デインドリーム
デインドリーム(Danedream、2008年5月7日 -2023年8月31日[1] )はドイツで生産・調教された競走馬である。おもな勝ち鞍は2011年のベルリン大賞、バーデン大賞、凱旋門賞、2012年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、バーデン大賞。2011年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬。 概要母デインドロップはアイルランド生産馬で、17,000ユーロで取引されドイツに渡ってきた。父ロミタスは1991年のドイツ年度代表馬である。デインドリームはドイツ生産馬であるが、代々ドイツで紡がれてきた血統ではない。1歳時に9,000ユーロで取引されるなど、評価は高くなかった。馬主も「地元の小さな競馬場で息長く走ってくれればいい」としていた[2]。 2010年2歳時から積極的に遠征し、フランスでも出走した。フランスでは欧州牧畜基金クリテリウムで1位入線するも3着に降着となる憂き目にあった。G1マルセルブサック賞にも挑戦し、6着となっている。その後ドイツでもう1戦して休養に入った。ここまで5戦1勝と、目立つ馬ではなかった。 2011年3歳緒戦はイタリアで走りリステッド競走4着、デルビーイタリアーノ3着と好走した。オークスイタリアーノ(イタリアオークス)では道中3番手につけ、直線残り400メートルでムチが入るとよく伸び後続に6馬身差をつける圧勝で海外で重賞初勝利を決めた。フランスに遠征してのマルレ賞では敗れたが、ドイツに戻り古牡馬との初対戦となるベルリン大賞では馬群の真ん中から、直線残り400メートルで抜け出し5馬身差で勝利した。続くバーデン大賞ではわずか6頭立てのレースとなったが、道中2番手から早めにスパートし逃げた前年優勝馬のナイトマジックを楽に交わして6馬身差でG1競走2連勝とした。ベルリン大賞・バーデン大賞とも父ロミタスとの父娘制覇となっている。 9月29日に社台ファーム代表の吉田照哉がデインドリームの権利の半分を購買した。秋華賞にも登録していたが、凱旋門賞に10万ユーロの追加登録料を払い登録を行った。凱旋門賞では、道中先行したヒルノダムールのすぐ後ろを進み、残り200メートルで後続を突き放し5馬身差で勝利した。凱旋門賞勝利はドイツ産馬としては初、ドイツ調教馬としては1975年のシュターアピール以来36年ぶり2頭目の快挙だった。鞍上のアンドレアシュ・シュタルケもドイツ人として初の凱旋門賞勝利騎手となった。また、この年の凱旋門賞ウィークエンドは晴天が続き、レコードタイムが続出する馬場となったこともあり、1997年にパントレセレブルが記録した2.24.6を更新するレコードタイムでの決着となった。 11月15日にはカルティエ賞が発表され、最優秀3歳牝馬に選出された。 その後日本に遠征し、11月27日のジャパンカップに1番人気で出走。後方追走から直線で大外から脚を伸ばすも6着に終わった。 2012年4歳初戦は5月20日に行われたバーデン企業大賞。4番手で追走し直線入り口で先頭に並びかけすぐに抜け出すと、残り1ハロンで外から2頭に追い上げられるも、3/4馬身差で勝利した。 次に6月24日に行われたサンクルー大賞に出走。抜けた人気となるが、先頭から3馬身余り遅れた4頭立ての4着と期待を裏切る形となる。 そして7月21日のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出走、前年の優勝馬ナサニエルを直線での接戦の上ゴール手前で交わして優勝[3]。なお、凱旋門賞とキングジョージを共に制した牝馬は史上初となる。また、ドイツ馬初のキングジョージ優勝であった[4]。 10月2日、史上6頭目の連覇がかかっていた凱旋門賞を断念する事が決定した。デインドリームが在厩しているドイツのケルン競馬場で馬伝染性貧血に感染した馬がいることが判明。半径1.5km以内にいる馬の移動が3か月間禁止されたため。 その後陣営は馬伝染性貧血の最終チェックを経て同厩舎馬と共にドバイへの遠征を予定していたが、馬主サイドと調教師サイドによる協議の末、12月21日に現役を引退する事を発表した。 引退後2013年からイギリスのニューセルズパークスタッドで繁殖牝馬となり、初年度はイギリスのバンステッドマナースタッドで供用されているFrankelと交配された。 2014年1月27日、初仔となる牝馬を出産した。 2020年12月に日本に輸入され[5]、2021年より社台ファームで繁殖牝馬として供用されていたが、2023年8月31日に蹄葉炎の悪化で安楽死措置が取られた[6]。 競走成績
繁殖成績
血統表
参考資料
脚注
外部リンク
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