セドリック・バワーズ
セドリック・ジェローム・バワーズ(Cedrick Jerome Bowers , 1978年2月10日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身のプロ野球選手(投手)。 横浜ベイスターズ時代はセドリック、東北楽天ゴールデンイーグルス時代はバワーズをそれぞれ登録名としていた。韓国球界時代の登録名は세드릭。 経歴1996年のMLBドラフト4巡目でタンパベイ・デビルレイズに入団。 2004年シーズン途中にフロリダ・マーリンズ傘下AAA級アルバカーキから横浜ベイスターズへ移籍。入団時は山中正竹球団専務曰く「マイナー契約」での入団、専属通訳無しで寮住まいだった。登録名は「セドリック」(2001年 - 2002年にシェーン・バワーズ投手が在籍していた為)。6月26日、対広島戦で初登板、2回無失点4奪三振のデビュー。7月17日、同じく広島戦で初先発、初完投、初勝利をあげた。最終的には吉見祐治、スコット・マレンと共にチーム最多となる7勝を挙げ、途中入団ながらエース級の活躍だった。 2005年も7勝5敗の成績を挙げたが前年より四球が激増するなど不安定な投球内容だったためシーズン終了後に横浜を戦力外になり、東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍した。横浜時代は2年間で通算14勝を挙げたが、これは横浜の外国人投手では歴代2位記録である。 楽天時代の登録名は「バワーズ」で、2006年は岩隈久志・一場靖弘らとともに投手陣の柱として期待されたが、母親の看病のため帰国したため開幕一軍はならなかった。その後二軍で一軍昇格へ向け調整していたが、二軍の試合中に左肩を痛め、結局一軍に昇格することは無く9月中に球団から退団が発表された。野村克也監督は「バワーズは会ったことない。街で会っても分からんな。詐欺や」とのコメントを残している。 2007年1月2日、韓国プロ野球・KBOリーグのハンファ・イーグルスと契約して先発として活躍したが、不安定な投球内容が評価されず1年限りで退団した。登録名は横浜在籍時と同じ「セドリック」だった。 2008年はコロラド・ロッキーズとマイナー契約。開幕メジャー入りは出来なかったが、7月1日にメジャー初昇格。7月2日にメジャー初登板し1回1安打無失点という内容だった。 2009年はフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約。 2010年はオークランド・アスレチックスとメジャー契約したが、シーズン後、自由契約となった。 プレースタイル・人物しなやかなフォームから140km/h台中盤のストレートに加え、ナイアガラカーブと言う大きく曲がるカーブ・チェンジアップが持ち味だが、四球が非常に多く、攻撃陣のリズムを乱すほど。 「専属通訳なし・寮住まい」という外国人選手としては異例の契約で入団し、初年は活躍を見せる。翌年は他の外国人選手と同等の待遇に引き上げられたが成績が落ち、その後移籍した楽天でもほとんど活躍できなかった。 彼の母親の名前はグロリアであり、本人の名前(セドリック)も相まって横浜入団直後には日産自動車と関連付けた報道がなされた[1]。なお日産は当時の本社こそ東京都中央区銀座にあったが、横浜市が発祥地・現本社所在地である。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
登録名
脚注
関連項目
外部リンク
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