デリングドゥ

デリングドゥ
欧字表記 Derring-Do
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1961年
死没 1978年
Darius
Sipsey Bridge
母の父 Abernant
生国 イギリスの旗 イギリス
生産牧場 Burton Agnes Stud
馬主 Mrs H Renshaw
調教師 Arthur Budgett
競走成績
生涯成績 14戦6勝
勝ち鞍 Imperial Stakes (1963)
コーンウォリスS (1963)
ハンガーフォードS (1964)
ヴォルドーS (1965)
クイーンエリザベス2世S (1965)
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デリングドゥ(Derring-Do)(1961年 - 1978年1月)は、イギリス産のサラブレッドである。1963年に2歳戦のコーンウォリスステークスなどを3勝し、この年のイギリス2歳馬のトップクラスの1頭となった。その後2年に渡り、イギリスの7ハロン(約1408メートル)から10ハロン(約2011メートル)の距離で活躍し、クイーンエリザベス2世ステークスハンガーフォードステークスヴォルドーステークスなどに勝った。4歳の終わりに引退し、種牡馬として成功した。

出自

デリングドゥは東ヨークシャー(East Yorkshire)[注 1]のバートン・アグネス(Burton Agnes)にある牧場で生まれた。白斑のない鹿毛馬である。父のダライアス(Darius)は1954年の2000ギニーと1955年のエクリプスステークスの優勝馬である。ダライアスの代表産駒にはオークス馬のパイア(Pia)やフランス1000ギニー優勝馬のポーラベラ(Pola Bella)がいる。デリングドゥの母は下級戦で2勝したシプシーブリッジ(Sipsey Bridge)といい、三代母ニアリー(Nearly)の子孫には2000ギニー勝馬のドユーン(Doyoun)やオークス馬アレクサンドロヴァ(Alexandrova)がいる。[1]

1歳の時に、H・レンショー夫人(Mrs H Renshaw)の代理人がデリングドゥを1200ギニーで購買した[2]。デリングドゥはオックスフォードシャーのワトコム(Whatcombe)に厩舎を持つアーサー・バジェット(Arthur Budgett)調教師に預けられた[3]。デリングドゥの主戦騎手はオーストラリア出身のアーサー・"スコービー"・ブリースリー騎手(Scobie Breasley)である。

競走馬時代

2歳時(1963年)

デリングドゥのデビュー戦はサンダウン競馬場のナショナルステークス(5ハロン≒1005メートル)である。デリングドゥは2着に敗れたが、勝ったアイルランド牝馬のプールパーラー(Pourparler)は翌年の1000ギニーに優勝する馬だった。次戦はケンプトン競馬場のインペリアルステークス(6ハロン≒1206メートル)で、ホイスリングブイ(Whistling Buoy)を破って優勝した。2歳最後のレースはケンプトン競馬場で9月に行われたコーンウォリスステークス(5ハロン≒1005メートル)である。ブリースリー騎手を背に、8対13(2.625倍)の人気で出走したデリングドゥは牝馬のゴールデンアポロ(Golden Apollo)を僅差で破って優勝した[4]

3歳時(1964年)

デリングドゥは1964年(3歳時)には5回出走した。7月にグッドウッド競馬場サセックスステークスでは、ローンロケット(Roan Rocket)に次ぐ2着になった。そのあとデリングドゥはニューベリー競馬場ハンガーフォードステークス(7ハロン≒1408メートル)に2対1(3倍)の人気で出て、この年の唯一の勝利を上げた[4]。9月にはアスコット競馬場クイーンエリザベス2世ステークスに出走し、アイルランドのリネカー(Linacre)に次ぐ2着になった[2]

4歳時(1965年)

4歳時、デリングドゥは6戦3勝の成績をあげた。サンダウン競馬場のキャヴェンディッシュステークス(Cavendish Stakes)に勝ち、フランスのドーヴィル競馬場のクインシー賞(Prix Quincey)で3着になった(勝馬はホワイトファイア(White Fire))。9月にはグッドウッド競馬場のヴォルドーステークス(10ハロン≒2011メートル)に4対11(1.36倍)の人気で勝った[4]。1か月後、クイーンエリザベス2世ステークスに2度めの挑戦をした[3]。いつものようにブリースリー騎手が乗り、9対4(3.25倍)の人気で、バリシピティク(Ballyciptic)とマイナーポーション(Minor Portion)を退けて優勝した。

評価

デリングドゥは1963年(2歳時)のタイムフォーム誌による評価で131ポンドを与えられた。これは首位のサンタクロースとショウダウン(Showdown)より2ポンド低い。一方、イギリスで走った馬だけが対象のフリーハンデでは首位のタラハッシー(Tallahassee)から3ポンド下の130ポンドと評価された[5][注 2]

種牡馬時代

デリングドゥは現役を終えると種牡馬として成功した。代表産駒は1972年の2000ギニー優勝馬ハイトップで、ハイトップも種牡馬として成功した。1973年にはペレイド(en:Peleid)がセントレジャーステークスに勝って2頭目のクラシックウィナーになり、1978年にローランドガーデンズ(en:Roland Gardens)が2000ギニーを制して3頭目のクラシック勝馬になった。牝馬の代表産駒はスプリンターのスティルヴィ(Stilvi)でデュークオブヨークステークスキングジョージステークスに勝った。スティルヴィは素晴らしい繁殖牝馬となり、タキュプス(Tachypous、ミドルパークステークス優勝)、*ターナボス(アイルランドダービー優勝、日本輸入種牡馬)など複数の大レース優勝馬を産んだ。そのほかの主なデリングドゥ産駒では、*ハンターコムジュライカップナンソープステークス優勝)、ジャンエクルス(Jan Ekels、クイーンエリザベス2世ステークス優勝)がいる[6]。デリングドゥは1978年1月に馬房の事故で怪我をして安楽死となった[2]

血統

Derring-Do[7]血統 (血統表の出典)

Darius (GB)
1951
父の父
Dante (GB)
1942
Nearco Pharos
Nogara
Rosy Legend Dark Legend
Rosy Cheeks
父の母
Yasna (GB)
1936
Dastur Solario
Friar's Daughter
Ariadne Arion
Security

Sipsey Bridge (GB)
1954
Abernant (GB)
1946
Owen Tudor Hyperion
Mary Tudor
Rustom Mahal Rustom Pasha
Mumtaz Mahal
母の母
Claudette (GB)
1949
Chanteur Chateau Bouscaut
La Diva
Nearly Nearco
Lost Soul (F No. 21-a)[1]
  • デリングドゥは4代以内にネアルコの3x4の近親交配が行われている(3代前と4代前にネアルコが登場する)。

脚注

注釈

  1. ^ いまはイースト・ライディング・オブ・ヨークシャーにあたるが、デリングドゥが生まれた1961年は現在の自治体再編前である[要出典]
  2. ^ サンタクロースは2歳時はアイルランドだけで走り、イギリスで出走していない[要出典]

出典

  1. ^ a b Thoroughbred Bloodlines - Wagtail - Family 21-a”. Bloodlines.net. 2015年4月18日閲覧。
  2. ^ a b c Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane’s. ISBN 0-354-08536-0 
  3. ^ a b “Arthur Budgett obituary”. Daily Telegraph. (23 June 2011). http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/sport-obituaries/8595180/Arthur-Budgett.html 2015年4月18日閲覧。 
  4. ^ a b c Abelson, Edward; Tyrrel, John (1993). The Breedon Book of Horse Racing Records. Breedon Books Publishing. ISBN 978-1-873626-15-3 
  5. ^ Morris, Tony; Randall, John (1990). Horse Racing: Records, Facts, Champions (Third Edition). Guinness Publishing. ISBN 0-85112-902-1 
  6. ^ TOP VILLE: A 'Top' broodmare sire - just like his father”. Thoroughbredinternet.com (30 June 2009). 2015年4月18日閲覧。
  7. ^ JBIS Derring-Do(GB)血統情報2015年4月18日閲覧。