桐原(きりはら)は、長野県長野市の市街地北東部にある町名。現行行政地名は桐原一・二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は、381-0045。
全域が長野市役所吉田支所の管内である。
歌枕でもある(後述)。また、出版社の桐原書店の名称は、当地に由来する(後述)。
概要
地区の南部にはしなの鉄道北しなの線と北長野通りが並行して走り、北部には長野電鉄長野線が東西に横切り桐原駅が置かれている。中央部を長野県道60号長野荒瀬原線(高田若槻線)が南北に走り、一丁目と二丁目の境をなす。北西端には長野県道399号長野豊野線(相ノ木通り・旧北国街道)が通る。
浅川扇状地上の緩やかな南向き傾斜地であり、最高地点は地区北西の皇足穂吉田大御神宮付近(標高383.8m)、最低地点は地区南東の北長野貨物駅付近(標高362.1m)[1]。周囲は以下の大字・町丁と接する。
桐原駅(桐原一丁目)・北長野駅(中越二丁目)を利用でき交通の便がよく、地区内はほぼすべて住宅地となっている。地区南部を走るしなの鉄道北しなの線には北長野貨物駅(桐原二丁目)が置かれ、物流の拠点となっている。
古く平安時代には桐原牧があり、後院領として馬を献上していた[2]。「桐原」は歌枕にもなり、
逢坂の関の岩かど踏みならし山たちいづる
きり原の駒
— 藤原高遠、『拾遺集』
霞たちめも
きり原の若駒のはむとするする草はもえけり
- うちむれておはなあしけの秋の駒たちわたりける
きりはらの野へ
— 源国信、『嘉応三年内裏歌合』
などの歌に詠まれている。桐原一丁目には桐原牧神社があり、わら駒奉納の行事が残っている[3]。なお、この桐原牧は松本市大字入山辺字桐原付近にあったとする説もあるが、12世紀末に隣接する吉田に吉田牧ができていること、周辺に宇木・駒沢など牧に関連する地名が残っていることなどから、この地にあった可能性は高い[2]。
後述の#沿革の通り、桐原村・﨤目村が合併し古野村(→長野市大字古野)になったものの、昭和40年代の住居表示施行の際に﨤目区が三輪に含まれたため、一般に「桐原」として認識されている区域のみが「大字古野」として残ることとなった。桐原の名を残すべく長野市長宛に陳情がなされる[1]などした結果、1998年(平成10年)に「古野」ではなく「桐原」の名で住居表示が施行され、ようやく一般認識と正式地名の一致を見た。
地区内の人口及び世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[4]。
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世帯数 |
人口
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桐原一丁目
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426世帯 |
962人
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桐原二丁目
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339世帯 |
777人
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計
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765世帯 |
1,739人
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沿革
桐原の範囲は、概ね1876年(明治9年)以前の水内郡桐原村の範囲に相当する。
- 旧桐原村 - 古野村の歴史
- 長野市桐原の歴史
交通
- 鉄道
桐原一丁目に長野電鉄の桐原駅があり、以下の路線が利用できる。
また、地区東部ではしなの鉄道北長野駅(中越二丁目)も利用できる。
- 路線バス
北長野通りを長電バスの以下の路線系統が走っている。なお、電車(長野電鉄線)のほうが運行本数が多い。
施設
桐原一丁目
桐原二丁目
出身著名人
- 山崎賢二(1929-2000) - 実業家、株式会社桐原書店創業者。「桐原書店」の名は、当地に因む。
脚注