ジェームズ・ウィリアム・コルボーン(James William Colborn、1946年5月22日[1] - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタ・ポーラ出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・スカウト。
経歴
プロ入り前
1945年にサンタ・ポーラ(英語版)で生まれ、サンタ・ポーラ高校を卒業[2]、在学中は生徒会長を務め、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球の3競技を行っていた[3]。
ウィッティア・カレッジ(英語版)に進学し社会学の学位を得た[4]。大学では、バスケットボールと野球を続けた[3]。在学中には、コペンハーゲン大学への留学経験がある[3]。卒業後、ワシントン大学の修士課程へ進み、エディンバラ大学に留学した[5]。エディンバラ大学では、バスケットボールと野球のスコットランド大学代表に選出された[6]。
プロ入りとカブス時代
1966年、オランダで開催されたヨーロッパ学生オールスターゲームに出場し21三振を奪うが、その数日前にシカゴ・カブスが接触しており[7]、1967年6月19日フリーエージェント扱いで契約した[8]。当初シングルAのローダイ・クラッシャーズに所属していた。
1968年にはダブルA(英語版)のサンアントニオ・ミッションズへ昇格した。
1969年、冬季のアリゾナ教育リーグ(英語版)を経てトリプルA(英語版)のタコマ・カブスへ所属した[9]。
1969年7月13日、フィラデルフィア・フィリーズ戦でMLB初登板。先発投手として5回1/3イニングを投げ、勝利投手となった[10]。シカゴ・カブスでは、主にリリーフ投手として用いられ、先発を数試合こなす運用であった。
1970年8月14日のロサンゼルス・ドジャース戦で先発、ドン・サットンから初安打・初打点を記録している[11]。
1971年には、タコマ・カブスへの降格もあった。
ブルワーズ時代
1971年12月3日にミルウォーキー・ブルワーズへトレードされた[8]。
1973年に同年のMLBオールスターゲームに選出されたが、出場機会はなかった[12]。同年、ミルウォーキー・ブルワーズ初の20勝投手となった[13]。
1976年まで在籍したが、この3年間は負け越しが続いた、
ロイヤルズ時代
1976年12月6日、カンザスシティ・ロイヤルズへトレードされた[8]。
1977年5月14日、テキサス・レンジャース戦でノーヒットノーランを達成した[14]。この年、18勝を上げている。
1978年は、1勝を上げるも防御率は4.76と振るわなかった。
マリナーズ時代
1978年シーズン途中にシアトル・マリナーズへトレードされた[8]。
マリナーズでは、防御率5.35、3勝10敗と結果を残せず、フリーエージェントとなったが、契約するチームは現れなかった[8]。
引退後
引退後は3Aアイオワ・カブス投手コーチ(1984年 - 1986年)→カブス傘下マイナーリーグ巡回コーチ(1987年 - 1989年)を務め[15]、アイオワ時代の1985年にはかつて所属したローダイ・クラッシャーズのベンチュラ郡への移転に係わっており[16]、自らの名前を付けたジム・コルボーン・ベースボール・リーグを主催している[17]。
1990年には来日し、オリックス一・二軍投手コーチに就任。その後は一軍投手コーチ(1991年 - 1992年)、二軍投手コーチ(1993年)を務めた[15]。
帰国後はアスレチックス傘下1Aウェストミシガン・ホワイトキャップス監督(1994年 - 1995年)→モデスト・ナッツ監督(1996年)を経て[15][4]、マリナーズ環太平洋スカウト(1997年 - 2000年)を務め、この時期にイチロー・佐々木主浩の入団に係わっている[15][4][18]。1999年の映画ラブ・オブ・ザ・ゲームでは3塁コーチ役として出演[19]。
その後はジム・トレーシー監督の下でドジャース(2001年 - 2005年)→パイレーツ(2006年 - 2007年)の投手コーチを歴任し[15]、ドジャース時代の2004年には日米野球のMLB選抜投手コーチとして来日した[20]。
コーチ退任後はレンジャースの環太平洋スカウト部長(2007年 - 2012年)[21]、2013年にはシニア・アドバイザーとなった[15]。
2016年6月6日に第28回ハーレムベースボールウィークのオーストラリア代表コーチを務めることが発表された[22]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1969
|
CHC
|
6 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
65 |
14.2 |
15 |
2 |
9 |
1 |
1 |
4 |
0 |
1 |
6 |
5 |
3.07 |
1.636
|
1970
|
34 |
5 |
0 |
0 |
0 |
3 |
1 |
4 |
-- |
0.750 |
327 |
72.2 |
88 |
3 |
23 |
6 |
1 |
50 |
1 |
1 |
37 |
29 |
3.59 |
1.528
|
1971
|
14 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
0.000 |
50 |
10.1 |
18 |
1 |
3 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
8 |
8 |
6.97 |
2.032
|
1972
|
MIL
|
39 |
12 |
4 |
1 |
1 |
7 |
7 |
0 |
-- |
0.500 |
608 |
147.2 |
135 |
14 |
43 |
7 |
2 |
97 |
5 |
0 |
51 |
53 |
3.11 |
1.205
|
1973
|
43 |
36 |
22 |
4 |
3 |
20 |
12 |
1 |
-- |
0.625 |
1287 |
314.1 |
297 |
21 |
87 |
5 |
3 |
135 |
6 |
1 |
111 |
133 |
3.18 |
1.222
|
1974
|
33 |
31 |
10 |
1 |
1 |
10 |
13 |
2 |
-- |
0.435 |
938 |
224 |
230 |
27 |
60 |
4 |
6 |
83 |
3 |
0 |
101 |
104 |
4.06 |
1.295
|
1975
|
36 |
29 |
8 |
1 |
0 |
11 |
13 |
0 |
-- |
0.458 |
879 |
206.1 |
215 |
18 |
65 |
5 |
5 |
79 |
5 |
0 |
98 |
111 |
4.27 |
1.357
|
1976
|
32 |
32 |
7 |
0 |
2 |
9 |
15 |
0 |
-- |
0.375 |
937 |
225.2 |
232 |
20 |
54 |
9 |
2 |
101 |
6 |
2 |
93 |
97 |
3.71 |
1.267
|
1977
|
KCR
|
36 |
35 |
6 |
1 |
0 |
18 |
14 |
0 |
-- |
0.563 |
1023 |
239 |
233 |
22 |
81 |
2 |
13 |
103 |
8 |
3 |
96 |
106 |
3.62 |
1.314
|
1978
|
8 |
3 |
0 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
-- |
0.333 |
128 |
28.1 |
31 |
4 |
12 |
1 |
2 |
8 |
0 |
0 |
15 |
18 |
4.76 |
1.518
|
SEA
|
20 |
19 |
3 |
0 |
0 |
3 |
10 |
0 |
-- |
0.231 |
502 |
114.1 |
125 |
21 |
38 |
1 |
6 |
26 |
2 |
1 |
68 |
77 |
5.35 |
1.426
|
'78計
|
28 |
22 |
3 |
0 |
0 |
4 |
12 |
0 |
-- |
0.250 |
630 |
142.2 |
156 |
25 |
50 |
2 |
8 |
34 |
2 |
1 |
83 |
95 |
5.24 |
1.444
|
MLB:10年
|
301 |
204 |
60 |
8 |
7 |
83 |
88 |
7 |
-- |
.485 |
6744 |
1597.1 |
1619 |
675 |
153 |
475 |
41 |
41 |
688 |
36 |
675 |
750 |
3.80 |
1.311
|
出典:[8][14]
代表歴
- 1966 ヨーロッパ学生オールスターゲーム スコットランド代表
コーチ歴
脚注
- ^ “Jim Colborn Stats, Fantasy & News” (英語). MLB.com. 2020年10月13日閲覧。
- ^ “Dodger great Maury Wills featured guest at JCBL opening ceremonies”. サンタ・ポーラ・タイムズ (2009年7月1日). 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b c Kimberly Rivers (2000年12月8日). “James William Colborn, Class of 1963”. サンタ・ポーラ・タイムズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b c Jeffrey Wayne Maulhardt (2007). Baseball in Ventura County. Arcadia Publishing. pp. 73、93. ISBN 9780738547398
- ^ Peggy Kelly (2000年12月1日). “Santa Paula native Jim Colborn joins Dodgers as pitching coach”. サンタ・ポーラ・タイムズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “Jim Colborn”. BaseballLibrary.com (2006年). 2015年9月26日閲覧。
- ^ Doug Feldmann (2006). Miracle Collapse: The 1969 Chicago Cubs. ネブラスカ大学出版会. p. 167. ISBN 9780803220263
- ^ a b c d e f “Jim Colborn Statistics and History”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “Jim Colborn Minor & Winter Leagues Statistics & History”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “July 13, 1969 Philadelphia Phillies at Chicago Cubs Box Score and Play by Play”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “August 14, 1970 Los Angeles Dodgers at Chicago Cubs Play by Play and Box Score”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “1973 All-Star Game”. Baseball Almanac. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “Brewers Timeline”. ミルウォーキー・ブルワーズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b “Jim Colborn Stats”. Baseball-Almanac. 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e f “Jim Colborn - BR Bullpen”. Sports Reference. 2015年9月27日閲覧。
- ^ Jeanmarie Murphy (1985年3月28日). “AN ODD TRIO IS . . . : BUYING THE FARM : Two Former Major League Ballplayers and a Mortician Hope to Give Ventura County a Minor League Franchise”. ロサンゼルス・タイムズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “Jcbl”. Jim Colborn Baseball League. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “野球関係者からのコメント”. 今任靖之. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “For Love of the Game (1999) - Full Cast & Crew”. インターネット・ムービー・データベース. 2015年9月27日閲覧。
- ^ 2004 日米野球 MLBオールスターチーム[1]
- ^ “Rangers name Jim Colborn club's director of Pacific Rim operations”. テキサス・レンジャース (2007年12月18日). 2015年9月27日閲覧。
- ^ Team Australia squad announced for Honkbal Baseball Australia Southern Thunder (英語) (2016年6月6日) 2016年7月17日閲覧
関連項目
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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