ドラム缶女性焼殺事件
ドラム缶女性焼殺事件(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、2000年(平成12年)4月4日未明、愛知県名古屋市千種区振甫町2丁目の路上で女性2人が拉致され[新聞 1][新聞 6][新聞 7]、同県瀬戸市北白坂町の山中で焼き殺された強盗殺人・死体損壊事件である[新聞 8][新聞 9][新聞 10]。 加害者
事件に至るまで主犯格の元死刑囚Kは、1989年(平成元年)頃 - 1992年(平成4年)7月と1994年(平成6年)5月 - 1996年(平成8年)2月の計2回にわたり、愛知県小牧市内の運送会社にトラック運転手として勤務しており、その時に共犯N・従犯W・X・Y・Zの計5名と互いに知り合った[判決文 1]。1996年2月に運送会社を退社してからKは職を転々とし、1999年(平成11年)4月頃から愛知県春日井市明知町にて中古車販売業を始めた[判決文 1]。 Kは1996年2月ごろ、Nが勤務していた愛知県小牧市内の運送会社に入社してトラック運転手として働くようになったが、職場の同僚らに対し「背中に刺青を入れている」「親父が暴力団組員だ」などと吹聴して自己の強さを誇示していた[判決文 1]。その後、Nは元同僚のKが中古車販売業を起業したことを知ってKの店に出入りするようになったが、「Kから見下されたくない」という思いから「取り込み詐欺を繰り返して会社を潰したこともある」などと話し、反社会的勢力に精通していることを誇示した[判決文 1]。 Kは1999年夏頃、Wから「何か儲かる仕事はないか」と相談を持ち掛けられた際、「Wが休眠会社を買い取りその会社を使って取り込み詐欺をすれば自分もその分け前を得られる」などと思いつき、同年9月頃にはNに取り込み詐欺の話を持ち掛けた[判決文 1]。前述のように「取り込み詐欺を行ったことがある」というNの話自体は嘘だったが、Nは嘘を隠し通そうとしたことに加え、「自分も金儲けがしたい」と考えたことから申し出を承諾した[判決文 1]。これを受けてKはNだけでなく、W・X・Y・Zの4人に対しても同様に取り込み詐欺の話を持ち掛けた[判決文 1]。当時、加害者6人はWを除いた全員が既に債務超過で消費者金融(サラ金)などの「ブラックリスト」に名前が載っており、新たな借り入れができない状態に陥っていた[判決文 2]。 N・Kら加害者6人は1999年11月上旬ごろ、Nが経営していた中古車販売店の事務所に集まり、Kの「会社を設立した上で手形を乱発して商品を購入し、その商品を換金した後、最終的には会社を潰す」という提案の下で取り込み詐欺を行うことを決めた[判決文 1]。6人は取り込み詐欺を行うために利用する会社を設立することを決め[判決文 1]、休眠会社を買収した上で[新聞 7]、春日井市柏原町[新聞 2]の建物の一室を同月中に事務所として賃借し、買い取った休眠会社の登記を変更するなどして[判決文 1]、表向きには自動車部品販売会社として取り込み詐欺会社「シムス」を設立した[新聞 18][新聞 12]。「シムス」の名目上の代表取締役には[新聞 7][判決文 1]、W・X・Y・Zの4人の中で唯一ブラックリストに名前が載っていなかったWが就任し[判決文 2]、取締役にX・Y・Zの3人が就任した[判決文 1]。しかし会社の実権は、「詐欺が発覚すると自分たちに刑事責任が及ぶ」と恐れて同社の役員には就任しなかったものの、取り込み詐欺の発案者だったN・K両名が握っており[判決文 1]、両名は背後からWらに指図しつつ[判決文 2]、儲けた利益の大半を取得・折半しようとしていた[判決文 1]。会社設立後、次第にN・K両名とW・X・Y・Zの4人との間で上下関係が明確になり、「俺は元暴力団員だ。義足の右足はヤクザに切られた」と自称するKや「暴力団に近い実父を持ち、自分もかつては暴力団員だった」と言われていたKは、会社設立後にはWたち4人に何かと指図し、時に強く叱責・罵倒するなどして4人を服従させていた[判決文 2]。 W・X・Y・Zの4人は当初、パソコン販売会社などを通してパソコンなどの商品を詐取しようとしたが、相手から信用されなかったために失敗したため、Nが「相手に手形・小切手を交付して信用させよう」と考え、W・Yに対し「シムス」の当座銀行預金口座を開設するよう指示した[判決文 1]。W・Yは1999年12月頃、十六銀行の担当者と「シムス」事務所で面談したが、同社の実態について信用を得られなかったため、当座預金口座の開設に失敗した[判決文 1]。取り込み詐欺が容易に成功しないことに加え、W・Yが銀行口座の開設に失敗したことから、腹を立てたKは2人を中古車販売店の事務所に呼び出して刃物を見せ「指を詰めろ」などと脅した[判決文 1]。これに加え、Nは「取り込み詐欺に専心しなければ殺すぞ」という心理的圧力を加えるため、W・X・Y・Zの4人を生命保険に加入するよう脅し、住友生命保険との間で[判決文 1]「受取人名義・「シムス」、災害死亡保険金各6000万円、死亡保険金各5000万円」の生命保険契約を締結させた上[判決文 2]、4人に対し「誰が死ぬんだ?死ぬなら事故死だ」[判決文 2]「お前らの誰かが死ねば俺たちに高い保険金が入る」などと述べ、4人に「逆らえば殺される」という意識を植え付け[新聞 12]、追い詰めて取り込み詐欺に専心させようとした[判決文 1]。この頃までには既に「N・Kの2人が対等な関係でリーダーに君臨し、W・X・Y・Zの4人が2人に絶対服従する」関係ができ上がっていた[判決文 1]。このような実態に嫌気が差したYは1999年12月頃から翌2000年1月頃にかけて2度にわたって出社を拒否して実家に身を隠すなどしたが、N・K両名が探しに来て、「自供推敲に努力する。違約した場合はいかなる処罰・処分も甘受する」という念書を書かされ、会社に戻った[判決文 2]。また、Wは借金がかさんで返済に困窮したため、2000年1月頃に妻と形式上協議離婚したが、さらに精神的に不安定になり、同年2月11日頃には睡眠薬を大量摂取して自殺を図った[判決文 2]。Wはさらに「会社を辞めたい」とこぼしたが、これを聞いたN・K両名は「お前の家族に危害を及ぼす」と示唆して脅迫・暴行を加えるなどしてWが逃走するのを阻止した[判決文 2]。 一方で喫茶店経営者の被害者男性Aは、喫茶店経営だけでなく個人的な貸金業を経営しており、その運用資金として借金をしていたが、事件数年前から借金返済に追われるようになり[新聞 2]、金融業の失敗で数千万円の借金を抱えていた[新聞 25]。1999年3月22日、岐阜県岐阜市内の貸金業者宛に額面240万円の約束手形を振り出したが、その手形が不渡りとなったため、貸金業者はNの実父(暴力団関係者)が岐阜市内で経営していた別の貸金業者に手形の取り立てを依頼した[判決文 1]。1999年12月上旬ごろ、Nは実父の経営する貸金業者の従業員から「手形の取立をしてほしい」と持ち掛けられたことに応じ、この話をKに報告した上で取り込み詐欺会社の仕事として行うことを決め、Yを取り立ての直接担当者にした[判決文 1]。手形が不渡りになって以降、Aの喫茶店には頻繁に電話がかかるようになり、加害者らが店を訪れることもあった[新聞 2]。 Nは前述の貸金業者従業員から被害者Aの情報を入手した上で、1999年12月11日頃、K・W・X・Y・Zを加えた計6人で手分けをして、普通乗用車(トヨタ・クラウンマジェスタ)を運転して帰宅する被害者Aを尾行するなどした結果、名古屋市千種区内のA宅・「Aが経営している」と目された名古屋市中村区内の喫茶店を特定した上、「Aが妻らしき女性とともに喫茶店を出て帰宅することがある」ことを把握した[判決文 1]。Nは被害者Aに電話連絡して「名古屋国際ホテル(名古屋市中区錦)で面談する」という約束を取り付け、1999年12月13日午前10時頃に共犯K・W・X・Y・Zとともにホテル内の喫茶店で被害者Aと面談した[判決文 1]。その際、主にN・K両名が被害者Aに対し「手形の債務を弁済しろ」と強く求めたが、Aからは弁済を拒絶された上、N・K両名が「お前のマジェスタを代物弁済として提供しろ」と迫っても断られた[判決文 1]。結局この日の交渉において、N・K両名らはAに対し、「(当時は売却の話がまだ具体化していなかった)静岡県伊東市内のAが保有する不動産が売却できた際、その代金で手形債務を弁済する」という念書を書かせることしかできなかった[判決文 1]。N・K両名はAの態度に憤激し、Kは中古車販売店の事務所に戻った後、W・X・Y・Zの4人の前で「あんな奴は俺も取り立ての時に殺したことがある。その時は相手を殺して、骨をチェーンソーで切断した上でドラム缶に入れて燃やしてすりつぶし、養鶏場の鶏のエサにした」などと嘘を言って強がった[判決文 1]。 N・K両名ら6人はその後、被害者A宅にあるマジェスタの車庫を突き止めた[判決文 1]。また、A宅の郵便受けに「Aと同姓の女性(=Aの妻B)とは別の女性宛に郵便物が届いている」ことを確認したことや、Aが運転していたマジェスタを尾行した際にはAの妻と思しき女性とは別にもう1人女性が乗り込んでいたことがあったことなどから、「A宅にはA・B夫婦以外に別の女性1人(被害者C)が同居している可能性がある」と判断した[判決文 1]。その一方で、Aからの手形取立の直接の担当者となったYだったが、上記の名古屋国際ホテルにおける面談以降は1度も被害者Aと連絡を取ることができず、年が明けて2000年に入ってからも手形取立についての事態は進展しなかった[判決文 1]。そのため、N・Kら6人の間でAについての話題が上がるたびに、Nは「あんな奴は車を奪って殺してしまえばいい」などと繰り返し言うようになり、「Aたちを拉致したらあいつの家の鍵を奪って家の中の金目のものを奪おう」と発言した[判決文 1]。またKも「A・B夫婦を拉致して殺し、遺体をチェーンソーで切断して骨をミキサーで潰し、ドラム缶に入れて焼いて鶏の餌にしよう。その時には血が飛ぶといけないからレインコートが必要になるし、ミキサーは電気がないところでは使えないから骨はミキサーにかける前にあらかじめすり鉢ですりつぶそう」などと何度も言った[判決文 1]。 Nは2000年2月3日、K・Wら6人で中古車販売店事務所に集まった際、Yから「Aからの手形取立は一向に進展しない」と報告を受けたことから、W・X・Y・Zの4人に「A・B夫婦やその同居人(=被害者C)を拉致・監禁してマジェスタなどを強奪する」計画を実行させることにした[判決文 1]。その上でNはW・X・Y・Zの4人に対し、「今日(Aたちを)さらって来い。車を停めてあるところは分かっているから、帰って来るところを待ち伏せして拉致しろ。家の中から金目のものも奪っておけ」などと指示し、Kも「とにかく(Aたちを)連れてくればいい。殴ってもいいし、匕首でも足に刺せば簡単だ」などと言ってWら4人を煽った[判決文 1]。この時、N・K両名はW・X・Y・Zの4人に対し、「Aの女房(B)も一緒にいるなら一緒にさらえ。その場に(Cも含めて)3人いるなら3人まとめてさらって来い」などと指示した[判決文 1]。 W・X・Y・Zの4人はN・K両名の指示通り、被害者Aらを襲撃して自動車内に監禁し、Aのマジェスタなどを強奪するため、犯行に使用するためのハンマー・ガムテープ・ビニール紐などを用意した[判決文 1]。その上で2000年2月3日午前0時過ぎごろ、Wが運転するワゴン型普通乗用車(フォード・スペクトロン)にX・Y・Zの3人が同乗し、千種区内のA宅付近に到着し、Aらがマジェスタに乗車して帰宅するのを待ち伏せした[判決文 1]。しかしその後、Wら4人はスペクトロンの車内で寝込んでしまい、その間にAらが帰宅したためにこの襲撃計画は失敗に終わり、WらはN・K両名から強く叱責された[判決文 1]。 その後は取り込み詐欺稼業が成功し始め[判決文 1]、2000年2月にはパソコンの取り込み詐欺で約2,200万円の利益が上がった[新聞 26]。それに伴って詐欺の件で忙殺されるようになったため、手形取り立ての件はあまり話題にならなくなっていった[判決文 1]。しかし2000年4月3日午後1時頃、Nが取り込み詐欺で詐取したパソコンのうち2台を実父に転売した代金を集金しようと、取り込み詐欺会社に向かう途中の車内から父に電話したところ、以前から畏怖していた父親から手形取立が進展していなかったことを「どうなっているんだ」と強く叱責された[判決文 1]。そのため、「Aのせいで自分の面子が潰された」と考えたNは「Aたちを拉致・監禁して殺害することで報復し、マジェスタなどAが所有する金品を強取しよう」と改めて考えた[判決文 1]。 同日、Nは携帯電話で中古車販売店事務所にいたKに「もう(Aを)許しておけない。今日やるしかない」と電話したところ、KもNと同様に「Aのせいで自分たちの面子が潰された」と感じていたことから、Nから提案された強盗殺人の計画に「しょうがないね」と同意した[判決文 1]。またNはこの時、「2月にWたち4人でAたちを襲撃させようとしたが失敗したので、今回は自分も実行に加わろう」と考え、Kに対し「自分も行くから大丈夫だろう」と言ったところ、Kも「それなら自分も行く」と実行に加わる意思を示した[判決文 1]。 その上でKは、殺害したA・B両名の遺体をドラム缶で焼却することを決めたNから「ドラム缶を2缶調達してほしい」と依頼されたことを受け、春日井市坂下町のガソリンスタンドで従業員に依頼してドラム缶2缶を譲り受けた[判決文 1]。Kはその上でW・X・Y・Zの4人を中古車販売店事務所に呼び寄せ、「NがAからの取り立ての件で帰れないみたいだ。Nは『やる』と言ってるがお前らはどうするんだ?」などと言い[判決文 1]、同年2月にWらが失敗した犯行計画を再び実行に移すことを指示し[判決文 2]、Aらを拉致・監禁して殺害する強盗殺人の計画への加担を扇動した[判決文 1][判決文 2]。この時、X・Y・Zの3人は犯行への加担に同意したがWが拒否したため、Kは「お前が行かないなら(殺害に使う)ドラム缶を3つにするぞ」などと言い、犯行に加担することを拒否した場合は殺害することをほのめかす形でWを脅迫し、犯行に加担させた[判決文 1]。Kが「死体をチェーンソーで切断すると、血が飛び散って嫌だ」と話すと、Nは「生きたまま焼き殺せば、血はつかない」と、身勝手な理由で残虐な犯行に至った[新聞 12]。 一方でNは取り込み詐欺会社から中古車販売店事務所に戻る途中で2度にわたってXに電話し、以下の物品を購入するように指示し、Xに用意させた[判決文 1]。
またKはYを前述のガソリンスタンドに向かわせ、譲渡することが決まっていたドラム缶2缶を持ち帰らせた[判決文 1]。中古車販売店事務所に戻ったNはYに対し、チェーンソーの燃料として使用するとともに、Aらの遺体を焼却する際に使用するガソリン混合油を購入するように指示し、同じガソリンスタンドでガソリン約4リットル・エンジンオイル160ミリリットルの混ざった混合油を購入させて持ち帰らせた[判決文 1]。またNはガスバーナーを用い、Xが持ち帰ってきたドラム缶2缶を以下のように加工した[判決文 1]。
Nはその後、W・X・Y・Zの4人に犯行へ加担する意思が本当にあるのかを確認するため、4人に対し「どうする?今日やれるのか?4人でよく相談して決めろ」などと指示した[判決文 1]。これを受けてW・X・Y・Zの4人は互いに相談した後、「犯行に加担するしかない」と決意を固め、Yが4人を代表してNに「俺たち4人の責任でやりますから指示を出してください」と申し出た[判決文 1]。これにより、N・K・W・X・Y・Zの加害者計6人の間で、「被害者Aらを自動車内に監禁し、その所持金品を強取した上でAらを他所に連行して殺害し、その遺体を遺棄・損壊する」ことについての共謀が成立した[判決文 1]。 その後、N・Kら犯行グループ計6人は中古車販売店事務所で襲撃方法を相談し、Nは「自分たちのトヨタ・クラウンで自分とKともう1人の3人でAの喫茶店付近に向かい、Aたちの動向を確認し、残り3人がスペクトロンに乗ってA宅付近で待ち伏せる。その後、Aらがマジェスタで車庫に戻ってきた際、車庫に入るのを妨害するためにスペクトロンで車庫出入り口を塞ぎ、Aが文句を言うためにスペクトロンに近づいたところを誰かが殴りつけてマジェスタを強取する」という内容の犯行計画を立案した[判決文 1]。さらにN・K両名は、W・X・Y・Zの4人に対し「このことはお前らが勝手にやることで、俺たちは無関係だということにしろ」と口裏合わせを指示した[判決文 1]。またこの頃、Xが角材を2本持ってきたため、Nはこれらを襲撃に使用することに決め、W・X・Y・Zの4人に命じて角材の握りの部分にタオルを巻き付けさせ、そのタオルを水で濡らすことでAを殴打する際に手が滑らないようにした[判決文 1]。さらにN・Kら計6人は、ドラム缶・チェーンソーなど犯行に使用する各道具をスペクトロンに積載し、2000年4月3日午後8時30分頃にクラウン(Zが運転しN・K両名が乗車)・スペクトロン(Wが運転しX・Y両名が乗車)に分乗して名古屋市方面に向かった[判決文 1]。 事件発生Zの運転するクラウンに乗車したN・K両名はAの経営する喫茶店付近に到着し、Aらが喫茶店から出てくるところを見張った[判決文 1]。一方でWが運転するスペクトロンに乗車したX・Y両名は千種区内のA宅車庫付近の路上で帰宅を待ち伏せた[判決文 1]。 N・K・Zの3人は被害者Aが閉店後、妻B(事件当時65歳)・喫茶店従業員の義妹C(事件当時59歳、Aの妻Bの妹)とともにサウナに向かうところを確認し[新聞 5]、2000年4月4日午前0時10分頃、マジェスタに乗車して喫茶店付近の路上を出発したところを確認した上で、Zが運転していたクラウンでAのマジェスタを追尾した[判決文 1]。この時、Nは電話でスペクトロンに乗車していたW・X・Yの3人に「Aがマジェスタで自宅に向かい始めた」伝えたが、「3人目の女性は喫茶店の従業員だろう。途中で下車するかもしれない」と軽く考え、スペクトロンにいたWらには「3人目の女性」(=被害者C)の存在を伝えなかった[判決文 2]。W・X・Yの3人はNから電話連絡を受けて「A・B夫妻が2人で帰宅してくる」と考え[判決文 2]、4人で相談した上で、スペクトロンを運転していたWがA宅車庫の出入り口を塞ぐようにスペクトロンを駐車し[判決文 1]、車内助手席で待機することを決めた[判決文 2]。一方、Yが被害者Aを襲撃するために角材を携帯して車外に出て、マジェスタの駐車場向かいに駐車してあった車両の陰に隠れて待ち伏せ、XがAの同行者(=被害者B)を襲撃するためにタイヤレンチを携帯して駐車場向かいの民家の隙間に隠れ、それぞれ帰宅を待ち伏せた[判決文 2]。 2000年4月4日午前0時30分頃、Aはマジェスタを運転して自宅前に到着したが、車庫を塞ぐように駐車してあったスペクトロンの存在に気付いた[判決文 1]。Aはマジェスタを降車し、スペクトロンの車内にいたWに「車を移動してくれ」と注意し、続いて降車したB・C両被害者とともにマジェスタのトランクを開けて荷物を取り出そうとした[判決文 1]。その直後、角材を持ったYがAの背後に走り寄り、Aの頭部などを角材(平成12年押収第408号の1)で数回殴打して全治約2週間の頭部挫傷・挫滅創・右前腕打撲などの怪我を負わせた[判決文 1]。Aは助けを求めようと近くの知人宅に逃げ込んだため[新聞 1]、Yはその後を追ったが途中で見失った[判決文 1]。 クラウンに乗車してAのマジェスタを追尾していたN・K・Zの3人は、A・B・Cの3人がマジェスタから降車した直後、YがAを襲撃したことを確認したため、KはN・Z両名に対し、「何をしてる。あいつら(W・X・Y)だけじゃやりきれないから早く行け」などと怒鳴り、A・B・Cの3人を全員監禁するように指示した[判決文 1]。これを受けてNはZとともにクラウンから降車したところ、WがCの右腕を引っ張ってスペクトロンの左後部ドア付近まで連行したのを見て、WとともにCをスペクトロン後部座席に押し込んだ[判決文 1]。その後、NはYとともにAを追跡したが見失った[判決文 1]。一方でXはタイヤレンチを携帯し、駐車場に逃げ込んだBを追いかけてその身体を後ろから両手で抱え込んだが、Bから腕をかまれて抵抗されたため、その顔面を手拳で殴打し、その場に座り込んだところを背後から両脇を両手で抱きかかえた[判決文 1]。この様子を見たZはBの両足を持ち、Bの体を持ち上げてスペクトロンまで連行して後部座席に押し込み、Xがスペクトロン車内のBの左側に乗車してドアを閉め、B・C両被害者をスペクトロン車内に監禁した[判決文 1]。 Kはその直後、クラウンから降車してZに「早くマジェスタをどかせて発進させろ」などと指示し、これを受けたZはマジェスタをその積載物(ウォークマンなど計4点、時価合計約63,000円相当)とともに強取した[判決文 1]。Wはそのままスペクトロンを発進させ、車内に監禁したB・C両被害者を連行した状態でZの運転するマジェスタに追随した[判決文 1]。一方でKはクラウンを運転して犯行現場を離れ、N・Y両名は徒歩で犯行現場から離れた[判決文 1]。N・Y両名はその後、犯行現場付近にあるナゴヤドーム(名古屋市東区)付近でK・W・X・Zの4人と合流したが、その時にZが「奪ったマジェスタの残り燃料が少ない」と申し出たため、NはZに「ガソリンスタンドで給油した後、集合場所に指定した愛知県瀬戸市内の自動車学校に来て合流しろ」と指示した[判決文 1]。その際、YはZの運転するマジェスタの助手席に乗り込み、NはKの運転するクラウンの助手席に乗り込んで、それぞれナゴヤドーム付近を離れた[判決文 1]。一方、Wはスペクトロンを運転してクラウンの後に続き、同乗していたXはスペクトロンの後部左側ドア付近に座った状態で自分の横にB・C両被害者を座らせて監視していたが、XはNから携帯電話で指示を受け、Cの両手首を前に揃えてタオルで緊縛し、Bもビニール袋を紐状にしたもので緊縛することで、それぞれ抵抗・逃走を抑圧した[判決文 1]。 Nから指示を受けたZはガソリンスタンドでマジェスタに給油後、N・K・W・Xの4人と落ち合うため瀬戸市内の自動車学校に向かおうとしたが[判決文 1]、Zが自分の携帯電話をKが運転するクラウン車内に置き忘れたことに気付き、Yと互いに「他のメンバーとどう居場所を連絡し合おうか?」と相談しながら走行していた[判決文 2]。その途中の2000年4月4日午前1時17分頃、Aからの110番通報を受けて緊急配備についていた愛知県警察の警察官らが「被害車両のナンバープレート情報と一致するマジェスタ」を発見した[判決文 1]。乗車していたY・Z被疑者は現場から北東約6km離れた千種区香流橋2丁目の県道交差点で信号待ちのため停車していたところ[新聞 1]、警察官から職務質問を受けて愛知県千種警察署に任意同行された[判決文 1]。Y・Z両被疑者は千種署にて「被害者Aを襲撃してマジェスタなどを強取した強盗致傷容疑」「B・C両被害者を拉致して監禁した逮捕・監禁容疑」で取り調べを受け、前者については認めたが後者については否認したまま、同日午前3時頃に強盗致傷の被疑事実で緊急逮捕された[判決文 1]。取り調べの当初、Y・Z両被疑者は「自分たち2人でやったことだ」と話して共犯者のN・K・W・Xの4人の存在を秘匿し、B・C両被害者の安否についても話さなかった[判決文 2]。 一方でN・K・W・Xの4人は集合場所の自動車学校に到着してY・Z両名を待ち、その間にXがB・C両被害者の両足をガムテープで緊縛したが、前述のように警察に取り押さえられたY・Z両名は自動車学校にやってこなかったため、N・K両名はクラウンを走行させて付近を捜したが、2人を見つけることはできなかった。そのためN・K両名は自分たち残った4人で犯行計画を続行することに決め、Kが運転してNが同乗するクラウンが先頭を走り、B・C両被害者を監禁した状態でWが運転しXが同乗したスペクトロンがクラウンに続く形で自動車学校を後にし、殺害場所を探した[判決文 1]。NはB・C両被害者を殺害する場所として、かつて自分が勤務していた瀬戸市内の山中にある種鶏組合の育成場を考えていたが、その場所へ向かう道を間違えたため、Kとともに改めて適当な場所を探しながらクラウンで瀬戸市内の山道を走行しつつ、車内で殺害方法について相談した[判決文 1]。その際、Kが「殺してから遺体を切断すると血液が飛び出る」などと言ったのに対し、Nは「ガソリンをかけてドラム缶内で生きたまま焼き殺せば、服が血液で汚れることはなくて済む」と答えたため、N・K両名は「B・C両被害者を生きたままドラム缶内で焼き殺す」殺害方法を取ることを決めた[判決文 1]。 N・K両名は2000年4月4日午前2時30分頃、愛知県瀬戸市北白坂町内にある「東京大学大学院農学部生命科学研究科附属演習林 愛知演習林」内まで移動したところ、林内にある山道の途中に自動車を駐車できる空き地を見つけ、その場所を殺害場所とすることを決めた上でそこにクラウンを駐車し、続いてWもスペクトロンを同所に駐車した[判決文 1]。Nは空き地に到着すると、Xに命じてB・C両被害者の手首を後ろ手にしてガムテープで緊縛し直させ、両手足を緊縛されて反抗を抑圧させた被害者Cからその膝の上に置いてあったハンドバッグ内の現金約24,000円・商品券2枚を強取すると、さらにXに命じてB・C両被害者の口にそれぞれガムテープを貼らせて口を塞いだ[判決文 1]。現場は愛知県西加茂郡藤岡町西市野々(現・豊田市藤岡町西市野々)[新聞 2]・瀬戸市北白坂町の市町境に近く、藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6キロメートルに位置する山中だった[新聞 3][新聞 4]。 N・K・W・Xの4人はスペクトロンから積載してあったドラム缶2缶(名古屋地検平成12年領第1549号の18,19)を下ろし、空き地に並べておいて蓋を開けると、NがXに「風呂にでも入ってもらえ」などと言い、スペクトロン車内で助けを求めるように唸り声を上げていた被害者BをW・X両名にドラム缶の中へ運び入れさせて立たせた[判決文 1]。さらにNはスペクトロン車内にいた被害者Cの体を抱きかかえ、Wとともにもう一方のドラム缶内に入れて立たせた[判決文 1]。Nはその後、ドラム缶内で立っていたB・C両被害者を座らせるよう指示し、これを受けたW・X両名はB・C両被害者の頭・肩を手で押し込んでドラム缶内に座らせた[判決文 1]。するとKがスペクトロン車内に積載されていた約4リットルのガソリン混合油の入ったエンジンオイル缶を持ち出してNに渡し、Nがその缶の蓋を開けて被害者Cの頭から約1リットルのガソリン混合油をかけ、続いて被害者Bにも頭から約1リットルのガソリン混合油をかけた[判決文 1]。その際、B・C両被害者は悲鳴を上げたが、Nはそれに構わず、Bに「かわいそうだが恨むならお前の旦那(被害者A)を恨め。かわいそうなのは関係ないのに巻き込まれたこっちの人(被害者C)だがな」などと言いつつ被害者Bの入ったドラム缶の蓋を閉め、さらにWが被害者Cの入ったドラム缶の蓋を閉めた[判決文 1]。Nはさらにドラム缶の蓋が開かないよう、W・X両名に角材・重石に使う石を持ってくるよう命じ、Wが付近にあった石をBの入ったドラム缶の蓋の上に載せ、Xがスペクトロン車内から角材を持ち出してNに手渡し、Nがその角材をCの入ったドラム缶の蓋にかませることで、それぞれ蓋が開かないようにした[判決文 1]。 Nはその後、Xに命じてドラム缶に点火するための新聞紙をスペクトロン車内から持ってこさせ、Xから丸めて筒状にさせた新聞紙を受け取った[判決文 1]。さらにNはKに簡易ライターを出させてWに手渡させたが、WがNの持つ新聞紙にライターで点火しようとしたところ、Nは「俺が火を点けろってことか?」と自ら点火することを拒否するような発言をしたため、KはWに「お前が点火しろ」と命令した[判決文 1]。そのためWは同日午前2時40分頃、Kから手渡されたライターでNから受け取った新聞紙に点火し、Bが入ったドラム缶に近づいて缶下部の通気口に火の点いた新聞紙を近づけた[判決文 1]。すると「ボッ」という音とともに火がガソリン混合油に引火してBの入ったドラム缶が燃え上がり、直後にCの入ったドラム缶内のガソリン混合油にも引火し、それぞれのドラム缶内にいたB・C両被害者は断末魔のうめき声を発しながら焼死した[判決文 1]。N・K・W・Xの4人は炎上したドラム缶から離れ、両手で耳を塞ぎながらドラム缶2缶が炎上するのを確認し、やがてうめき声が聞こえなくなったことから被害者B・Cがともに焼死したことを確認した[判決文 1]。Kはこの時「人を殺すというのはこんなもんだ」、Nは「興奮してアドレナリンがいっぱい出てきた。精子が出てきたらどうしよう」などと冗談交じりに言った[判決文 1]。 N・K両名はB・C両被害者を殺害後、依然としてY・Z両名から連絡がなかったことから2人を探しに行くことを決め、KがW・X両名に「ドラム缶の火を消さずに遺体を燃やし続けろ。Cのハンドバッグなど証拠になりそうなものも遺体と一緒に燃やせ」などと指示した上でクラウンに乗車し、殺害現場を離れたY・Zを再び探しに向かったが、結局発見できなかったために同日午前5時頃に殺害現場に戻った[判決文 1]。その間、W・X両名はKから指示された通り木切れなどを集めてドラム缶に投入し、B・C両被害者の遺体を焼却し続け、証拠になりそうな物品類を燃やして証拠隠滅工作を図った[判決文 1]。 N・K・Xの3人はその後、傘・木の棒などでドラム缶内のB・C両被害者の遺体の塊を突いて燃えやすいようにした上、N・W両名は金槌を、Xはタイヤレンチをそれぞれ使用してそれぞれドラム缶内の大きな骨片を粉砕した[判決文 1]。その頃、Kは便意を催したために付近で排便し、便が証拠になるのを防ぐためにビニール袋に入れてN・Wらのいる場所に持ち帰ったが、Wは被害者Cの遺体が入ったドラム缶にそのビニール袋を投げ入れた[判決文 1]。その後、Wがドラム缶内にあった被害者Bの遺体をチェーンソーで切断することを提案し、ドラム缶内に水を注いで消火した後、自らチェーンソーをドラム缶内に入れてBの遺体を切断した[判決文 1]。N・W・Xの3人は被害者Bの遺体が入ったドラム缶を空地の下の沢に落とし、WはN・K両名の指示を受けてドラム缶内から外に飛び出したBの遺体の塊をチェーンソーで切断し、N・K両名がドラム缶内から外に飛び出した骨片などを付近に投げ捨てるなどして被害者Bの遺体を遺棄した[判決文 1]。同日午前6時ごろ、N・K・Wの3人は水を注いで消火した被害者Cの遺体が入ったドラム缶を空き地の下の沢に落とし、被害者Bの場合と同様にWがチェーンソーで遺体を切断し、N・K両名が骨片などを付近に投げ捨てるなどして被害者Cの遺体を遺棄した[判決文 1]。このようにして両被害者の遺体を損壊・遺棄したあと、Kは遺体の骨片を粉砕する用途で利用した金槌を投棄したり、Wに命じて遺体を切断するのに利用したチェーンソーを投棄させるなどして証拠隠滅を図った[判決文 1]。N・K両名はすり鉢をスペクトロンに積んで現場まで持ち込んだが、チェーンソーで遺体が灰のように粉々になったため、結局はすり鉢を使用せず灰を周囲に捨てた[新聞 27]。 同日午前7時ごろ、N・K両名はXが運転するクラウンに乗車して殺害現場を後にし中古車販売店事務所に戻った[判決文 1]。この時N・K両名は車内でXに対し、「犯行時に俺たちは中古車販売店にいたことにお前ら(W・X・Y・Z)で口裏合わせをしろ」と命じ、嘘のアリバイ工作に協力させた[判決文 1]。さらにN・K両名は事務所に戻った後、自分たちが犯行時に着用していた衣類などをXに渡して処分するよう命じ、Xを名古屋市北区内に新設した取り込み詐欺会社の事務所に向かわせた[判決文 1]。一方、Wはスペクトロンを運転して同じく殺害現場を立ち去り、前述の北区内の事務所に向かった[判決文 1]。 捜査事件発生直後、千種警察署は被害者Aから110番通報を受けて緊急配備し、午前1時20分頃になって現場から北東約6km離れた千種区香流橋2丁目の県道交差点で信号待ちをしていたAの車を発見、乗車していたY・Z両被疑者を職務質問の上で任意同行した[新聞 1]。千種署で取り調べたところ、Y・Z両被疑者は「B・C両名を拉致・監禁した逮捕・監禁容疑」は否認したものの、「Aを襲撃してマジェスタなどを強取した強盗致傷容疑」を認めたため、同日午前3時頃になって2人を強盗致傷の被疑事実で緊急逮捕した[新聞 28][新聞 29][判決文 1]。Y・Z両被疑者は取り調べに対し「金銭関係のもつれからAを襲い車を奪った」と供述し[新聞 1]、被害者Aを角材で襲撃したことを認めたが[新聞 28]、連れ去りについては「2人の女性のことは知らない」と供述した[新聞 1][新聞 28]。また、Aの車にB・C両被害者が乗っていなかったことから、千種署は「2人が監禁されている可能性がある」とみてY・Z両被疑者を追及した[新聞 1]。なおこの時点の報道では、「さらに共犯者とみられる3人目の男が警察に身柄を確保され、その男は調べに対し『女性2人は無事だ』と供述していた」とする報道があった[新聞 28][新聞 29]。 千種警察署捜査員は同日午前10時20分頃、名古屋市北区内の取り込み詐欺会社事務所で被疑者Xを発見して同署に任意同行させた[判決文 1]。XはN・K両名が犯行当時着用していた衣服を処分するなどするため[判決文 1]、事務所にいたところを職務質問され[判決文 2]、同日午後1時頃に同署にて強盗致傷容疑で緊急逮捕された[判決文 1]。取り調べに対し、X・Y・Zの3被疑者は動機について「Aが金を返さないので、痛めつけてでも金を取り戻そうと思った」と供述し[新聞 7]、新たに逮捕されたXは「被害者Aを襲撃した直後、女性2人を黒いライトバンに乗せて名古屋市東区まで逃げた。自分だけそこで車を降りて徒歩で帰宅したので、その後のことは知らない」と供述した[新聞 30]。愛知県警察本部刑事部捜査第一課・千種警察署は同日夜、捜査本部を設置した上で本格的な捜査を開始するとともに、金銭トラブルによる犯行とみてX・Y・Zの3人が勤務していた春日井市内の自動車部品販売会社(取り込み詐欺会社)「シムス」社長だった被疑者Wを強盗致傷容疑で指名手配し[新聞 30]、B・Cの2被害者を連れ去ったとみてWの行方を追った[新聞 7]。 一方、N・K両名は同日午後0時過ぎごろ、Wからの電話で「Xが警察官から職務質問を受けた」と連絡を受けたことから直ちに逃走を決意し、岐阜県中津川市のJR東海・中央本線中津川駅まで逃走した[判決文 1]。Wはその後、N・K両名から電話で「クラウンで中津川駅まで来い。俺たちの着ていた服を処分しろ」と指示され、中津川駅にクラウンで向かう途中でN・Kが犯行当時着ていた衣服を高速道路のサービスエリア・パーキングエリア内のごみ箱に投棄した[判決文 1]。N・K両名は中津川駅でWと合流後、東海道新幹線などを利用して東京都へ逃走したが、その途中でWが指名手配されたことを知った[判決文 1]。 2000年4月5日、捜査本部は女性2人の実名・当時の服装などの特徴を公開し、一般からの情報提供を呼び掛ける公開捜査を開始し[新聞 31][新聞 32]、指名手配された被疑者Wの行方を80人態勢で追った[新聞 32]。一方で逃走中のN・K両名は5日になって指名手配されたWの処遇について相談した結果、「Wを警察署に出頭させ、『Aら被害者3人を襲撃した犯行はW・X・Y・Zの4人だけで計画・実行したものであり、B・C両被害者はナゴヤドーム付近で解放した』とする虚偽の供述をさせる」ことで合意した[判決文 1]。Nはこの時、自分が取り込み詐欺会社で使用していた偽名(「上杉宏次郎」)をWに名乗らせることで「俺が『上杉宏次郎』の偽名を使って取り込み詐欺に関与していたことが隠蔽できる」と考え、Wに命じて東濃信用金庫坂下支店の「上杉宏次郎」名義の銀行口座に残っていた預金18万円を引き出させ、この時にWの顔を防犯カメラに撮影させた[判決文 1]。さらにN・K両名はWに対し「お前が警察署に出頭して『この犯行は自分たち4人(W・X・Y・Z)でやりました』と言って来い」と命令するとともに、「社長のお前が『上杉宏次郎』(Nの偽名)と本名を使い分けて取り込み詐欺をやっていたことにしておけ。お前らの家族の面倒は見てやるから、俺たちのことは絶対に話すな」などと口止めした[判決文 1]。同日昼、犯行グループが犯行で使ったとみられる乗用車が岐阜県中津川市内のJR中央本線中津川駅付近で発見された[新聞 33]。 WはN・K両名からの口止めを受け、逃走・潜伏先の東京都千代田区内[新聞 34](JR東京駅付近)のホテルから[新聞 35]、自ら千種警察署に電話して自己の所在を知らせ、警視庁中央警察署への任意同行に応じ、同日午後6時6分頃に同署で通常逮捕された[判決文 1][新聞 35][新聞 34]。Wは逮捕後、千種警察署に身柄を移送され[新聞 34]、先に逮捕された3被疑者とともに取り調べに対し「Aが借金を返さないので、肩代わりに車を奪おうと思った。女性を連れ去るつもりはなかった」と供述した[新聞 35][新聞 34]。またWは被害者2人の行方について以下のように話したが、2人の連絡は依然として取れず[新聞 36]、ナゴヤドーム付近において女性2人の目撃情報も得られなかった[新聞 25]。 被疑者Wは取り調べの当初、N・K両名の存在を隠していたが、警察官から追及されたことで嘘をつき通すことができなくなり、共犯者として関与したN・K両名の存在を自供するとともに[判決文 1]、2000年4月7日までにB・C両被害者をドラム缶で焼き殺した強盗殺人などの事実を自供した[判決文 1][新聞 8]。捜査本部は後述のように遺体とみられるものを確認する以前にも、W・X両被疑者の供述に基づいて瀬戸市内の殺害・遺体遺棄現場とみられる場所を確認したが、その時点では遺体・殺害を裏付ける物証は発見できなかった[新聞 8]。 2000年4月6日、捜査本部はN・K両被疑者が女性2人の行方を知っているものとみて、強盗致傷容疑で両被疑者を指名手配した[新聞 33][新聞 25]。捜査本部は「事件発生以来2人の消息が途絶え、目撃情報も一切ないこと」から最悪の事態も想定して緊迫した捜査を続け[新聞 25]、「現場の状況などから他にも共犯者がいる可能性が高い」として4被疑者を追及したところ、N・K両被疑者の存在が浮上した[新聞 33][新聞 25]。捜査本部は捜査員80人態勢で被害者2人やN・K両被疑者の行方を捜索するとともに、犯行グループの車が発見された中津川市周辺の岐阜県東濃地域も含めて広範囲で捜査を行った[新聞 25]。 さらに2000年4月7日、W・X両被疑者の供述した現場付近から遺体の一部とみられるものが発見された[新聞 8][新聞 3][新聞 37]。
2000年4月8日午前、捜査本部は藤岡町・瀬戸市境の山中で本格的な捜索を開始し、焼けて炭化した(後にB・C両被害者の遺体と判明する)遺体の一部(被害者女性2人の顎・脚とみられた骨)と、遺体を焼いた痕跡のあるドラム缶2缶を発見したため[新聞 3]、強盗殺人・死体損壊などの事実が発覚した[判決文 1]。現場山中捜索では骨以外にも、2人の所有物とみられるネックレスが発見されたほか、女性用とみられる腕時計2個が林道脇の空き地と道路を挟んだ向かい側の山側に転がっていた[新聞 4]。また、空き地から数十メートル下の崖にドラム缶2缶とチェーンソーが転がっているのを発見した[新聞 4][新聞 17]。 愛知県警はこれを受け「女性2人が殺害された容疑が強まった」として、捜査本部を特別捜査本部に切り替えて捜査体制を強化し、引き続き遺体の発見に全力を挙げつつ、遺体の身元の確認を急いだ[新聞 3]。その一方で動機として挙げられた「被害者Aとの間で債権回収を巡るトラブルになった」という供述について、「それが女性2人の殺害につながるほど強い動機とはいえない」という疑念が払拭できなかったため、特捜本部は背後関係を解明するため被疑者4人を厳しく取り調べた[新聞 3]。 同日にはそれまでに逮捕された共犯者らの供述から、指名手配中の2被疑者(N・K)のうち1人(後にNと判明)がBをドラム缶に入れて焼き殺す直前、Bに対し「お前のお父ちゃん(A)が悪いんや」と言っていたことも新たに判明した[新聞 4]。一方、被疑者Wも督促状を会社事務所に貼り付けられるなど、多額の借金をしていたことが判明した[新聞 2]。 また、被疑者Wが取り調べに対し「遺体をチェーンソーで切断した」と供述したことから、特捜本部はチェーンソーの鑑定を行いつつ、翌9日も朝から捜索・現場検証を行うこととした[新聞 4]。特捜本部は「この言葉が主犯格とAの間の手形回収絡みのトラブルが動機であることを裏付ける事実」と推測してさらに詳しく調べた[新聞 4]。一方、事件後に主犯格2人が埼玉県内の銀行で現金百数十万円を引き出したことを把握したため、埼玉県に捜査員を派遣して行方を追った[新聞 4]。 2000年4月10日、それまでに逮捕されていた共犯の被疑者4人のうちの1人が特捜本部の取り調べに対し「ドラム缶はA・B夫婦を殺すためにあらかじめ2つ用意していた。A夫婦が乗った車を襲ったが、Aが逃げて車内にB・Cが残ったため、この2人を焼き殺した」などと供述したことが判明した[新聞 39][新聞 40]。このことから特捜本部は「本来の殺害目的はA・B夫婦だったが、偶然居合わせたCが巻き添えに拉致されてBとともに殺害された」と断定し、4人を追及した[新聞 39]。また、特捜本部は同日までの捜索・現場検証で、2女性の遺体とみられる多数の骨肉片・歯2本、イヤリング・化粧用具・鍵などを新たに発見した[新聞 39]。このうち多数の骨肉片などは、林道脇の空き地から数十メートル下の崖までの斜面や、ドラム缶・チェーンソーの落ちていた付近一帯に散乱していたことから、特捜本部はWらの「空き地で2人をドラム缶に押し込み、ガソリンを入れて生きたまま焼き殺し、空き地から崖に向けて切断した遺体・ドラム缶を捨てた」という供述を裏付ける物的証拠とみて、さらに分析を進めた[新聞 39]。 逃亡を続けていたN・K両名はWを身代わり出頭させた後、Nの実父の知人を頼って東京都から埼玉県・栃木県・群馬県と関東地方一帯を逃げ回り続けたが、その途中で自分たちも指名手配された事実を知るなどしたため「これ以上はもう逃げきれない」と考え、「警察署に出頭した上で『自分たちは強盗殺人などの犯行に関係ない』と言い張ろう」と嘘の供述をして口裏合わせをすることを決めた[判決文 1]。そしてN・K両名は2000年4月10日、2人合わせて約10万円の所持金を持ってそれぞれ愛知県警千種署に出頭した[新聞 5]。 2000年4月10日午後6時頃[新聞 41][新聞 42]、それまで指名手配されていたN・K両被疑者が千種署に出頭してきたことから、特捜本部は同日付で両被疑者を手配容疑の強盗致傷容疑で逮捕した[新聞 5][新聞 43][新聞 41][新聞 42][新聞 44]。
2000年4月14日までの取り調べで、N・K両被疑者はWら4人に指示して犯行前日にすり鉢を購入させていたことが判明した[新聞 45]。すり鉢は結局使用されることはなかったが、特捜本部は「計画段階では焼殺した遺体をチェーンソーで切断後、すり鉢ですり潰して完全な証拠隠滅を狙っていた」とみてNら6被疑者を追及した[新聞 45]。
また特捜本部による同日までの殺害現場周辺の捜索により、新たに金槌が発見された[新聞 27]。金槌は焼殺遺体をチェーンソーで切断後、骨などを細かく粉砕するのに用いられており、特捜本部は「砕いた骨をすり潰すために用意されたすり鉢などとともに、完全な証拠隠滅目的で用意された道具」とみて6被疑者を追及した[新聞 27]。W・X・Y・Zの4被疑者らはN・K両被疑者に服従していた理由について、取り調べに対し「Nはバックに暴力団関係者がいたため、逆らったら何をされるか怖かった」と供述した[新聞 5]。 名古屋地方検察庁は2000年4月24日、「被害者Aを襲撃して車を奪った」としてW・X・Y・Zの被疑者4人を強盗致傷容疑で名古屋地方裁判所に起訴した[新聞 46][新聞 47]。 千種署特捜本部は2000年4月26日、それまでの鑑識・DNA鑑定の結果、「瀬戸市の現場にあった女性用の腕時計・イヤリング・車の鍵などの遺留品はB・C両被害者の遺留品であり、炭化した遺体のDNA型も両被害者と一致する」と断定した[新聞 48][新聞 49]。これを受けて特捜本部は同日、N・Kを含めた既に強盗致傷容疑で逮捕されていた被疑者6人全員を近く殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[新聞 48][新聞 23][新聞 50]。このうち、Y・Z両被疑者は殺害現場にはいなかったが、犯行前日の3日に、N・K・W・Xの4被疑者とともに殺害の事前謀議に加わっていたことから、特捜本部は「被疑者6人全員を殺人の共謀共同正犯として立件することが可能である」と判断した[新聞 23]。また、被疑者Kを除く5人は瀬戸市の現場での殺害についてもほぼ認め[新聞 23]、唯一「自分は現場にいたが何もしていない」と容疑を否認していた被疑者Kもその後、容疑を認める姿勢に転じた[新聞 48]。特捜本部は「被害者Bの財布などがなくなっていることから、逮捕容疑については強盗殺人容疑での逮捕も視野に入れつつ、近く名古屋地検と協議する」という方針を決めた[新聞 48]。 名古屋地検は2000年5月1日、「被害者Aを襲撃して車を奪った」として主犯格のN・K両被疑者を強盗致傷容疑で名古屋地裁に起訴した[新聞 51][新聞 52]。 千種署特捜本部は2000年5月2日、「被害者B・Cを車で拉致し、現金約2万円入りのかばんを奪った後、2人をドラム缶に入れてガソリンをかけて焼き殺し遺体を切断した」として、被疑者6人全員を強盗殺人・死体損壊などの容疑で再逮捕した[新聞 53][新聞 54][新聞 55]。被疑者らは6人とも容疑を認めた上で、犯行動機について「被害者Aから手形の支払いを何度も断られ、対応の悪さに面子を潰されて頭に来ていた。借金の肩に自動車を奪って殺そうと思った」などと供述した[新聞 54]。 2000年5月8日までの取り調べの結果、W・X・Y・Zの被疑者4人は「主犯格のN・K両被疑者から指示を受け、事件2か月前の2000年2月20日夜にも被害者Aを襲撃しようとA宅付近で待ち伏せていたが、待ち伏せ中に車内で寝込んでしまったため失敗に終わっていた」ことが新たに判明した[新聞 56]。Wら被疑者4人は、この時点では待ち伏せること以外に具体的な指示は受けていなかったが、後に焼殺に使ったガソリン・金槌を用意していたことから「既に殺人を実行しようとしていた」可能性が推測された[新聞 56]。 名古屋地検は2000年5月22日、強盗致傷容疑で起訴済みのN・K両被疑者ら計6人を再逮捕容疑の強盗殺人・死体損壊などの罪で名古屋地裁に追起訴した[新聞 57][新聞 58]。6人は本件とは別に、パソコンを仕入れて転売し、代金をだまし取った詐欺容疑(被害総額数千万円)も浮上していたため、愛知県警が継続捜査することとなった[新聞 58]。 刑事裁判第一審・名古屋地裁
控訴審・名古屋高裁
上告審・最高裁
国家賠償請求訴訟被告人N(死刑確定後にイニシャル「S」に改姓)は上告中の2004年9月28日、支援者からの差し入れとして「死刑執行方法などが記されたパンフレット」を郵送されたが、この時に収監先・名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、自殺・自傷行為に及ぶなど拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、パンフレットの一部を抹消した上で被告人Nに渡した[新聞 136][新聞 137]。また、N・K両被告人とは別の事件で死刑判決を受け上告中だった被告人1人(2004年11月に死刑確定)に対しても同年8月に同種のパンフレットが差し入れられたが、名古屋拘置所はその際も同様の対応を取っていた[新聞 136][新聞 137]。 Nら死刑囚2人はこれらの名古屋拘置所側の対応を「日本国憲法で保障された『知る権利』などを侵害する違法な処分である」と主張し、日本国を相手にそれぞれ10万円の損害賠償を求めた国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に提訴した[新聞 138][新聞 136][新聞 137]。これに対し国側は、「死刑囚に死刑執行方法が記された文書をそのまま読ませると、精神的に不安定となり自殺・自傷行為に及ぶなど『拘置所の規律が放置できない程度の障害』が生ずる危険性があった」と主張した[新聞 138]。 2006年12月6日、名古屋地裁(田辺年則裁判長)は原告両死刑囚の訴えのうち一部を認め、被告・日本国に対し死刑囚2人へそれぞれ損害賠償1万円を支払うよう命じる判決を言い渡した[新聞 138][新聞 136][新聞 137]。 名古屋地裁は判決理由にて「拘置所側が抹消した部分は『死刑執行の方法・手順など』が客観的に記載されているだけで、死刑囚に大きな精神的動揺を与える可能性が高いとはいえない」と事実認定した上で[新聞 138]、「原告らが抹消部分を閲覧しても『拘置所の規律が放置できない程度の障害』が生ずるとは考え難く、抹消処分は合理的とは言えない。拘置所長は裁量権を明らかに逸脱した」と指摘した[新聞 138][新聞 136][新聞 137]。 また被告人Nはこれとは別に、上告中の2005年6月24日にも「死刑執行方法が記された文書」を差し入れとして受け取ったが、その時にも名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、文書の一部を抹消した上で被告人Nに渡した[新聞 139]。 この対応を「『閲読の自由』を侵害した違法な行為」と主張した死刑囚N(後述の判決までに「S」姓に改姓)は前述の件と同じく日本国を相手に10万円の損害賠償を求めた国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に提訴した[新聞 140][新聞 139]。2007年(平成19年)2月16日、名古屋地裁(末吉幹和裁判官)は原告・死刑囚Nの訴えのうち一部を認め、被告・日本国に対し損害賠償3万円の支払いを命じる判決を言い渡した[新聞 140] [新聞 139]。 死刑執行まで2008年7月以降、参議院議員・福島瑞穂が確定死刑囚らを対象に実施したアンケートに対し、死刑囚2名は以下のように回答していた[書籍 3]。
なお死刑囚Kは2008年7月24日付で名古屋地裁へ再審請求を起こし[書籍 7]、同年11月29日までの期限通りに意見書を提出したが[書籍 8]、同年12月18日付で棄却決定がなされた[書籍 7][書籍 8]。 死刑囚Kは死刑執行直前の2009年1月12日、福島宛に以下のような手紙を送っていた[書籍 9]。
死刑囚Nは死刑執行直前の2009年1月13日、名古屋拘置所で弁護人・大熊と面会した[書籍 5]。大熊は死刑囚Nが自ら再審請求を取り下げたこと、事件の内容・「死刑を受け入れる」と表明していたN自身の意思などから「Nの死刑執行が近い」と危惧して面会し、「再審請求をもう1度したいなら自分が引き受ける。恩赦出願も検討したらどうだ」と話したが、Nは「被害者や遺族のことを考えれば、自分は死刑を受け入れるべきだ。仮に大熊先生が再審請求をしても自分で取り下げる。恩赦も必要ない」として再度の再審請求・恩赦出願をいずれも拒否する意向を示した[書籍 5]。
参考文献刑事裁判の判決文
関連書籍
雑誌記事脚注注釈出典
関連項目
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