デトロワ
デトロワ (Detroit) は、フランス生まれのサラブレッドである。 競走馬として1980年の凱旋門賞を制し、また、繁殖牝馬としても産駒のカーネギーが1994年の凱旋門賞を制したことにより、史上初の凱旋門賞母子制覇を達成した。 経歴出自父リヴァーマンは1972年のプール・デッセ・デ・プーランなどを制したネヴァーベンドの代表産駒であり、種牡馬としてもアイリッシュリヴァー、バーリ、ゴールドリヴァー、トリプティクなどを出す成功を収めた。 母デルナ (Derna) の産駒にはデトロワの姉にチェヴァリーパークステークス優勝馬ダータル(Durtal。繁殖牝馬としてアスコットゴールドカップ優勝馬ジルドラン (Gildoran) を産む)がおり、その牝系からは豪州の成功種牡馬ザビールも出ている。 母の父サニーボーイ (Sunny Boy) はテディ系の種牡馬であり、おもな産駒に1954年凱旋門賞馬シカボーイ (Sica Boy)、母の父として1962年ジョッケクルブ賞優勝馬ヴァルドロワールや1966年オークスステークス優勝馬ヴァロリス (Valoris) などを出していた。 デトロワは、生産者 Societe Aland のもとで誕生後、およそ100,000ポンドでロバート・サングスターによって購買され、シャンティイのオリヴィエ・ドゥイエブ (Olivier Douieb) のもとで調教された。 3歳時 (1980年)デトロワのデビューは3歳5月末と遅かったが、サンクルー競馬場の2100mのメイドンレースを2着馬 Kotkie に5馬身差をつけてデビュー勝ちを収めた。 春のクラシックレースであるプール・デッセ・デ・プーリッシュやディアヌ賞には出走できなかったが、6月のサンクルー競馬場のG3フィユドレール賞 (2100m) ではゴールドリヴァーに2馬身半差、7月のエヴリ競馬場のG3クロエ賞 (1800m) では Licara に1馬身半差、8月末のドーヴィル競馬場のノネット賞 (2000m) では India Song に2馬身差と、2着馬に差を付けて中距離重賞を3連勝した。 デトロワは、9月には凱旋門賞と同じロンシャン競馬場の2400mで行われるフランス牝馬クラシック最終戦のG1ヴェルメイユ賞に駒を進め、プール・デッセ・デ・プーリッシュ優勝馬アリアンヌ (Aryenne)、ディアヌ賞優勝馬ミセスペニー、アイリッシュ1000ギニー優勝馬ケアンルージュ、ゴールドリヴァーなどと対決した。ヴェルメイユ賞ではレースがスローペースで進むなか、馬群に閉じ込められたデトロワはミセスペニーから半馬身差、2着のリトルボニー (Little Bonny) から3/4馬身差の3着に敗れ、タイムフォーム誌などはデトロワにはつきがなかったと評価した。 前走で連勝は止まったものの、大目標とした10月の凱旋門賞に出走したデトロワは、エクリプスステークスとキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを連勝した1番人気エラマナムー、2番人気のガネー賞優勝馬ルマルモ、3番人気で前年優勝馬のスリートロイカスに続いて、4番人気であった。凱旋門賞は、前走ヴェルメイユ賞とは打って変わって、数頭のペースメーカーに引っ張られてハイペースで進み、早い段階で外に持ち出されたデトロワはラスト200mで内のエラマナムーとスリートロイカスを抜き去り、後から来たアーギュメントを半馬身抑えて2分28秒0のレコードタイムで優勝した。 この成績が認められ、この年のタイムフォーム・レーティングでは、牝馬首位の131ポンドと評価された。 4歳時 (1981年)デトロワは現役を続けた翌1981年の春は苦戦を強いられ、凱旋門賞2着後にワシントンDCインターナショナルに優勝したアーギュメントに4月のオカール賞4着、5月のガネー賞5着と連敗した。 その後、4ヶ月近く休養し、8月末にクレールフォンテーヌ競馬場のマイナーレースであるアロマンシェ賞 (2200m) で復帰して勝利すると、わずか4日後にはドーヴィル競馬場のリッジウェイ賞 (2000m) にも勝って、9月には凱旋門賞のプレップレースのひとつであるロンシャン競馬場のG3フォワ賞 (2400m) に挑んだ。タイムフォーム誌によると、このときのデトロワはコンディションは上がっているものの、脚に問題を抱えてバンテージをしているのではないかと心配されていた。レースではスローペースで流れるなか直線で早めに加速して、2着のランカストリアン (Lancastrian) に2馬身差、3着のゴールドリヴァーを抑えて勝利した。 しかしながら、勢いに乗って連覇を狙う凱旋門賞に2番人気で出走したものの、好位から直線では馬群に沈み、13番人気の低評価を覆したゴールドリヴァーを後目に二桁着順で大敗した。 その後、初めて渡米しアケダクト競馬場のターフクラシックに出走するもその年のヴェルメイユ賞に勝ち、前走の凱旋門賞でも3着と好走したエイプリルランの5着に敗れて、引退した。 引退後引退後は馬主のサングスターが所有するスウェッテナム・スタッド (Swettenham Stud) で繁殖入りした。サドラーズウェルズ産駒のカーネギーが凱旋門賞やサンクルー大賞に勝ったほか、キングスレイク産駒のレイクエリー (Lake Erie) が英G3セントサイモンステークスに、ノーザンダンサー産駒のアンティサール (Antisaar) が仏G2ギョーム・ドルナーノ賞に勝っており、3頭の重賞勝ち馬の母となった。 血統表
脚注
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