デリングドゥ
デリングドゥ(Derring-Do)(1961年 - 1978年1月)は、イギリス産のサラブレッドである。1963年に2歳戦のコーンウォリスステークスなどを3勝し、この年のイギリス2歳馬のトップクラスの1頭となった。その後2年に渡り、イギリスの7ハロン(約1408メートル)から10ハロン(約2011メートル)の距離で活躍し、クイーンエリザベス2世ステークスやハンガーフォードステークス、ヴォルドーステークスなどに勝った。4歳の終わりに引退し、種牡馬として成功した。
出自デリングドゥは東ヨークシャー(East Yorkshire)[注 1]のバートン・アグネス(Burton Agnes)にある牧場で生まれた。白斑のない鹿毛馬である。父のダライアス(Darius)は1954年の2000ギニーと1955年のエクリプスステークスの優勝馬である。ダライアスの代表産駒にはオークス馬のパイア(Pia)やフランス1000ギニー優勝馬のポーラベラ(Pola Bella)がいる。デリングドゥの母は下級戦で2勝したシプシーブリッジ(Sipsey Bridge)といい、三代母ニアリー(Nearly)の子孫には2000ギニー勝馬のドユーン(Doyoun)やオークス馬アレクサンドロヴァ(Alexandrova)がいる。[1] 1歳の時に、H・レンショー夫人(Mrs H Renshaw)の代理人がデリングドゥを1200ギニーで購買した[2]。デリングドゥはオックスフォードシャーのワトコム(Whatcombe)に厩舎を持つアーサー・バジェット(Arthur Budgett)調教師に預けられた[3]。デリングドゥの主戦騎手はオーストラリア出身のアーサー・"スコービー"・ブリースリー騎手(Scobie Breasley)である。 競走馬時代2歳時(1963年)デリングドゥのデビュー戦はサンダウン競馬場のナショナルステークス(5ハロン≒1005メートル)である。デリングドゥは2着に敗れたが、勝ったアイルランド牝馬のプールパーラー(Pourparler)は翌年の1000ギニーに優勝する馬だった。次戦はケンプトン競馬場のインペリアルステークス(6ハロン≒1206メートル)で、ホイスリングブイ(Whistling Buoy)を破って優勝した。2歳最後のレースはケンプトン競馬場で9月に行われたコーンウォリスステークス(5ハロン≒1005メートル)である。ブリースリー騎手を背に、8対13(2.625倍)の人気で出走したデリングドゥは牝馬のゴールデンアポロ(Golden Apollo)を僅差で破って優勝した[4]。 3歳時(1964年)デリングドゥは1964年(3歳時)には5回出走した。7月にグッドウッド競馬場のサセックスステークスでは、ローンロケット(Roan Rocket)に次ぐ2着になった。そのあとデリングドゥはニューベリー競馬場のハンガーフォードステークス(7ハロン≒1408メートル)に2対1(3倍)の人気で出て、この年の唯一の勝利を上げた[4]。9月にはアスコット競馬場のクイーンエリザベス2世ステークスに出走し、アイルランドのリネカー(Linacre)に次ぐ2着になった[2]。 4歳時(1965年)4歳時、デリングドゥは6戦3勝の成績をあげた。サンダウン競馬場のキャヴェンディッシュステークス(Cavendish Stakes)に勝ち、フランスのドーヴィル競馬場のクインシー賞(Prix Quincey)で3着になった(勝馬はホワイトファイア(White Fire))。9月にはグッドウッド競馬場のヴォルドーステークス(10ハロン≒2011メートル)に4対11(1.36倍)の人気で勝った[4]。1か月後、クイーンエリザベス2世ステークスに2度めの挑戦をした[3]。いつものようにブリースリー騎手が乗り、9対4(3.25倍)の人気で、バリシピティク(Ballyciptic)とマイナーポーション(Minor Portion)を退けて優勝した。 評価デリングドゥは1963年(2歳時)のタイムフォーム誌による評価で131ポンドを与えられた。これは首位のサンタクロースとショウダウン(Showdown)より2ポンド低い。一方、イギリスで走った馬だけが対象のフリーハンデでは首位のタラハッシー(Tallahassee)から3ポンド下の130ポンドと評価された[5][注 2]。 種牡馬時代デリングドゥは現役を終えると種牡馬として成功した。代表産駒は1972年の2000ギニー優勝馬ハイトップで、ハイトップも種牡馬として成功した。1973年にはペレイド(en:Peleid)がセントレジャーステークスに勝って2頭目のクラシックウィナーになり、1978年にローランドガーデンズ(en:Roland Gardens)が2000ギニーを制して3頭目のクラシック勝馬になった。牝馬の代表産駒はスプリンターのスティルヴィ(Stilvi)でデュークオブヨークステークスやキングジョージステークスに勝った。スティルヴィは素晴らしい繁殖牝馬となり、タキュプス(Tachypous、ミドルパークステークス優勝)、*ターナボス(アイルランドダービー優勝、日本輸入種牡馬)など複数の大レース優勝馬を産んだ。そのほかの主なデリングドゥ産駒では、*ハンターコム(ジュライカップ・ナンソープステークス優勝)、ジャンエクルス(Jan Ekels、クイーンエリザベス2世ステークス優勝)がいる[6]。デリングドゥは1978年1月に馬房の事故で怪我をして安楽死となった[2]。 血統
脚注注釈
出典
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