アドマイヤボス
アドマイヤボス(欧字名:Admire Boss、1997年5月9日 - )は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に2000年のセントライト記念。 全兄に1999年の東京優駿などを優勝したアドマイヤベガ、半弟に2001年の朝日杯フューチュリティステークス、2004年のフェブラリーステークスなどを優勝したアドマイヤドンがいる。 競走馬時代2000年父サンデーサイレンス・母ベガの良血に加え、1歳上の全兄アドマイヤベガが東京優駿を制したことから脚光を浴びたが、体質の弱さからデビューは遅れた。デビューを迎えたのは2000年7月23日で、既に3歳の夏であった。横山典弘が騎乗し、函館ダート1700mの未勝利戦に出走した本馬は、経験馬相手に0.7秒差で勝利した。その後8月の知床特別では2着となり、迎えたセントライト記念では、実績馬を抑えて単勝2番人気に推された。 レースでは後藤浩輝が騎乗し、3コーナーからまくり気味に進出すると、1番人気の2着トーホウシデン、3着ジョウテンブレーヴを抑えて、デビュー3戦目で重賞を制覇した。次走は菊花賞ではなく、やや脚元に不安があるため、馬の成長を重視する橋田の方針でアルゼンチン共和国杯に出走した。しかしここでは、現役生活を通じて自己最悪の10着に敗れた。 アルゼンチン共和国杯前から有馬記念を目指すことを公言していた為、有馬記念のファン投票では12位と票を集めた。有馬記念では、デビュー当初から本馬を気にかけていたという武豊を鞍上に迎え、単勝6番人気で出走した。圧倒的1番人気のテイエムオペラオーを外からマークする形レースを進め、0.2秒差の5着に入った。 2001年産経大阪杯から始動し、トーホウドリームの3着に敗れた。距離適性などから動向が注目された次走は、天皇賞(春)を選択した。前年の菊花賞を回避した際に、橋田が「淀の坂越え」のきつさを挙げていたため、人気は集めなかったが、後方から足を伸ばしてテイエムオペラオーから0.5秒差の5着に入った。この年3走目の宝塚記念では、ケント・デザーモを鞍上に迎え4番人気に支持された。レースではこれまでより積極的に先行したが、直線で失速してメイショウドトウから0.6差の6着、勝ちきれないままに春を終えたことで、重賞勝ち馬ながら1600万下へ降級となった。 秋は10月京都の1600万下条件特別のレースである比叡ステークスから始動、単勝1.3倍と圧倒的1番人気に推されたが、上がり馬トウカイオーザのクビ差2着に敗れた。次走アルゼンチン共和国杯も、1番人気ながら同馬の5着と敗れている。その後前年に続いて有馬記念出走を目指していたが、故障が発覚して回避、翌春からの種牡馬入りが決まった[2]。 競走成績以下の内容は、netkeiba.com[3]およびJBISサーチ[4]に基づく。
引退後種牡馬時代2002年から日高軽種馬農協の門別種馬場で種牡馬生活を開始した。比較的安価な種付け料で、初年度から130頭を超える繁殖牝馬を集めた。しかし、2005年に中央でデビューできた産駒はそれ程多くなかった。初年度産駒の中からアドマイヤスバルが白山大賞典を制したものの種付け頭数は減少していたが、2005年に全兄のアドマイヤベガが死亡したために代替種牡馬として需要が生じ、一時種付け頭数が増加した。2009年にアイアンルックが毎日杯を制し、産駒が中央重賞初勝利を挙げた。その後再び種付け頭数は減少し、2010年の種付けシーズン終了後に種牡馬を引退となった。 種牡馬引退後種牡馬を引退すると、ノーザンホースパークで乗馬となった[5]。その後、2015年8月からは茨城県龍ケ崎市にある乗馬クラブ、クレイン竜ケ崎に繋養され乗馬として働いていた[6][7]。2018年7月20日付茨城新聞にてバランスオブゲームと共に乗馬クラブでの活躍が確認できた[8]。 2022年3月現在、クレインの公式サイトの繋養馬一覧に名前を確認することはできない[9][10]。2021年6月時点で乗馬クラブにはおらず[10]、2022年頃に養老牧場で亡くなったともいわれるが出典はない[独自研究?]。 グレード制重賞優勝馬
地方重賞優勝馬
中央競馬年度別繁殖成績表
※2008年終了時点。 血統表
近親の活躍馬
脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia