2004年の横浜ベイスターズ
2004年の横浜ベイスターズ(2004ねんのよこはまベイスターズ)では、2004年の横浜ベイスターズの動向をまとめる。 この年の横浜ベイスターズは、山下大輔監督の2年目のシーズンである。 概要山下政権2年目となったチームは6年前の日本一の立役者だった大魔神・佐々木主浩をシアトル・マリナーズから獲得、またチームOBの松原誠をヘッド兼打撃コーチとして招聘。松原ヘッドコーチを含めコーチ陣のほとんどをチームOBで固め(福田功バッテリーコーチは中日出身)、石井琢朗、鈴木尚典ら1998年の優勝&日本一メンバーが多く残っていたことから6年ぶりの覇権奪回が期待された。チームは出足の悪かった前年とは違い、4月を首位で終えるが、5月に入ってからは大きく負け越し、広島との最下位争いを強いられることになった。最終的に前年から借金を大幅に減らしたものの、優勝した中日に20ゲーム、3位の巨人に12ゲーム差をつけられ、3年連続の最下位でシーズン終了。投手陣は三浦大輔が負け越しながらも防御率でリーグ9位に入り、新外国人のスコット・マレンが7勝ながらチーム最多の投球回数をあげ、もう一人の新外国人セドリック・バワーズも規定投球回未満ながら3点台後半で健闘しチーム防御率は4.47でリーグ3位、そして守護神の佐々木は衰えが目立ったものの19セーブとまずまずの成績を残したが2ケタ勝利は0人。打撃陣は4番のタイロン・ウッズが本塁打王、佐伯貴弘がリーグ3位の.322、多村仁が3割40本100打点を達成し、内川聖一が前年から出場試合数を増やして17本塁打を放つなど最後まで打線が好調で、チーム打率は.279でリーグトップと前年から大幅に上がった。そして彼らの活躍が、翌年のAクラス入りにつながることになる。なお、契約満了に伴い山下監督はこの年限りで辞任、代わってTBSで野球解説者を務めていた牛島和彦が監督に就任した。オフにこの年本塁打王のウッズが中日に移籍。3年連続の最下位に加え、一場事件によって砂原オーナーが辞任に追い込まれるなど、まさに踏んだり蹴ったりの1年となった。 チーム成績レギュラーシーズン
オールスターゲーム2004→詳細は「2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
選手・スタッフ表彰選手
ドラフト→詳細は「2004年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia