上松(うえまつ)は、長野県長野市の北東部の地区。上松一・二・三・四・五丁目がある。郵便番号は、380-0802。
全域が長野市役所(本庁直轄)第二地区の管内である。
概要
地区の北端を浅川が流れ、西部には城山・地附山がそびえる。中央部を長野県道37号長野信濃線(長野大通り先線)が南北に貫き、北部幹線・SBC通りが西に向かって走っている。南向きの傾斜地であり、北部は浅川の谷口にあたる。周囲は以下の大字・町丁と接する。
善光寺の北東に位置する、長野市街地を見下ろすような比較的古くからの住宅街である。
一丁目には長野県長野高等学校があり、その北側のSBC通り沿いにはファストフード店が並ぶ。長野高校の北西にある上松交差点(上松五差路)は、長野市街地からの長野大通り先線・善光寺からの長野県道37号長野信濃線・吉田方面からのSBC通り・飯綱高原や戸隠方面からの長野県道37号長野信濃線に加えて雲上殿方面からの展望道路が集中する五差路であり、渋滞の名所となっている。
二丁目は南東向きに傾斜がきつい、閑静な住宅街で、南部には長野市城山動物園や信濃招魂社の森が広がる。
三丁目は地附山の中腹にあたり、1968年(昭和43年)ごろから長野県企業局が造成した湯谷団地が、東〜南向き斜面に段々畑状に広がっている。この湯谷団地は1985年(昭和60年)に起きた地附山地すべり災害によって死者26人・負傷者14人・全半壊60戸という甚大な被害を蒙った。現在でも長野市街地から、お椀状に抉り取られた山肌を見ることができる。
四丁目は三丁目に比べれば平坦な住宅地である。中央部には長野市立湯谷小学校があり、地すべり災害の際には湯谷団地住民の避難所となった。
五丁目は浅川の谷口にあたり、半分程度は山林である。湯谷第二団地(湯谷団地と異なりアパートタイプ)が立地するほか、長野県道37号長野信濃線に沿って住宅地となっている。
住居表示未施行の区域には地附山の山頂があり、山の南中腹には善光寺の大納骨堂である雲上殿が市街地を見下ろしている。昭和30年代には雲上殿と地附山山頂を結ぶ善光寺ロープウェイが運行を始め、遊園地・動物園・スキー場・ゴルフ場・ヘルスセンターなどを取りそろえた市内有数の観光地となった。しかし戸隠バードラインの開通(この付近に上松料金所が置かれた)によって飯綱高原・戸隠への通過点となったことから衰退し、昭和50年代までにはこうしたレジャー施設は撤退した。その一帯は前述の地すべり災害で戸隠バードラインや沿道にあった老人ホーム、下段の湯谷団地もろとも押し流され、現在は防災メモリアル地附山公園として整備されている。
地区内の人口および世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[1]。
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世帯数 |
人口
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上松一丁目
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521世帯 |
1,084人
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上松二丁目
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818世帯 |
1,685人
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上松三丁目
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578世帯 |
1,275人
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上松四丁目
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946世帯 |
2,120人
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上松五丁目
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355世帯 |
769人
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大字上松
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0世帯 |
0人
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計
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3,218世帯 |
6,933人
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沿革
現在の上松地区の範囲は、旧上水内郡上松村の範囲に相当する。
- 旧上松村の歴史
- 長野市上松の歴史
交通
- 路線バス
地区内の長野県道37号長野信濃線・SBC通りを、アルピコ交通(川中島バス)の以下の路線系統が走っている。
地区内の長野大通り先線・SBC通りを、長電バスの以下の路線系統が走っている。
地区内の長野大通り先線・長野県道37号長野信濃線・北部幹線を、長電バスの以下の路線系統が走っている。
施設
上松一丁目
上松二丁目
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長野市城山動物園
-
長野市少年科学センター
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信濃招魂社
上松三丁目
上松四丁目
上松五丁目
大字上松
脚注