バスキン・ロビンス
バスキン・ロビンス(英語: Baskin-Robbins Inc.)は、アメリカ合衆国発祥の世界最大級のアイスクリームチェーンのひとつ。世界40か国に7300以上の店舗を展開している。 社名は創業者の名前に由来している。日本での名称はサーティワンアイスクリーム。「サーティワン」には「31種類のアイスクリームがあるため、1か月毎日違うアイスを楽しんでほしい」という意味が込められている。作られているアイスクリームの数は1300種類にのぼる。ロゴマークは「BR」と「31」を組み合わせたもの。 歴史創業者はバート・バスキンとアーヴ・ロビンスの2人。バスキンはロビンスの姉の夫だった。2人ともアイスクリームが好きで、店を持つことを夢見ていた。ロビンスの父はワシントン州タコマでアイスクリームショップを経営しており、ロビンスは店を手伝うのが好きだった。第二次世界大戦中、ロビンスは1942年から1945年にかけて陸軍に入隊、バスキンは海軍に志願しそこでアイスクリームを作っては同僚に配った。戦後2人はロビンスの父親の薦めで別々に店を開くことにした。まず1945年にロビンスがカリフォルニア州グレンデールに「Snowbird(スノウバード)」を開業した。そして翌年には、退役したバスキンが同州パサデナに「Burton's(バートンズ)」を開業した。 その後、バスキンとロビンスの両者はカリフォルニア南部で勢力を伸ばし1953年に合体して「Baskin-Robbins(バスキン・ロビンス)」となった。1960年代中盤には全米400店舗を達成、1967年にバスキンとロビンスはバスキン・ロビンスをユナイテッド・フルーツ(現在のチキータ・ブランド)に推定1200万ドルで売却し、1970年代からは順次海外出店が始まった。現在はすべての店舗がフランチャイズである。 創業者(バスキンは1967年、ロビンスは2008年に死去)の手を離れて以降は様々な親会社の下を転々としたが1973年にイギリスの食品会社J.ライオンズ(後のアライド・ライオンズ→アライド・ドメク)が買収した。1994年にはアライド・ドメク・クイックサービスレストラン(後のダンキン・ブランズ)の傘下となる。 2005年にフランスの酒業メーカーペルノ・リカールがアライド・ドメクを買収した際、ダンキン・ブランズの売却が発表された。ダンキン・ブランズ・グループは、2005年12月に投資ファンドのベインキャピタル、カーライル・グループおよびトーマス・H・リー・パートナーズによる共同所有となった。 2020年10月31日にインスパイア・ブランズはダンキン・ブランズを113億ドルで買収すると発表した。同年12月15日に買収が完了し、現在はダンキンドーナツとともにインスパイア・ブランズの傘下となっている。 展開している国や地域
日本での展開
日本ではバスキン・ロビンスと不二家の合弁会社のB-Rサーティワンアイスクリーム株式会社[注 1](英: B-R 31 ICE CREAM CO.,LTD.)がチェーン店を展開している。高速道路のサービスエリアにあるような小規模な店舗では31種類以下の品揃えであることもある。また、一部の店舗ではクレープを取り扱っている。 当初は登記上の商号にアルファベットを使用できなかったため、商号は「ビー・アールサーティワンアイスクリーム」であったが、2007年に表記を現在のものに改めた。 本国のアメリカと異なり、日本では「サーティワン アイスクリーム」を屋号にしており、「バスキン・ロビンス」と呼ばれることはほとんどないが、看板は本来の名称である「Baskin-Robbins」を強調したもので、それに「サーティワン アイスクリーム」の文字が併記されている。ロゴマークは、旧来は「31」を強調したものだったが、現在では「BR」と「31」を組み合わせたロゴとなっている。2022年4月11日にバスキン・ロビンスはロゴマークを一新したが、日本を含むアメリカ国外では変更されていない。 本国アメリカでは「バスキン・ロビンス」と呼ばれているため、アメリカ人に「サーティワン」といっても通じず、逆に日本人には「バスキン・ロビンス」は通じにくい[注 2]。 2021年までに提供されたフレーバーは1,300種に上る[2]。 沿革出典:[3]
ギャラリー
提供番組現在過去
CM出演者現在アイスクリームケーキ バラエティパック
過去脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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