1994年ブラジルグランプリ
1994年ブラジルグランプリ(葡語:1994 Grande Prêmio do Brasil)は、1994年F1世界選手権の開幕戦として、1994年3月27日にアウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェで開催された。 概要ブラジルGPがシーズン開幕戦となるのは1989年以来。当時はリオデジャネイロのジャカレパグアで開催されており、サンパウロのインテルラゴスでの開幕戦は1976年以来となった。 レギュレーション変更により、1983年以来11年ぶりにレース中の給油作業が解禁された。ピットクルーは耐火服を身につけ、国際自動車連盟 (FIA) 指定の標準給油装置を用いて給油作業を行うことになる。 予選ウィリアムズへの移籍初戦となるアイルトン・セナが、フリー走行・予選全セッションでトップタイムを記録し、母国グランプリでは6回目[1]のポールポジションを獲得。新型フォードZETEC-Rエンジンを得たベネトンのミハエル・シューマッハのみがセナのタイムに接近し、開幕戦から2強対決の構図となった。 デビュー戦となるハインツ=ハラルド・フレンツェンはいきなり予選5位を獲得。6位のジャンニ・モルビデリは1年間のブランクを経ての復帰。レギュラーのJ.J.レートが負傷したため急遽デビューとなったヨス・フェルスタッペンが9位。10位の片山右京はF1参戦3年目で初めて予選トップ10入りした。 予選結果
決勝スタート後の1コーナーではジャン・アレジがミハエル・シューマッハをかわして2位に浮上。2周目の同じ場所でシューマッハが抜き返すが、先頭のアイルトン・セナから4秒差をつけられた。セナ得意の先行逃げ切りパターンになるかと思われたが、シューマッハはじりじりとセナの背後に迫り、この2台がアレジ以下を引き離していった。 トップ2台は1秒以内の接近戦のまま、21周目終わりに同時ピットイン。タイヤ交換と給油作業を終えてコースに復帰したときにはシューマッハ-セナの順に逆転していた。前方が開けたシューマッハは、2位セナとの差を拡げていく。 34周目、裏ストレートエンドで中団グループ4台が絡むマルチクラッシュが発生した。エディ・アーバイン(8位)をイン側から抜こうとしたヨス・フェルスタッペン(9位)に対して、前方にいたエリック・ベルナール(1周遅れ)を追い抜こうとしたアーバインが幅寄せする形になり、芝生に押し出されたフェルスタッペンがコントロールを失ってコースを横断。アーバインとベルナールを巻き込み、さらに前方にいたマーティン・ブランドル(7位)のマシンに乗り上げ、ブランドルの頭上で一回転した。この際、フェルスタッペンのマシンのタイヤがブランドルのヘルメットに接触したが、幸い怪我はなかった。アーバインはこの事故の原因を作ったとみなされ、FIAから1戦出場停止(のちに3戦に延長)と1万ドルの罰金処分を受けた。 44周目、トップから7.8秒差のセナが2回目のピットイン。次の周にはシューマッハもピットインし、ベネトンクルーはウィリアムズよりも1秒速い作業時間でコースへ送り出す。両者の差は9秒台まで拡がった。 その後、セナはペースを上げて差を5秒まで取り返したが、56周目、ホームストレートの登り坂へ続く第12(Juncao)コーナーの立ち上がりでリアが滑り単独スピンし、マシンを止めた。レース後のインタビューでは、ハードに攻めた末のドライビングミスだったことを認めた[2]。 シューマッハは2位以下を周回遅れにしてF1通算3勝目を達成。2位のヒルは1回ストップで3位アレジの前に出た。4位は地元出身のルーベンス・バリチェロ。片山は最初のピットインでタイヤ交換に手間取り13位まで後退したが、しぶとく入賞圏内まで順位を上げ、残り3周でエンジンのパワーダウンに苦しむヴェンドリンガーをかわし、5位フィニッシュでF1初ポイントを獲得した。 決勝結果
ランキング
脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia