起用された。ウィングバックでは豊富な運動量により攻守にわたり躍動し、コンテ監督から絶対的な信頼を得、チームのキーマンとしてレギュラーの座を確保した[7][8]。 2019年1月25日、フェネルバフチェSKに2019-20シーズン終了までのレンタルで移籍した[9]。 2020年1月23日、インテルナツィオナーレ・ミラノに買取オプション付のレンタルで移籍した[10]。背番号は11番。 2020年10月15日、FCスパルタク・モスクワに買取オプション付のレンタルで移籍[11]。2021年7月に所属元のチェルシーとの契約満了を伴い、完全移籍が決定した[12]。 代表2005年にイングランドU-16代表で初めて代表に呼ばれた。U-17代表では、UEFA U-17欧州選手権2007に出場し3ゴールを挙げトニ・クロースと共に得点王となりチームを準優勝に導いた。FIFA U-17ワールドカップでもチームトップの3ゴールを決めたが、ブラジル代表戦で負傷しその後は欠場。チームは準々決勝でドイツ代表に敗れた。U-19代表ではUEFA U-19欧州選手権2008に出場したがゴールを挙げることなくチームはグループステージ敗退となった。 イングランド代表として着実にキャリアを上げていったが、A代表では故郷であったナイジェリア代表を選択した。2012年2月29日のアフリカネイションズカップ2013予選、ルワンダ戦でナイジェリア代表デビューした。同年10月12日のアフリカネイションズカップ2013予選、リベリア戦で代表初得点を含む2得点を挙げた。アフリカネイションズカップ2013では初戦を除く5試合でスタメン出場、エチオピア戦で決勝ゴールを含む2ゴール (いずれもPK) を挙げるなど、チームの優勝に貢献した。 2018 FIFAワールドカップの最終メンバーに選ばれ、グループステージ3試合すべての試合にフル出場。3試合目のアルゼンチン戦では、PKによる得点を決めた。ワールドカップ終了後の2018年8月15日、自身のツイッターにてナイジェリア代表引退を発表した[13]。 個人成績クラブでの成績2019年5月20日現在 出典:soccerway.com
代表歴![]() 出場大会試合数
得点
タイトルクラブ
代表個人
脚注
関連項目外部リンク
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