1992年ベルギーグランプリ(1992 Belgian Grand Prix)は、1992年F1世界選手権の第12戦として、1992年8月30日にサーキット・スパ・フランコルシャンで開催された。
予選
資金難のブラバムが出場を断念したため予備予選が中止となり、アンドレア・モーダが初めて2台そろって本予選に進出したが、予選落ちとなった。土曜日の夜にはオーナーのアンドレア・サセッティが公文書偽造の疑いで逮捕された(その後釈放)。FISAはF1の信用を失墜させたとして、アンドレア・モーダを追放処分とし、その後チームは消滅した。
土曜日の予選2回目が雨に見舞われたため、金曜日の予選1回目の結果によりグリッドが決定した。ナイジェル・マンセルが2位のアイルトン・セナに2秒以上の差をつけてポールポジションを獲得。リカルド・パトレーゼはバスストップ・シケインでスピンして4位。ゲルハルト・ベルガーは土曜朝のフリー走行中にアクアプレーニングによりクラッシュし、軽いむち打ちの症状を訴えたが、決勝への出場は認められた。
エリック・コマスは金曜フリー走行中のクラッシュで一時意識を失い、以後のスケジュールへの参加を取り止めた。
予選結果
決勝
スタート直前になって雨が降り始めたが、全車スリックタイヤのままでレースに臨んだ。6番グリッドのベルガーがグリーンシグナルでレース開始するもギアボックスの故障で立往生しリタイアとなった。スタートではマンセルが出遅れ、セナ、マンセル、パトレーゼ、シューマッハ、アレジ、ハッキネンの順でオープニングラップを消化した。2周目、ウィリアムズの2台がマシンの性能差を見せつけ、セナを立て続けにパスした。
3周目以降、各車が相次いでピットインしレインタイヤに履き替えた。いち早くピットインしたアレジが2位に浮上するが、ラ・ソースでマンセルと接触してスピンしリタイアした。セナは天候が回復すると読んでドライタイヤのまま走り続けたが、雨脚は強くなる一方で、後続に次々と抜かれて大きく後退した(15周目にウェットタイヤに交換)。上位はマンセル、パトレーゼ、シューマッハ、ブランドル、ハッキネン、カペリの順で周回を重ねた。
20周目、アルボレートがギアボックストラブルでリタイアし、連続完走記録が12でストップした。
レース中盤に雨は止み、再びウェットからドライタイヤへ交換する時期が訪れた。30周目、3位のシューマッハがスタブローでコースオフし、チームメイトのブランドルに抜かれた。この時、シューマッハはブランドルのリアタイヤが摩耗していることを察知、すぐさまピットインしてドライタイヤに交換した。この判断が功を喫してコースに復帰するとファステストラップを叩き出す。一方、ウィリアムズの2台もタイヤ交換を指示されたが、ピットとの無線交信が聞き取りづらく、どちらが先にピットインするのか確かめるのに手間取った。そして、パトレーゼ、マンセルの順にピットインしたが、この間にタイムを稼いだシューマッハが34周目にトップに浮上した。マンセルは追撃体制に入るもエキゾーストパイプが割れるトラブル発生によりペースダウンを余儀なくされ、シューマッハの独走状態となった。セナは残り2周でハッキネンを捉えて5位まで挽回した。
シューマッハは前年に衝撃的なデビューを果たしたスパで、F1参戦18戦目にして初優勝を達成した[1]。ドイツ人ドライバーの優勝は1975年スペインGPのヨッヘン・マス以来17年ぶりとなった。
前戦ハンガリーGPでマンセルがドライバーズタイトルを獲得したのに続き、ウィリアムズのコンストラクターズタイトル制覇が決定した。マクラーレンのタイトル連覇は4でストップした。
決勝結果
- ラップリーダー - セナ (LAP1,7-10)、マンセル (LAP2-3,11-33)、パトレーゼ (LAP4-6)、シューマッハ (LAP34-44)
参考文献
- 『F1グランプリ特集10月号 (Vol.40)』 ソニーマガジンズ、1992年
脚注
- ^ 初のファステストラップも同時に達成。