ジェイミー・ライト
ジェイミー・アラン・ライト(Jamey Alan Wright,1974年12月24日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州オクラホマシティ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとロッキーズ時代1993年のMLBドラフトでコロラド・ロッキーズから1巡目(全体28位)指名され、7月3日に入団。ルーキー級アリゾナリーグ・ロッキーズで8試合に登板し1勝3敗・防御率4.00だった。 1994年はA級アッシュビル・ツーリスツで28試合に登板し7勝14敗・防御率5.97だった。 1995年はA+級セイラム・アバランチェ、AA級ニューヘイブン・レイブンズでプレー。 1996年はAA級ニューヘイブン、AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレー。AAA級コロラドスプリングスでは9試合に登板し4勝2敗・防御率2.72だった。7月にメジャー初昇格を果たし、7月3日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で先発起用されメジャーデビュー。6回を投げ4安打1失点2四球4奪三振だった。7月17日のジャイアンツ戦で7回を投げ4安打2失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。この年は16試合に登板し4勝4敗・防御率4.93だった。 1997年は開幕ロースター入りし、26試合に登板。8勝12敗・防御率6.25だった。 1998年は34試合に登板し9勝14敗・防御率5.67だった。 1999年は16試合に登板し4勝3敗・防御率4.87だった。 ブルワーズ時代1999年12月13日、ロッキーズ、オークランド・アスレチックス、ミルウォーキー・ブルワーズ間の三角トレードでブルワーズへ移籍。 2000年は26試合に登板し7勝9敗・防御率4.10だった。 2001年は33試合に登板し11勝12敗1セーブ・防御率4.90だった。 2002年は19試合に登板し5勝13敗1セーブ・防御率5.35だった。 ブルワーズ退団後2002年8月29日、トレードでセントルイス・カージナルスへ移籍。4試合に登板し2勝0敗・防御率4.80だった。11月1日にFAとなった。 2003年1月28日にシアトル・マリナーズと契約。3月18日に放出され、3月26日に古巣・ブルワーズと契約。AAA級インディアナポリス・インディアンスで7試合に登板し1勝3敗・防御率7.36だった。4月28日に放出され、5月7日にテキサス・レンジャーズと契約。AAA級オクラホマ・レッドホークスで7試合に登板し2勝1敗・防御率4.12だった。6月15日に放出された。6月20日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。4試合に登板し1勝2敗・防御率4.26だった。10月30日にFAとなった。12月29日にシカゴ・カブスと契約。 2004年3月27日に放出され、4月2日にロイヤルズと契約。AAA級オマハ・ロイヤルズで18試合に登板し8勝6敗・防御率4.21だった。7月21日に放出された。 ロッキーズ時代7月22日にロッキーズと契約。14試合に登板し2勝3敗・防御率4.12だった。11月1日にFAとなり、12月22日にロッキーズと再契約した。 2005年は34試合に登板し8勝16敗・防御率5.46だった。11月2日にFAとなった。 ジャイアンツ時代2006年1月17日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約[1]。34試合に登板し6勝10敗・防御率5.19だった。11月1日にFAとなった。 レンジャーズ時代2007年1月25日にレンジャーズとマイナー契約を結んだ[2]。4月10日に40人枠入りした[3]。20試合に登板し4勝5敗・防御率3.62だった。 2008年は自己最多の75試合に登板し8勝7敗・防御率5.12だった。10月30日にFAとなった。 ロイヤルズ復帰2009年2月10日にロイヤルズとマイナー契約を結んだ[4]。4月5日に40人枠入りし、開幕ロースター入りした[5]。65試合に登板し3勝5敗・防御率4.33だった。11月5日にFAとなった。 インディアンス時代2010年2月9日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[6]。4月2日に40人枠入りした[7]。18試合に登板し1勝2敗・防御率5.48だった。6月4日にDFAとなり[8]、6月10日に放出された[9]。 アスレチックス傘下・マリナーズ時代2010年6月16日にアスレチックスとマイナー契約を結んだ。AAA級サクラメント・リバーキャッツで10試合に登板し、1勝0敗1セーブ・防御率9.00だった。7月14日に放出され、7月15日にマリナーズと契約[10]。28試合に登板し0勝1敗・防御率3.41だった。11月1日にFAとなった。 2011年1月31日にマリナーズとマイナー契約で再契約した[11]。3月28日に40人枠入りした[12]。60試合に登板し2勝3敗1セーブ・防御率3.16だった。10月30日にFAとなった。 ドジャース時代2012年2月7日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び[13]、4月4日に開幕ロースター入りしたことが発表された[14]。66試合に登板し5勝3敗・防御率3.72だった。10月29日にFAとなった。 レイズ時代2013年1月22日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結び[15]、3月31日に開幕ロースター入りしたことが発表された[16]。66試合に登板し2勝2敗・防御率3.09だった。同年はメジャー18年目にして初めてポストシーズンでの登板を経験した。10月31日にFAとなった。 ドジャース復帰2013年12月24日に古巣・ドジャースと1年契約で合意した[17]。 2014年は61試合に登板し5勝4敗・防御率4.35だった。 ドジャース退団後2015年2月14日にレンジャーズとマイナー契約を結んだ[18][19]。3月31日に解雇となる。 現役引退後2021年よりロサンゼルス・ドジャース傘下AAA級オクラホマシティ・ドジャースの投手コーチに就任した[21]。 詳細情報年度別投手成績 (MLB)
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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