カトリーヌ・アルレーカトリーヌ・アルレー(Catherine Arley, 1922年12月30日 - 2016年7月25日)は、フランスの小説家、推理作家。ベストセラーとなった、残酷な性格の女性を主人公とする『わらの女』などで知られる。本名はピエレット・ペルノ(Pierrette Pernot)。 経歴生年月日については諸説あり、1924年生まれが有力とされていたが、2016年に死去した際に1922年12月30日生まれと判明した[1]。 幼少時から両親とともに中国をはじめ東洋各国、アメリカで暮らす。高校を卒業した後、パリ国立演劇院に入学。幾つかのフランス映画製作に参加するが結婚を期に女優を引退した。また、その後別居している。 1953年に処女作"Tu vas mourir!"(『死の匂い』)をフランスの大手ドゥノエル社から刊行して作家となった。この処女作は、高い評価を得た。1956年に発表した『わらの女』(La femme de paille)は、それまで推理小説においてタブーとされていた完全犯罪の成立を描く衝撃的な結末が話題となった。この作品は当初、前作を刊行したドゥノエルを始めフランスのすべての出版社から拒絶されたが、スイスの出版社Jeheber社から刊行したところベストセラーとなった。1957年に英語訳され、続いて『リーダーズ・ダイジェスト』誌の紹介で26カ国語に訳され、世界的ベストセラーとなる。続いてアメリカでテレビドラマ化もされた。 その後1960年代には"Le talion"(『目には目を』)、"La baie des trépassés"(『死者の入江』)などを発表。フランス本国よりもイギリスや日本において人気作家となった。 フランス本国においては1960年代の間は国外ほどの人気は得られなかった。しかし1970年代になって、それまでユーゴ・ソレンツァ"Regain de désir"(『ぼくのヴィヴィエ夫人』)など官能小説のペーパーバックで知られていたパリのユレディフ社が推理小説に参入。その際に同社がアルレーの作品を立て続けにペーパーバックで刊行したことでベストセラーとなる。ユレディフ社時代がアルレーの全盛期であり、"A tête reposée"(『三つの顔』)のフランス・サスペンス小説大賞受賞、"Duel au premier sang (Blondy)"(『決闘は血を見てやめる』)の映画化など話題性にも恵まれ、マドレーヌ・クードレーとともにユレディフ社の看板推理作家として活躍した。 しかし1979年の"L'amour à la carte"(『理想的な容疑者』)を最後にユレディフ社が推理小説から撤退し、児童書の専門出版社となることを決定したためアルレーとの契約を解除。アルレーはシャンゼリゼ書店(現・マスク書店)のマスク叢書に移籍することとなる。ユレディフ社で最後に刊行した『理想的な容疑者』は1981年にマスク叢書で復刊した改訂版(その際に" A cloche-cæur"と改題)でフランス犯罪小説大賞を受賞するが、それ以降のアルレーはユレディフ時代のようなヒット作には恵まれなくなった。 1988年の"La gamberge"(『疑惑の果て』)を最後にシャンゼリゼ書店との契約を解除。最後の長編"Entre chien et loup"(『狼の時刻』)はフランスでの出版社が見つからないまま1990年に完成。フランス本国よりも先に東京創元社から日本語版が刊行される。後にフランスでは題名を"En 5 sets"と変えてフルーヴ・ノワール社(現・フルーヴ社)から刊行され、フランスではテレビドラマ化もされたが、本作を最後にアルレーは作家を引退することとなった。 作家としての新作は1990年の『狼の時刻』以降途絶えていたが、邦訳の版元である東京創元社との間には、1995年の阪神・淡路大震災の際にアルレーから関係者の安否を気遣う手紙が寄せられるなど90年代まで交流が続いていた[2]。しかしその後は交流が途絶え、日本では『わらの女』一作のみはつねに増版が続いたものの他の著作の大半は絶版となり、フランス本国でもまた忘れられた作家となっていった。アルレーの現状が確認されたのは2013年のことだった。フランスの作家ニコラ・ペルジュがアルレーと連絡を取ろうと試みたところ、介護士の女性から「マダムは、アルツハイマーが進んで、もう何もおわかりになりません。もう何もお答えすることはできないのです」との回答を得た[2]。 2016年7月25日、死去[1]。享年93。 作風、人物心理的サスペンスに重点を置いた作風を特徴とする。犯罪に手を染めていく、または陰謀によって追い詰められていく登場人物の恐怖心理をサディスティックなまでに克明に描き、結末では破滅へと導かれるダークな後味の作風が多い。また、いわゆる「悪女」が登場する作品が多く、「悪女描きのアルレー」としばしば称される。 趣味は、料理、旅行、散歩と人間観察。 日本の資料においては、アフリカを舞台としてナチの財宝をめぐる異色作『剣に生き、剣に斃れ』(1968)で国際サスペンス大賞を受賞した[3]とされていたがこれは誤りで、実際の受賞作は『死者の入江』(1959)である[4]。 翻訳されたものが日本の2時間ドラマで脚本に多数使用されている。1983年に来日した際に自身の作成のコラージュ作品を持参し、そのうち1点が日本語版『呪われた女』のカバーに使われている[5]。
作品
受賞
映像化作品映画
テレビドラマ
脚注
関連項目
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